マシンガンデニーロ「フルコンタクト」、ちょっと詰め込みすぎたかな・・・、
2月24日にマシンガン・デニーロの「フル・コンタクト」を観てきました。行きがけの埼京線が風のせいで荒川を渡るのに超徐行運転・・・・。ちょっとあせりました。
(ここからはネタバレがありますのでご留意ください。)
物語はたぶん近未来、生命の誕生は国家によって管理されており古事紀にまつわる名前をつけられたコンピュータに登録を許されたものだけが遺伝子を後世に残すことができる・・・・。すべての男性が登録をできるわけでない
ある男、遺伝子の登録を拒否されて、国家システムに対抗する地下組織に勧誘される。その組織が転覆させたものとは・・・。
物語の核心になるいくつかの概念・・・、たとえば遺伝子をつなぐことへの欲求や人を思う気持ち・・・。それらは非常にしっかりと表現されていたと思います。物語の持っていき方も決して悪くはなかった。だからこそ2時間の上演時間ずっと観客側の緊張感が保たれたのだと思います
でも、どこか満たされない感じがのこるのです。少なくとも前作「美しきファームを観たときのような呼吸を平らにしたまま満たされたような気持ちになりきれず・・・・。なんというのか後半に行けばいくほど物語のふくらみに設定がついて行かなくなるというか・・・。
物語の流れに比していろんなことを詰め込みすぎているような・・・。いくつかのシーンに溢れる思いの豊潤さを物語が十分に支えきれていない感じ。
秀逸な工夫はたくさんあると思います。オークションのシーンを舞台に立っている人数の何十倍にも見せたり、布を使って舞台となる建物にしっかりとした距離感を持たせたり・・・。しかしながら、それは場所を表現するのには十分すぎるほどでも、国家や生命にまでかかわるような物語の本質を表現するには足りない。設定の厚みが表現の仕組みを膨らませても、根源にある表現したいものを支える力へと伝わっていないから、物語の流れと作者が表現したいであろう物の本質に乖離を感じてしまうのです。きちんと筋が通って収束もしている物語なのですが、細かく描かれた人物に比して物語の道筋に荒さが目立ってしまった部分があるのは否めません。あるいはもっとシンプルな物語の中でも、役者たちは舞台におかれたメッセージを観客に伝えられたのではないかとも感じました。
そうはいっても、役者たちのできはよく、伝わってくるものもあった・・・。劇団員の松崎映子も菊地豪も、これまでの芝居より間違いなくひとつ上のクオリティで芝居をしているし、客演陣にも魅力のある役者がいっぱい…。蜂谷眞未の演技の幅や内海絢の作り出す雰囲気もとてもよくて。
だから作るほうとしても、欲が出るのかもしれませんが、強いて物語の構造を深くしたり、広げた帳尻を合わせなくても、深い表現はできたような…。
物語の最後の微妙にチープな感じが惜しくてならないのです。
次の公演も是非観にいきたいと思うだけの魅力が減じたわけではないし、むしろ技術という側面からの芝居のクオリティは以前の公演より上がったようにすら思えるのですが、今回の芝居がパーフェクトかといわれると・…。ちょっと厳しい言葉を書きたくなってしまうのでした。
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