ニブロール「ROMEO OR JULIET」私の時間に舞台をおくのではなく、舞台の時間が私に降りてくる
ニブロール10周年記念公演となる「ROMEO OR JULIET」を観てまいりました。今週は東京地方も急に冷え込んできて三軒茶屋も結構寒かった。少し早くついたので、茶沢通りをふらふらとお散歩・・・。246を背にゴリラビルから左に入って少しのところにある小さなお菓子屋さんでクッキーを買って、ちょっとはしたなかったけれど少しずつ歩き食い。けれんのないゆっくりとやってくるような上品なおいしさで寒さを紛らわせながら劇場へ・・・。(クッキーを入れてもらった黄色い袋には「It conforts you when you are down and gently untangles your tense feelings」と書かれているのですが本当にそんな感じのクッキーです。)
なにか良い予感が心地よく感じながら劇場の座席へ・・・。で、実際に見たものは・・・予感をはるかに上回るものでした。
(ここからネタバレ的な表現が多数登場します。ご留意の上読み進んでいただきますようお願いいたします)
ニブロールについては、前回、有明で「no direction」を観たとき、パフォーマーたちの切れのよさや発想のおもしろさ、さらには圧倒的な映像の力には感銘を受けたのですが、作品としてみたときは統一した世界観が希薄な印象がありました。ひとつずつのシーンが並べられていくというか、まるで花火を観ているような気分になっていたのを覚えています。個々のシーンにこめられたパワーは伝わってくるのですが、それが私の中にとどまらずに抜けていく感じ・・・。
しかし、今回は違いました。
息を呑むような美しい映像から始まるステージ、パフォーマーたちの研ぎ澄まされたような動きは、圧倒的な映像の力とともに時に鋭くあるいはやわらかに私を凌駕し、たちまちのうちに私の中に居座っていた時間・空間感覚の箍をはずしてしまいます。
ダンスを引き立てるためのシンプルさを手放すことなく、一方で表現する感情のなかに遊び心や優雅さや主張がしっかりとこめられた音楽たち。世界を作り出し広さを作り出し、時の流れを表し時の流れを消し、概念を与え概念を奪い、さらには演じ、踊り、主張すらしていく映像と照明。
パフォーマーたちの動きは、ビビッドで、創意に溢れ、表現する志に高く、観客を満たしつくすほど豊潤です。高い表現技術に裏打ちされた個々のパフォーマーたちの、力感を超越し、爪の先を通り越してフロアーにまで神経が通っているような表現には不必要なノイズが一切なく、抜群の安定感が観客を惹き込んでいきます。ひとつずつの関節や腱の動き、角度、早さ・・・、それらにこめられた意図が無駄なく観客に伝わっていく感じ。やがて動作は言葉までも巻き込み、映像を背負い、さらには映像とともに空間に構築された世界観を深く押し広げていきます。分散した動作はさらに大きな部分に収束し、ユニゾンの動きは見事な厚みをもって観客を囲い込む・・。舞台上のシーンは広がり狭まり、厚みを増したその先でフラットなシェイプにかわり、時に分かれ重なっていく。それは大きなうねりにもなり鋭い刃物にもなって観客を揺さぶっていきます。しかし個々のシーンにどれほどの独創性が見られても舞台としての一体感や統一感がが失われることはなく、よしんばシーン間でのテーマにつながりが見えなかったとしても底流に流れる微粒子のような空気がそれぞれのシーンをしっかりと観客の内側でつなぎとめていきます。(この繋がりが「no direction」では弱かったように思います)
そのなかで、パフォーマーたち個々が演じる世界がしっかりと立っているのです。10月に新宿「非常口」で観たパフォーマンスに出演されていた、たかぎまゆさんや木村美那子さんたちが作る世界からは具体性の強い物語がしっかりと伝わってくるし、比較的若いダンサーたちの鋭い切れはシーンの抽象的な部分に秀逸なトリガーを与えていきます。パフォーマーたちの演技の伸びやかさがさらに観客の心の間口をひろげていく。声、感情の発露、想いのやりとり・・、断片の精緻な具象化。個々の表現力の積み重なりがシーン全体のテーマへとつみあがっていく
結果、舞台から劇場全体にまで広がって創造された時間軸と空間軸が、観客に理性を超えた感性として舞い降りてきます。ステージにあるものを理性で理解しようとする自分が、ステージからあふれ出してくるものに身をゆだねようとする自分に塗り換わっていく・・・。始まりからわずか数シーンで、なにかが臨界点を超えて広がっていく感覚・・・。自分の存在の不確かさ、それに抗う気持ち、求める気持ち、つながる気持ち、その普遍性、それらが編みこまれた時間の流れ、世界観、性の属性、幼少期からのジェンダーへのしがらみ、とまどい・・・。時間軸が動き、ジェンダー間で共有しうるものと共有し得ないものが、舞台に明示されるにしたがって、一番最初のシーンの意味がふたたび心をよぎる・・・・。それはロジックとしてつたわるのではなく、理性的に組み立てられていくのでもなく、全体を通じてひとかたまりに観客の内なる感覚として伝わっていく・・・。
カーテンコールでのパフォーマーたちの晴れやかな表情を観て、彼らは伝えきったのだと思いました。そして私は拍手をするなかで受け取ったものの大きさをゆっくりと実感していきました。
何回ものカーテンコールも不自然さはまったくなかった。そのことがこの作品のクオリティを証明してしていたように思います。
今回のダンサーたちは以下のとおり
木村美那子 黒田杏菜 たかぎまゆ 高橋幸平 武田靖 原田悠 福島彩子 藤原治 ミウミウ 陽茂弥 矢内原美邦
ニブロール、これからも目が離せません。
R-Club
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント