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「恋する妊婦」透明な下世話感が横たわる世界で

2月9日にシアターコクーンで「恋する妊婦」を観ました。13年前に群像劇を多く手がけていたころの岩松了氏の作品。当時同様演出も行います。私は初見。

岩松了氏といえば、昔、竹中直人の会などで観た作品の緻密さや閉塞感の印象が強く、コクーンのような大きなハコでその純度が保てるか不安だったのですが、その点はまったく杞憂で逆に劇場の大きさが生きたなかで彼らしい演劇空間を体験することができました。

(ここからネタバレがあります。公演中につき特にまだご覧になっていらっしゃらない方は十分にご留意をおねがいいたします)

物語としてはそれほど複雑なものではありません。商業演劇などでは特に珍しくもないストーリーかもしれない・・。しかし、舞台にはある種の臨場感と透明感があります。なんというかとても木目の細かい感触があるのです。この感覚は、竹下直人の会での一連の作品にもあったのですが、今回のような大きな劇場だとそのクオリティがむしろ鮮明になったような気がします。ハイビジョンで高画質の画面をみるような感じとでもいいましょうか・・・。

興味深かったのは、大衆演劇の一座というひとつのユニットのなかで、登場人物のリズムや価値観がすべて異なっていること。外から見たらたぶん同じ匂いがする人間の集団なのに、そのペースや考え方が見事に異なっているのです。舞台の芝居をしっかりやるというその一点ではしっかりとつながっているのですが、それ以外の点ではみんな自分のペースや考え方で生きながら一座の構成員としての自分と折り合いをつけている感じ・・・。しかも、誰もが規律のなかで泳いでいるというか自由でありながら、一方でそれぞれがもたれあっているところもあって・・・。

そして、掟というか一点のつながりが外れたところから事件がおこります。劇団員のふたりが駆け落ちをして舞台に穴をあけます。そこから波紋が広がっていく。いままで、水面下に隠れていて、劇団員のそれぞれに見えていながら手を出すことがなかったさまざまなことが水面に顔を現すことになります。

劇団の若手には若手の想い、中堅には別の想い、そして座長にはさらに別の想いがあります。駆け落ちをしたものたちの想いも、あるいはまだその騒動の渦中に入らないものたちにも・・・・。それらが見事にさらけ出されていく。さらには男と女の違い、男のずるさと純粋さや女のずるさと強さが交錯して漣がさらに広がっていく。

岩松了は、一人ひとりの登場人物について、感情を実に丁寧に描いていきます。また、その感情がぼけないように、他の登場人物との感情のゴリゴリした感じを不必要に舞台上に持ち込まないようにしているようにも思えて・・・。さらにハコの大きさというか前述の解像度の高さが個々の感情表現をよりいっそうピュアなものにしていきます。

結果として、ある種の愛憎劇でありながら、それぞれの感情が淀むことなくすっと舞台を流れていきます。そして流れたあとに残された登場人物の個性がくっきりと浮かんでくるのです。個々が非常に鮮明に表現されていて、それらが重なって初めて集団としての一座がある・・・。一座のある種の下世話さについても、それは一座の属性なのではなく、一人ひとりの価値観や生き方の集積であることが見えてくる。物語がステレオタイプなものであっても、そこにあるのはたくさんの唯一無二の世界であり、単なる場の流れではなく、物語が進むにつれて現れてくる登場人物の個性に観客はゆっくりと惹かれていきます。

物語にはやがて、ひとつのカタストロフがおとずれて・・・。それもまた劇団の日々のなかのひとかけらであることがゆったりと表現されて幕となります。個で成り立っている一座だから、カタストロフのあとにも一座が動いていく・・・。ちょっと飛躍した見方かもしれませんが、岩松了はいろんな組織の中で没個性になりがちな一人ひとりが、実はそれぞれに自分の歩幅で自分の方向にむかって生きていることをこの芝居の中で表現して見せたかったのかもしれません。

役者のこと、小泉今日子はこれまでに観た彼女の舞台の中で一番生き生きしていました。性のようなものがにじみ出るような感じ。妊婦にしてはちょっと軽すぎる動きも彼女の役柄から見れば尺があっていたように思います。風間杜夫の演じる座長には十分な懐の深さがありました。腹で芝居ができているのがさすがで・・・。

大森南朋、佐藤銀平、大橋智和はいずれも初見、一座の役者というだけではない個性がしっかりと出ていてそれぞれが舞台の幅を大きく広げた感じ。米村亮太郎はポツドールなどで非常に強い印象がある役者ですが、その雰囲気を殺さずに好演だったと思います。姜暢雄のとがった部分から染み出してくる弱さの表現も秀逸でした。

女優陣も個性がたっぷり表現されていて見ごたえがありました。鈴木砂羽は女性としての艶や業を表に出し、佐藤直子はその艶や業がしっかりとしまいこまれ、安藤サクラはその艶や業を何かで隠す感じ・・・。形はそれぞれなのですが、それぞれが女性の個性を十分すぎるほど演じていて見ごたえがありました。中込佐知子の狂気にも瞬時の迫力があり、カタストロフを導くのに無理がない・・・。これも好演だったと思います。

大人計画からの二人、荒川良々平岩紙は一座の時間や価値観と外側のアジャスターのような役割だったように思います。荒川のまわりのエネルギーをふっと吸い取るような演技や平岩の周りを一度に普通の時間に戻してしまうようなある種の個性、大人計画の舞台では当たり前に埋もれていることもある芝居ですが、岩松了の世界にそれがはいると、二人のキャラクターが驚くほどに個性的に機能します。荒川の不器用さや平岩の柔らかい明るさの表現には、ほかにできる人が思い当たらないなにかがあって・・・。いかに彼らが貴重なバイプレイヤーであるかを再認識しました。

芝居を観終わって、ふっと自分の毎日の暮らしに思いがおよび・・・。毎日いろんなことがあっても、それにちょっと無感動になっている自分がいて・・・。でも、自分が毎日に埋没したら、きっとこの芝居にでてくる登場人物たちのような鮮明さも失われるのだろうなとか思ったり・・・。

振り出した雪に足元が悪くなった道を歩きながら、じわっといろんなことが湧き出してくるような・・・。久しぶりの岩松了ワールドにしばし心を奪われた、連休初日でありました。

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