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南光・こごろう親子会 脂がのってまんなぁ・・・

2月27日、南光・こごろう親子会を観てまいりました。東京芸術劇場の小ホールはほぼ満員・・・。前回の吉弥師匠独演会でしっかりとチケットをゲットしておいて本当によかった・・・。

なにせ4列目のセンターやや上手寄り・・・。脂の乗り切ったお二人の芸をしっかりと堪能してまいりました。

桂ちょうば「時うどん」

着々と勢いがある高座でした。明るいのだけれど浮き足立ったところがない・・・。高座に落ち着きがあるから勧進の部分に観客も集中できる。もたつきがないから観客も身をゆだねやすかったです。

うどんやの汁を温める仕草やうどんをとりあうところなど、本当に実直に演じている感じで、でも実直な中でもこっけいさがちゃんと浮き出るよな工夫がされていて・・・。米朝一門のよいところがしっかり感じられる噺家さんでした。

桂こごろう 「動物園」

師匠自らが十八番と自認する噺とのことでしたが、、桂南光一門にとって東京はアウェイ・・・、前半は緊張感が強かったのでしょうか、自在流のすっと肩のちからが抜けたような芸風が多少影をひそめてしまいました。こう、なんていうのですか、噺に乗らずに噺を引っ張っていく感じ・・・。サーフィンでいうといきなり立ち上がらず、バドリングっていうのでしょうか、一生懸命ボードをいい波に持っていくまでの時間がけっこうあったように思います。

それでも手馴れた噺というだけあって、後半からは師匠一流のノリが随所に現れて、観客が前がかり気味に身をゆだねられる高座となりました。「KYK(関東地区は池袋にお持帰り店が一店舗だけ)が東京では通じない」とぼやくあたりが変わり目でしょうか・・・、いったん波に乗れば、あとはしっかりとした語り口とどこか飄々とした部分のある話のもっていき方がすっと会場を包み、に移動動物園のチープな感じと主人公のずぼらさとまどいがすっとはまって、観客がぐぐっと噺に引き寄せられる・・・。

まあ、ホームというか関西などでやられたら、もっとボリューム感がある高座になるのかもしれませんが、それでも、開口一番などでも使われる噺が、磨かれた見事な一品料理に変身しておりました。

桂南光 「初天神」

南光師匠、雰囲気や声質だけを見ると、関西一流の脂っこさが前面に出た噺家さんの印象があるのですが、その風貌とは裏腹(!?)な実に繊細かつ緻密な描写に裏打ちされた「初天神」を聞かせていただきました。人物描写などでも、雰囲気の形態だけでで多くを表すことをせず、小さな言葉遣いや描写を重ねていくなかで、観客側に登場人物の人となりを積み重ねていく感じ・・・。

奥さんがおとっさんの羽織を出すくだりにしても、単純な勢いではなく夫婦の機微が横糸にきっちり織り込まれていたり、向かいのおっちゃんが夫婦の営みを聞きだそうとする場面でも、ただのスケベ心だけではなくおっちゃんのかすかな罪悪感のようなものがちゃんと裏に透けて見える。

露店の飴屋やみたらし団子屋もまたしかり・・・。その場の登場人物がお互いに鏡になりながら双方の人物像が骨太に浮き上がってきます。

こうなると「初天神」はもうお正月恒例の季節噺ではありません。豊かな、聴かせどころ満載の落語の名品に色を変えて・・・。

時間的にはそれほどの長さでもなかったのですが、中身の詰まった量感ののある高座となりました。

仲入り

桂こごろう 「阿弥陀池」

噺の色と噺家の相性が抜群、こういうテンポが必要な噺をしているときのこごろう師匠は水を得た魚です。ぐいぐいと噺を広げていく。噺に入ると不要な重さを排しながら、一方で張りがあるので、観客が一気に噺に惹き入れられていきます。

最初に主人公がだまされるところがまず絶品、嘘のつき方に凜としたところがあるので、噺を知っていても私自身がどこかでだまされてしまう。この切れが噺の生命線で、尼寺の話にしても米屋の話にしてもそこだけで存在感のあるひとつの世界をきっちり作り上げる力量があるから、最後が生きる・・・。あほから話を聞かされてマジになる隣町の知り合いもまた凜として存在感があるから、あほの動揺がいっそう強調されて、笑いをどんどん広げていく。切れが観客の噺に対する知識を追い越して笑いをそれとばかりに引き込んでくる感じ。

味わいは軽やかなのですが、うらでは芸の力でぐいぐいと押していく・・・。その加速感が実にスムーズなのです。別の噺家の方でも何度か聴いた演目ですが、噺自体のイメージを変えるほどの力を感じた高座でした。

桂南光 「素人浄瑠璃」

噺としては「寝床」の落ちが流れたような構成でしたが、南光師匠の高座だったら確かに小僧が泣くサゲまでもっていくのは確かにもったりしてしまうかもしれません。

この高座、もう旦那の人物描写に尽きます。浄瑠璃の会に町内や店の者が参加できない言い訳自体でもう爆笑なのですが、それを聞いているうちにしだいに理性をなくす旦那の、その変化が実に見事で・・・。手代の久七が人を喰ったように語る言い訳のひとつずつで起こる観客の笑いが、そのまま旦那の表情の変化にリンクしていく・・。南光師匠の繊細な演技のひとつずつが旦那の性格や感情を見事に浮かび上がらせていきます。ロビーで売っていた枝雀師匠の「寝床」のDVDを買って観たのですが、枝雀師匠が噺の仕組みを師匠の世界に昇華させて蒸留酒のような味わいできりっと魅せているのに対して、南光師匠は実直にリアルな描写を積み上げて脂ののった旦那に仕上げている感じ・・・。久七の感じについては南光師匠も枝雀師匠のものを踏襲しているので、その差はますます鮮やかに・・・。

当然気分が落ち込んだ後、観客が来て機嫌が戻る部分も南光師匠は一歩ずつしっかりと演じあげていきます。この旦那がまた絶品!久七の嘘の上塗りも爆笑ものなのですが、それにあわせての旦那の変化、旦那の照れというか面映さ・・・、厚みがあって複雑で・・・。味わいぶかいっていうのはこういうときに使う表現なのでしょうね・・・。

で、最後は寝床と違って、旦那の殺人浄瑠璃を前にして、必死に耐える聴き手の宴会風景の場面でぽーんと切ってしまいます。時間の関係というよりも、旦那を表現しつくして最後にもう一度旦那を奈落に突き落とすのは噺が重くなりすぎるということなのかもしれませんが、これはこれでよいやり方かと・・・。

うまいこといえないのですが、枝雀師匠の「寝床」は、素材自体が「鯛」の上品なところを手練の技で品とこくのある一品に仕立てた感じ、それに対して南光師匠のは鰤の脂の乗り切った厚い切り身を、脂の旨さを殺さずにしっかりと焼き上げたよう・・・。南光落語の力量を堪能いたしました。

いやあ、2時間ちょっと、ものすごい長演を聴いたわけではないのですが、充実感は一杯。

枝雀師匠の香りを残しながらも、南光師匠とその一門(=こごろう師匠)の看板がしっかりと立ったよい会だった思います。

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マシンガンデニーロ「フルコンタクト」、ちょっと詰め込みすぎたかな・・・、

coldsweats022月24日にマシンガン・デニーロの「フル・コンタクト」を観てきました。行きがけの埼京線が風のせいで荒川を渡るのに超徐行運転・・・・。ちょっとあせりました。

(ここからはネタバレがありますのでご留意ください。)

物語はたぶん近未来、生命の誕生は国家によって管理されており古事紀にまつわる名前をつけられたコンピュータに登録を許されたものだけが遺伝子を後世に残すことができる・・・・。すべての男性が登録をできるわけでない

ある男、遺伝子の登録を拒否されて、国家システムに対抗する地下組織に勧誘される。その組織が転覆させたものとは・・・。

物語の核心になるいくつかの概念・・・、たとえば遺伝子をつなぐことへの欲求や人を思う気持ち・・・。それらは非常にしっかりと表現されていたと思います。物語の持っていき方も決して悪くはなかった。だからこそ2時間の上演時間ずっと観客側の緊張感が保たれたのだと思います

でも、どこか満たされない感じがのこるのです。少なくとも前作「美しきファームを観たときのような呼吸を平らにしたまま満たされたような気持ちになりきれず・・・・。なんというのか後半に行けばいくほど物語のふくらみに設定がついて行かなくなるというか・・・。

物語の流れに比していろんなことを詰め込みすぎているような・・・。いくつかのシーンに溢れる思いの豊潤さを物語が十分に支えきれていない感じ。

秀逸な工夫はたくさんあると思います。オークションのシーンを舞台に立っている人数の何十倍にも見せたり、布を使って舞台となる建物にしっかりとした距離感を持たせたり・・・。しかしながら、それは場所を表現するのには十分すぎるほどでも、国家や生命にまでかかわるような物語の本質を表現するには足りない。設定の厚みが表現の仕組みを膨らませても、根源にある表現したいものを支える力へと伝わっていないから、物語の流れと作者が表現したいであろう物の本質に乖離を感じてしまうのです。きちんと筋が通って収束もしている物語なのですが、細かく描かれた人物に比して物語の道筋に荒さが目立ってしまった部分があるのは否めません。あるいはもっとシンプルな物語の中でも、役者たちは舞台におかれたメッセージを観客に伝えられたのではないかとも感じました。

そうはいっても、役者たちのできはよく、伝わってくるものもあった・・・。劇団員の松崎映子菊地豪も、これまでの芝居より間違いなくひとつ上のクオリティで芝居をしているし、客演陣にも魅力のある役者がいっぱい…。蜂谷眞未の演技の幅や内海絢の作り出す雰囲気もとてもよくて。

だから作るほうとしても、欲が出るのかもしれませんが、強いて物語の構造を深くしたり、広げた帳尻を合わせなくても、深い表現はできたような…。

物語の最後の微妙にチープな感じが惜しくてならないのです。

次の公演も是非観にいきたいと思うだけの魅力が減じたわけではないし、むしろ技術という側面からの芝居のクオリティは以前の公演より上がったようにすら思えるのですが、今回の芝居がパーフェクトかといわれると・…。ちょっと厳しい言葉を書きたくなってしまうのでした。

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小暮満寿雄展 -素粒子たちの祝典序曲-にかさなる二つの世界

Mixiの中で教えていただいた小暮満寿雄氏の個展を見てまいりました。

場所は銀座6丁目、銀座大通りから一本裏にはいった古いビルの3階・・・。昼休み、急いでお昼を食べてふらっと寄って・・・・。

どちらかというと小さめのギャラリーに飾られた10枚にも満たない油彩画たち。さらっと観れば数分の量、ところがどっこい、かなり長時間釘付けになってしまいました。

多くの絵の登場人物には天使の羽根があります。そして普通の風景に重なる別の空気の層で暮らしているように見えます。たとえばヨーロッパ風のカテドラルと天使の羽根を背負った人物の絵、そこに二つの空気が交わりあっているように感じるのです。ひとつの絵の中に二つの空気の流れを感じる。しかもそれらは乖離するのではなく共存している。現実より実在感を感じる、異なった二つの世界の同居。それらの一枚の絵の中での不思議な統一感・・・、見えないはずの二つの空気がひとつの景色のなかで違和感なく存在している・・・。それは肌で感じる空気と心で感じる空気の混在ようにも思えます。目で観ているのに自分の目ではない部分でその絵の引き込まれるような感覚が、絵の前に立つたびゆっくりと広がっていきます。中国の街の風景もまたしかり、緑の豊かな世界でも・・・。どこか乾いてもいるのですけれどね・・・。

一番大きな絵、「エメイ山を従え、東方の旅立ちに身支度するカーリーを讃える祝典序曲」と題されたその絵にはさらにたくさんの空気の混在を感じました。豊潤なイメージが溢れるよう・・・。不思議な統一感にしっかりと収まってみているものにさらっと包み込まれていく感じ。シャガールをふっと思い出したのですが、小暮氏の絵にははるかに強いリアリティを感じます。むしろダリのようなイメージの重なり方・・・。でもダリに比べてより身近な統一感がある・・。観ている物が混乱から開放されてゆったりとその世界に取り込まれる時間があって・・・。他の作品もそうなのですがまったりとした休息の慰安ではなく、生きて暮らすことの慰安がやってくる・・・・。これもまた不思議・・・。

ギャラリーにいた時間は30分もなかったと思うのですが、狭い出口を出て古ぼけた階段を下りながら、数泊の小旅行からの帰り道のような気分になりました。

この満たされかたってなんなのでしょうね・・・・。

あ、そうそう、とても知的な目をした招き猫のオブジェクトも展示されていて、すごく惹かれた。思わず何かをゆっくりと語り合いたくなりました。それもまた不思議・・・

3月5日まで(木・日休み) 12:00-18:00

ギャラリーミリュウ

東京都中央区銀座6-10-10 第2鎌田ビル3F

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SWA 羽目をはずすも4人4色

13日、SWA「ブレンドストーリー2」を観てまいりました。SWAの構成メンバー、林家彦いち(背番号1)三遊亭白鳥(背番号2)春風亭昇太(背番号4)柳家喬太郎(背番号6)、赤地に3本線の今体育風のとばにもびっくりしましたが、そのまったりしたオープニングもなんか独特の雰囲気で・・・・。しかし、あとでわかったのですが、このまったりしたオープニングには、それぞれの噺の伏線がテンコ盛り・・・。本編までの時間つぶしとあだなおろそかに聴いていてはいけないものでした。今回は自分の小学校が廃校になるという基本設定のもとでそれぞれの創作落語がくりひろげられるのですが、最初の部分が共同の枕のようなものなのですね・・・。

(ネタばれとは言わないかもしれませんが、一応新作落語の内容が含まれますのでご留意ください)

・春風亭昇太師匠

 よくできた噺というか、正統派・・・・。老若男女すべてがきちんと理解できるし、小学生にもちゃんと聞かせることができるお話です。この噺がトップバッターだというのは、噺に基準になりうる品格があるということなのでしょうね。仕込がしっかりとしていて、それらが背筋をしっかり伸ばした語り口の中でひとつづつ実を結んでいく感じ・・・。噺の最初に仕込んだロングパスにその場のショートパスが見事にからんで、次第に観客を取り込んでいく・・・。小気味よさのある高座だったと思います

会全体での位置づけという点では、会での破天荒な部分の最低標準記録のような部分もありまして・・・。ユニークな部分もいろいろとある噺なのですがちょっと常識の枠を感じるところもある・・・。狙っている客層がひろいのしれないですけれど。

まあ、残りのメンバーがそれぞれに強烈ですから・・・、そう感じただけかもしれませんが・・・。

・柳家喬太郎師匠

相変わらずの肌理の細かい語り口で・・・、理詰めで笑わせる部分と力技で笑いを取る部分のバランス感覚が抜群・・・・。超リアリズム的な表現がある一方で、さらっと噺を流す部分もあってこのバランスもまた秀逸・・。噺を手のひらに乗せて、しなやかな手つきで仕事をした上で客にすっと差し出す感じ・・・。

昇太師匠の噺にでてくる同窓会の雰囲気をちゃんと引き継いでいて・・・。一方で幽霊のキャラクターもしっかりと設定されている。噺の輪郭がくっきりあって、そこに喬太郎師匠一流の味付けがあって。

仕込まれたものの結果が終盤どんどん溢れていく感じだけなら、昇太師匠の方が骨格がすっきりしているのですが、喬太郎師匠の表現には立体感というかふわっと浮き立ってくるものがある・・・。表現のため息がでるほどの柔らかさ、だから、幽霊が違和感なく実存できる。・・・。この作業、最後に登板の白鳥師匠の高座にまで生きることになります。

そこまで昇華された表現でありながら、お高くとまったりきどったりしていないのも喬太郎師匠の魅力で・・・。中にとんでもない男女のまぐわいのシーンが織り込まれたり、幽霊が水洗便所に流されたりというのが当たり前のように挿入されていく・・・。シュールであったり、妙に実存感がある艶かしさであったり・・・、それらによって自在に噺の色が変化していくのが観客にはたまらない魅力で・・・。。

後の演者にも噺をつなぐ都合で、噺の成り行きにほんの少し冗漫な部分があったり、さげにもっていく最後の部分で人情噺風にまとめようとしたのがちょっともたもたした部分はありましたが、それでもたっぷりと喬太郎ワールドを楽しませていただきました。

・林家彦いち師匠

パワー落語とでも言いましょうか・・・。噺のもっていきかたも結構強引だし、高座自身にもグイグイ押していくような力が前面に出ていて・・・。でも、そこにいやみがないのが彦いち師匠の人徳で、観客も無抵抗に噺を受け入れてしまうようなところがある・・・。

決して器用な噺のもっていきかたではなく、噺の飛んでいる部分がシュールというより道化という感じがしたり、力がありすぎる表現で、重いものも軽く見えてしまうようなところもあったり・・・。また、場面ごとのつながりもかくかくしていて、それをあとでならしていくような部分も見られたりするのですが、それらが複合すると、えもいわれぬ滑稽感へと熟成していくのです。

その滑稽感のなかに浅間山荘で使われたというとても具体的な道具が登場すると、うそにぱっと色がついたような華やかさが生まれる。この色がなかなか鮮やかで・・・。

こうなると多少噺が破綻していても関係ないですね。とんこつラーメンの無骨なおいしさとも言いましょうか、終わってみれば、充実感がある高座だったと思います。

たまに、中毒患者のように聞きたくなるようなタイプの噺かと・・・。

・三遊亭白鳥師匠

金庫破りの話から始まって、噺が次々と転がっていきます。長い間金庫の管理をしてきたという男が仲間に加わって金庫の錠に「情」をからめて金庫をあけようという、発想だけでも思いっきりシュールな噺に、人情噺の情がからんで、挙句の果てには、金庫が人情噺の主人公となるという・・・・。

しかも、シュールに噺がころがっていきながら、最後を屋台崩しのように破綻させないだけの構成力が白鳥師匠には備わっていて・・・。芝浜などの語り口で裏を補強しながら、やがては喬太郎師匠が育てた幽霊のキャラクターまで金庫に憑りつかせて・・・。その金庫を歩かせて、最後には速度を上げるためにころがって・・・。落ちがわりに横転しながら高座を離れるという離れ業までやってしまう(詳細はあまりのネタバレになるので遠慮しますが・・・。)

いやー、この高座には舌を巻きました。たとえば芝浜のパロディ的な部分って破天荒なのですが裏に芸の心棒がびしっと一本通っていて、観客が人情話の感覚でそのまま金庫がしゃべる噺に乗せられてしまう。そりゃ、冷静に考えればとんでもない方向に噺がすすんでいくのですが、よしんばこじ付けであっても裏地がちゃんとつけられているから、常道から外れてもそこに無理がない。常道の箍がひょいと外れた時点で噺がばらばらに散らばるのではなく、もっと豊かな新しい秩序がさらに物語の懐を大きくしていく。「料理の鉄人」で、想像できないような素材の組み合わせがコンサバティブな料理法で、まったく新しいジャンルの名料理に生まれ変わっていくような・・・。これはすごい・・・!!

これは良いものを聴いたと思ったことでした。

本当に充実の4席で・・・・。同じ制約のなかで緩やかに噺がつながっていくというのも楽しい試みで・・・・。

4人が作る一つのものではなく、ひとつの土台から4人の個性がいっそう味わい深く広がるよい企画の会だったと思います。

R-Club

PS:帰りに白鳥師匠の新刊「砂漠のバー止まり木」を購入・・・。すごく面白くて一気に読んでしまいました。おすすめということで。

Hakuchou1

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「恋する妊婦」透明な下世話感が横たわる世界で

2月9日にシアターコクーンで「恋する妊婦」を観ました。13年前に群像劇を多く手がけていたころの岩松了氏の作品。当時同様演出も行います。私は初見。

岩松了氏といえば、昔、竹中直人の会などで観た作品の緻密さや閉塞感の印象が強く、コクーンのような大きなハコでその純度が保てるか不安だったのですが、その点はまったく杞憂で逆に劇場の大きさが生きたなかで彼らしい演劇空間を体験することができました。

(ここからネタバレがあります。公演中につき特にまだご覧になっていらっしゃらない方は十分にご留意をおねがいいたします)

物語としてはそれほど複雑なものではありません。商業演劇などでは特に珍しくもないストーリーかもしれない・・。しかし、舞台にはある種の臨場感と透明感があります。なんというかとても木目の細かい感触があるのです。この感覚は、竹下直人の会での一連の作品にもあったのですが、今回のような大きな劇場だとそのクオリティがむしろ鮮明になったような気がします。ハイビジョンで高画質の画面をみるような感じとでもいいましょうか・・・。

興味深かったのは、大衆演劇の一座というひとつのユニットのなかで、登場人物のリズムや価値観がすべて異なっていること。外から見たらたぶん同じ匂いがする人間の集団なのに、そのペースや考え方が見事に異なっているのです。舞台の芝居をしっかりやるというその一点ではしっかりとつながっているのですが、それ以外の点ではみんな自分のペースや考え方で生きながら一座の構成員としての自分と折り合いをつけている感じ・・・。しかも、誰もが規律のなかで泳いでいるというか自由でありながら、一方でそれぞれがもたれあっているところもあって・・・。

そして、掟というか一点のつながりが外れたところから事件がおこります。劇団員のふたりが駆け落ちをして舞台に穴をあけます。そこから波紋が広がっていく。いままで、水面下に隠れていて、劇団員のそれぞれに見えていながら手を出すことがなかったさまざまなことが水面に顔を現すことになります。

劇団の若手には若手の想い、中堅には別の想い、そして座長にはさらに別の想いがあります。駆け落ちをしたものたちの想いも、あるいはまだその騒動の渦中に入らないものたちにも・・・・。それらが見事にさらけ出されていく。さらには男と女の違い、男のずるさと純粋さや女のずるさと強さが交錯して漣がさらに広がっていく。

岩松了は、一人ひとりの登場人物について、感情を実に丁寧に描いていきます。また、その感情がぼけないように、他の登場人物との感情のゴリゴリした感じを不必要に舞台上に持ち込まないようにしているようにも思えて・・・。さらにハコの大きさというか前述の解像度の高さが個々の感情表現をよりいっそうピュアなものにしていきます。

結果として、ある種の愛憎劇でありながら、それぞれの感情が淀むことなくすっと舞台を流れていきます。そして流れたあとに残された登場人物の個性がくっきりと浮かんでくるのです。個々が非常に鮮明に表現されていて、それらが重なって初めて集団としての一座がある・・・。一座のある種の下世話さについても、それは一座の属性なのではなく、一人ひとりの価値観や生き方の集積であることが見えてくる。物語がステレオタイプなものであっても、そこにあるのはたくさんの唯一無二の世界であり、単なる場の流れではなく、物語が進むにつれて現れてくる登場人物の個性に観客はゆっくりと惹かれていきます。

物語にはやがて、ひとつのカタストロフがおとずれて・・・。それもまた劇団の日々のなかのひとかけらであることがゆったりと表現されて幕となります。個で成り立っている一座だから、カタストロフのあとにも一座が動いていく・・・。ちょっと飛躍した見方かもしれませんが、岩松了はいろんな組織の中で没個性になりがちな一人ひとりが、実はそれぞれに自分の歩幅で自分の方向にむかって生きていることをこの芝居の中で表現して見せたかったのかもしれません。

役者のこと、小泉今日子はこれまでに観た彼女の舞台の中で一番生き生きしていました。性のようなものがにじみ出るような感じ。妊婦にしてはちょっと軽すぎる動きも彼女の役柄から見れば尺があっていたように思います。風間杜夫の演じる座長には十分な懐の深さがありました。腹で芝居ができているのがさすがで・・・。

大森南朋、佐藤銀平、大橋智和はいずれも初見、一座の役者というだけではない個性がしっかりと出ていてそれぞれが舞台の幅を大きく広げた感じ。米村亮太郎はポツドールなどで非常に強い印象がある役者ですが、その雰囲気を殺さずに好演だったと思います。姜暢雄のとがった部分から染み出してくる弱さの表現も秀逸でした。

女優陣も個性がたっぷり表現されていて見ごたえがありました。鈴木砂羽は女性としての艶や業を表に出し、佐藤直子はその艶や業がしっかりとしまいこまれ、安藤サクラはその艶や業を何かで隠す感じ・・・。形はそれぞれなのですが、それぞれが女性の個性を十分すぎるほど演じていて見ごたえがありました。中込佐知子の狂気にも瞬時の迫力があり、カタストロフを導くのに無理がない・・・。これも好演だったと思います。

大人計画からの二人、荒川良々平岩紙は一座の時間や価値観と外側のアジャスターのような役割だったように思います。荒川のまわりのエネルギーをふっと吸い取るような演技や平岩の周りを一度に普通の時間に戻してしまうようなある種の個性、大人計画の舞台では当たり前に埋もれていることもある芝居ですが、岩松了の世界にそれがはいると、二人のキャラクターが驚くほどに個性的に機能します。荒川の不器用さや平岩の柔らかい明るさの表現には、ほかにできる人が思い当たらないなにかがあって・・・。いかに彼らが貴重なバイプレイヤーであるかを再認識しました。

芝居を観終わって、ふっと自分の毎日の暮らしに思いがおよび・・・。毎日いろんなことがあっても、それにちょっと無感動になっている自分がいて・・・。でも、自分が毎日に埋没したら、きっとこの芝居にでてくる登場人物たちのような鮮明さも失われるのだろうなとか思ったり・・・。

振り出した雪に足元が悪くなった道を歩きながら、じわっといろんなことが湧き出してくるような・・・。久しぶりの岩松了ワールドにしばし心を奪われた、連休初日でありました。

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「ガールフレンズ」ユーミンの世界観を借景に・・・

実はあきらめていたんです。チケットとれなそうだし、けっこう良いお値段だし・・・。しかし、イープラスからのメールでプライスダウンチケットが出ることがわかって飛びつきました。ホイチョイの馬場さんが作られたというのも魅力的だし、もちろんユーミンの歌がたくさん聴けるのも魅力的。堀内敬子さんの歌唱力が楽しめるのもたのしみ・・・。当日引換券を即予約。結構良い席でそれもびっくり・・。

(ここからネタバレがあります。十分ご留意をお願いいたします)

このミュージカル、台詞がまったくありません。基本的には二人がユーミンの歌を重ねていくなかで物語が展開していきます。そのなかで仕草やダンスなどが織り込まれて物語のディテールが形作られていく。

まあ、ダンスミュージカルというジャンルはあるし、ビリー・ジョエルの曲だけをつないだりアバの曲だけを使って物語を組み立てていくミュージカルが大ヒットしたりもしているので、できない話ではないのだろうなとは思っていました。でも、ここまでストーリがしっかりと語られ、登場人物の想いが舞台から生々しくやってくるとは思いませんでした。私自身がユーミンの曲をずっと聴き続けてきた世代だし、いくつかの曲にはアクチュアルな実体験が結びついていたりもするのですが、それとは別のレベルの感動がこのミュージカルにはしっかりと存在しているのです。

堀内敬子さん島谷ひとみさの声や歌唱法が大きく違うのも勝因のひとつかもしれません。島谷ひとみさんのほうがどちらかというとユーミンの歌唱法に近いかな・・・。彼女の歌い方や雰囲気はユーミンの歌詞のもつ匂いや雰囲気を十分に発散させます。ちょっと蓮っ葉にさえ思える語尾がすこしだけかすれる感じに、時代が見事にからまっていき、時代を颯爽と駆け抜けていく女性の姿が浮き上がります。

一方の堀内敬子さんは、本当に丁寧に歌い上げる感じの歌唱、ミュージカル女優としての力を十二分に発揮します。そして、彼女の歌唱はユーミンの歌にこめられた思いを美しいメロディーに昇華させていく感じ・・・。抜群に安定したその歌声はしっかりと主人公の想いとユーミンのメロディーを重ね合わせて、もうひとりの女性の心情をしっかりと浮き彫りにしていきます。ユーミンの曲を聴いていて女性が持つある種の不器用さまでを感じるのです。そのメロディーと詞に織り込まれた女性の心の想いが、彼女の美しい歌声で洗い出されるように舞台を包み込んでいきます

ユーミンの歌に潜むスタイリッシュな部分と心の奥の心情のような部分、二つの要素が二つの声でそれぞれの物語を織り上げていく・・・。最初は歌で物語を重ねていたのがいつしか物語を歌が彩るように変わって・・・。そのころには観客はすっかりと物語の虜になっている・・・。

ダンサーたちや共演の男優たちの仕草も舞台を豊かに広げ、物語の行く末が歌に浸潤しながら膨らんでいく感じ・・。まばゆいような学生時代から30台にいたる二人の女性の人生、ユーミンの歌に織り込まれた風景や物語の豊潤さが、二人の歌や創意に富んだを共演者たちの演技、さらには背景のスクリーンに映される画像でどんどんリアリティをもっていく。楽しいばかりの物語ではないけれど、その時々の登場人物の心情がユーミンの色に染まりゆっくりと観客の心を開いていく。、

終盤、堀内敬子が流した涙が観客の心情と見事に重なります。ユーミンの歌の世界に封じられていた想いと物語の流れでやってきた想い、そして歌い手の気持ちがまるで三原色が重なるようにすっとひとつの透明感を作り上げる・・・。その透明感に観客は柔らかく息を止め、自分の生きている、あるいは生きた時間やそこでともにすごした人のことに思いをはせるのです。

背景のスクリーンに映し出される歌詞のプロンプトも効果的だし、5pcのバンドの演奏にもグルーブ感があり・・・。ダンサーたちにも不安定さがまったくなく、瞠目するという感じではないけれど心地よい切れがあって、振り付けも派手さはないけれど小粋でおしゃれ・・・。

曲も「ロッジで待つクリスマス」「天気雨」「中央フリーウェイ」「冷たい雨」悲しいほどお天気」「街角のペシミスト」「青いエアメイル」「やさしさに包まれたなら」「土曜日は大キライ星空の誘惑」などなど・・・。ひとつずつが懐かしいものばかりなのですが、物語のなかではそれぞれの曲が持っていたニュアンスがいまさらながらにとても新鮮に感じたりもして・・・。

力技で大向こうをうならせるような作品ではないけれど、自分のサイズにぴったりのミュージカルに出会ったような気がしたことでした。

地方公演がまだ残っているようですが、もしごらんになるチャンスがあれば、是非にお勧めの一品です。

一応、出演者を・・・、念のため出演者を(Wキャストは私が見たバージョン、裏(?)バージョンは鈴木蘭々さんと池田有希子が演じていらっしゃるそうです)

堀内敬子・島谷ひとみ・加持将樹・中村昌也・大橋明日香・植木理奈子・吉岡麻由子・谷古宇千尋

[バンド}大高清美(Kb) 大隅一菜(Kb)yoko(Dr)菊池聖美(Bs)長井ちえ(Gu)

(おまけ)

さて、私が見た回にはトークショーがありまして・・・・。これも結構楽しませていただきました。何を?ってもちろん生「堀内敬子」さんを・・・

舞台の彼女を見て「こけらおとし」での三谷幸喜さんによる堀内評、あるいは「ほれゆけ、スター大作戦」での生瀬勝久の堀内評・・・、その意味がなんとなくわかったような気がします。たぶん、彼女ってすごく純粋な面を持っていて、どこかで思ったことや感情がそのまま抵抗もひっかかりもなくでてしまうタイプなのでしょうね・・・・。4人ステージにあがってのトークショーだったのですが、司会者と他のメンバーのやり取りに、いろいろと突込みをいれたり、ちょっとびっくりするような発言がすっと出たり・・・。

でも、そういう部分があるから、彼女の舞台での感情の変化には力みがなく、そのまますっと観客に浸潤してしまうし、彼女の涙と観客の想いが驚くほど見事に一致するのだろうと思ったことでした。

彼女の天性の一端を見せて頂くことのできた貴重なトークショーだったと思います。

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東西落語研鑽会 これを至芸といわずして

ちょいと前の話、1月29日、よみうりホールでの東西落語研鑽会を観てまいりました。18時30分開演はサラリーマンにはちょっとつらい・・・。銀座を大急ぎで歩いて何とかセーフでありましたが・・・。

でも、急いだ甲斐がありました。なんかすごい会でした。

「権助提灯」 柳家三三 

三三師匠がなんとトップバッターです。この会の力量がなせる業です。飄々とした感じで高座に上がられるとあいかわら切れと艶のある語り口で・・・。観客は気がついたら舞台にすっと目を持っていかれている感じ。客の掴み方が本当に上手です。

噺に入るところにも力みがありません。すうっと噺の世界に誘われるよう。しかし、いったん噺の世界にはいってしまうとそこは女の意地の張り合い、正妻の腰の据わり方と妾のプライド・・・、本当に見事に描き分けられていました。

しかし一番感心したのは権助の表現で・・・。だんなを旦那と思わないというだけではなく、核心をつく一言のタイミングというか切れが抜群なのです。ピントがすっとあう感じ・・・。。これがまたおかみさんとお妾さんの言動を引き立てる・・・。旦那は哀れなものですが、男の甲斐性なんてそんなものかもしれません。

提灯のいったりきたりからさらに加速度がついて・・・・。転がり落ちるような感じがたまりませんでした。

「鋳掛屋」 桂 春団治 

春団治師匠、20年以上ぶりに高座を拝見しました。

そりゃね、もうええお歳やというのは事実です。声の張りも昔を知っているだけに当時と違うのは事実・・・。でも衰えたのではなく枯れたという感じで、凛とした高座の空気は昔のまま・・・。羽織をすっと脱ぐ仕草の美しさといったら・・・。きちんと高座に美学があって、それが少しも崩れていない・・・。お客様を立てる語り口、筋目がびしっと通っていて、観客の背筋まできゅっと伸びてしまうほど。

鋳掛屋さん自体を昨今あまり見かけなくなりましたから、演じられることも少なくなっているのかもしれませんが、市井の雰囲気や子供たちの生き生きとした姿は本当に魅力がいっぱいです。子供を演じるときの春団治の声色の多彩さ、そして相手をする鋳掛屋の表情の明るさ。

いいんですよ・・・。理屈じゃないですね、こういうよさって。

「あくび指南」 柳家 小三治

桂春団治師匠ご出演の映画をBSで観たお話が枕、観ていれば感情を共有できたのにっていうことで「そうかもしれない」という映画の連呼が枕代わり・・・。師匠一流の語り口でさくっと噺にはいります。

習い事の遍歴を語る導入部分は上方落語を聴きなれた私にはちょっとはしょった長さに感じたのですが、その分本来のあくびの師匠がとても丁寧に描かれていて・・・。そこがしっかりしているから、不器用な男があくびの稽古をするおかしさが波状攻撃でやってきます。最初に超スローカーブを投げておいて、そのあとしっかりと球筋の定まった直球が一気に笑いをブレイクさせる感じ・・・。

タバコのすいっぷりがおかしくて、あくびが出ないおかしさも根をしっかりと張っていて・・・。味がしっかりと深い。

中入り前、たっぷり楽しませていただきました

中入り

「茶の湯」 春風亭 昇太

コンサバティブな「茶の湯」に比べて、若干今様な部分が多い感じ・・・。工夫があちこちに見られて。それが8割くらいは良いほうに出て、その代償として2割くらい昔ながらの何かを失っている感じですかねぇ・・・。でも差し引きで6割の部分が面白くなっているのなら、こういう演じ方も絶対ありだと思います。

一番感心したのは家作の三件長屋のくだり、ぐいぐいと絡め取るような勢いがありました。良い歳をして茶の湯を知らないことを隠すのに引越しというのも乱暴な噺ですが、その乱暴が三軒長屋のコモンセンスになっている様な表現が実に生き生きとしていて・・・。

一方で利休饅頭の作り方のあたりは時間の都合で適度に割愛した感じ・・・。もうすこし茶と御菓子のひどさに解説が入ってもよかったような気がしました。しかし落ちはゆっくりと丁寧にきっちりと収めて噺がきゅっと締まった感じになりました。

まあ、小三治師匠なんかで昔聞いた「茶の湯」なんかと比べると笑わせる力点がかなり違っていて、聴く方も慣れがあるから最初はちょっと違和感がある・・・。でもそれらが噺が流れ出すとたちまち霧散していくところに昇太師匠の力量を感じたことでした。

「天下一浮かれの屑より」 林家 染丸

いったん幕が下ろされて、高座の台座がはずされて染丸師匠が登場です。この噺、江戸落語では紙屑屋というのだそうで・・・。

昔は某大店の若旦那、遊びが高じで落ちぶれて、今では昔の知り合いの二階に居候・・・。で、半分もてました知り合いは紙くずのより分けの仕事旦那に紹介します。しかし、そこに出てくる手紙や都々逸の本などを読んでいるうちに想像がたくましくなって妄想をはじめる。手紙の女性を妄想し、謡の本がでてきたら、その一節から謡に入り込んでしまう・・・。、上方落語には「はめ物」という伝家の宝刀がありますから、当然そこに粋なちんとんしゃんが入るわけで・・・。

作業をしている長屋の片どなりを稽古屋、反対側では孝行息子が病身母親を看病している設定にして、芸事の本が出ていたゆうては下座が音曲を流すわけです。

で、若旦那の染丸師匠が座布団の上で踊りだす・・・。それも上半身だけで踊るのではありません。しゃがんだ格好で座布団の上を回るのです。こういうのを音曲噺とも言うのだそうですが、そのはまり方が芝居噺の比ではない。体力がいるやろとは思うけれど観ているほうには心が浮き立つような感覚がしっかりと伝わってきます。、稽古屋の音曲に合わせていつまででも踊っているような感じがしっかり・。隣の孝行息子が怒鳴り込んでくる設定忘れたら明日まで踊っていそうな感じ・・・。居候はあほですけれど、あほと切り捨てるのではなくあほの心情ががしっかりと表現されているのです

枕で、なくなった小文枝師匠(逝去時文枝師匠)から教わった噺だととおっしゃっていましたが、故文枝師匠とはまた違う華が染丸師匠にはあって・・・・。文枝師匠のような艶とはちょっと違うのですが、なんていうのかきめの細かい色気のようなものが染丸師匠から伝わってくる。抜けるような華やかさではないのですが観ていて楽しい。、長屋が浮かれたつような感じにものすごいリアリティがあって・・・。

こういう噺で聴く三味線の粋で心浮き立つこと。まあ、そう思わせるのが染丸師匠の芸でもあるのでしょうけれど・・・。

あんまり聴くことのない話だけに、観ていて興味も尽きず、関西風の落ちもしっかりときかせていただけて・・・、充実感たっぷりの主任でした。

帰り道はちょっと雨、でもええ噺を聴いた後は雨があまり気になりませんでした。

至芸は人を満たすのかもしれませんね・・・。

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