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吉弥のお仕事 沈黙を金にして

24日内幸町ホールにて吉弥師匠の会を拝見しました。今年は去年にも増して落語に浸ってみようと思っておりまして、その第一歩も兼ねて・・・。

実は先週見た鹿殺しを先にアップしようかと思ったのですが、いろいろと考えることもあり、先にこちらから感想を・・・

・古今亭志ん坊 「もと犬」

くっきりした語り口の噺家さん、同じトーンで語られる噺の導入部分にはやや平板な感じがありましたが、人間に戻ってご隠居の家にいってからは、このトーンの統一感がしっかりと生きていました。ご隠居としろの噺のかみ合わなさが着々と積み重なるように観客の笑いに変わっていく感じ・・・。噺の進め方に安定感もあって、よい出来の開口一番だったと思います。

・桂 吉弥 「たちぎれ線香」

三味線の師匠が帰阪の新幹線に乗るために、中入り前にもってきたというこの噺・・・・。まあ本当の事情はどうかしりませんけれど、この噺を聞かされてすぐ打ち出し太鼓では落語の会からの帰路として観客にちょっと思いが残りすぎるということなのかもしれません。たちぎれ線香といえば聴き応えがたっぷりあり、常識的にはやっぱりトリの演目だとは思いますが、そうはいっても会としてのバランスが崩れた感じはまったくなく、なんか気持ちよく客が帰れる感じ・・・。こういうのもありかなと感じさせる番組構成になりました。

NHK連続ドラマ「ちりとてちん」のもりあがりをひとくさり枕にしての本編、吉弥師匠の人物描写の鮮やかなこと・・。

まず瞠目したのが番頭のだんまり・・・、だまってタバコを一服やるしぐさのすばらしさ。枯れきった味わいのある番頭ならやる人はほかにもいます。しかし吉弥師匠の番頭には力がみなぎっている。演者の年齢も多少はあるのでしょうけれど、それだけでは説明できない力がぐっと表情に篭っていて、腹の太さというか豪胆さがしっかりと出ている。会場の空気がピンと張る感じ・・・。この力が番頭にあるから、蔵座敷前後の番頭と若旦那のやりとりがまた生きる。蔵に入れられる前の若旦那の青さというか未熟さもよう出ていました。番頭と若旦那を描く線の違いで、しっかりと人生経験の差を浮き上がらせる・・・。ただ、太い細いとかいう表現の違いだけではなく、線の色や背景の雰囲気も絶妙に描き分けて・・・。結果として、若旦那の事情だけではなく、当時の社会のフレームというか商家の定めのようなものがしっかりと表現されるから、こいととの顛末がますます不憫に思えてくる。

こいとのおかみさんについてはぐっと抑え目の口調で、これには功罪があると思いました。おかみさんの想いがちょっとぼけた感じ・・・。こいとを失う原因を作った若旦那への想いをすっと胸に収める感じは十分に出ていたのですが、番頭の人物描写をみているだけに内なる心情の表現がやや物足りない感じ・・・。ただ、その語り口だからこそ、演じられることのないこいとの人物像が見事に浮きあがったような気もします。お互いに一目ぼれをして、守られなかったひとつの約束に箍が外れて一途に走り出す姿・・・。「ロミオとジュリエット」のような年代の二人に一気に実存間が出てくる。こいとの朋輩が若旦那を見て「こいとちゃんの仇」というところをたしなめる仕草でおかみさんの色もすっと戻って・・・・。

三味線の音を背景にこいとに語りかける若旦那、酒をのむ一瞬の間になんともいえない切なさがありました。すりガラス越しで浮かんでくるようなその心情。長短さまざまな間にひそむ若旦那の達観と切なさが語り口からじわっと伝わってきて・・・。恥ずかしながらちょっとだけ涙がこぼれました。

中入り

・桂まん我 「ちりとてちん」

吉弥師匠の会で「ちりとてちん」を持ってくるベタさに嫌みがない。まあ、中入り前大ネタの「たちぎれ線香」がかかってしまうと、いくら休憩をはさんだとはいえ次の演者はそれなりに機転をきかしたネタで勝負せなならんでしょうし、だからといって勝負を逃げたようなねたでは客が許さんでしょうし・・・・。そういう意味での「ちりとてちん」、よい選択だったと思います。ネタ自体が場にしっかりとはまった感じ。また、まん我師匠の雰囲気がいいんですよ。さらっと出てきて彼の色がすっと立つ。その色が毒消しのわさびや梅干のように働いて、吉弥師匠の会での「ちりとてちん」をええ意味でのしゃれにしてくれはる・・・・。

そのほっとするキャラクターは枕からサゲまでずっと生きていました。明るさがあるのですが、それが眩しさではなく間接照明で照らされるような感じ。当たりはやわらかいけれど押しが意外と強い芸風で、気がついたら観客がその雰囲気に囲い込まれてしまっています。「ちりとてちん」はされる方がされるときわめてインパクトの強い噺なのですが、あたたかい華があるように感じるのも演者のキャラクターのなせる技でしょうか・・・。正統派なのですが、「ちりとてちん」が持つ毒ではなくいたずら心というか滑稽さを強くフィーチャーした感じで、その分観客がからっと笑えるの要素が強くなっていました。

まん我師匠のキャラ、これは武器ですよね・・・。彼の個性で新たな色が出てくる噺ってほかにもけっこうあるのではと感じたことでした。

・桂 吉弥 「かぜうどん」

売り声が枕になって、そこもお楽しみ。関西風の昭和の売り声(ローカルで有名な洗濯屋さんのテーマソング)なんかも聞けて場がすっとなごむ・・・。年代は違いますが、私が育ったのも大阪北部ということでその空気を肌に感じることができました。

本編、うどんやの心の動きがよく出ていて・・・。売れると思たらうれへんで、大丈夫かと思ったら大もうけ、その間のうどんやの喜怒哀楽が、まるで呼吸の音を聞くように観客に伝わってきます。どこか滑稽な感じはちゃんと残っているのですが、滑稽さを笑うよりうどんやに感情移入をしてしまうような感じになる・・・。

売り声が凜としているから、寒さもしっかりと伝わってきて・・・。最後の風邪ひきの客が食べるうどんの、なんともおいしそうなこと・・・。どっかのうどん屋の2階でこの噺を聞いてうどんを食べる会をやったらお代わり続出になりそうな・・・。

まあ、中身がぎゅっとつまった良い会で、ほんまにええ時間をすごさせていただきました。駅で晩御飯代わりにうどんを一杯、いつもより倍はおいしく感じられたことでした。

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ニブロール「ROMEO OR JULIET」私の時間に舞台をおくのではなく、舞台の時間が私に降りてくる

ニブロール10周年記念公演となる「ROMEO OR JULIET」を観てまいりました。今週は東京地方も急に冷え込んできて三軒茶屋も結構寒かった。少し早くついたので、茶沢通りをふらふらとお散歩・・・。246を背にゴリラビルから左に入って少しのところにある小さなお菓子屋さんでクッキーを買って、ちょっとはしたなかったけれど少しずつ歩き食い。けれんのないゆっくりとやってくるような上品なおいしさで寒さを紛らわせながら劇場へ・・・。(クッキーを入れてもらった黄色い袋には「It conforts you when you are down and gently untangles your tense feelings」と書かれているのですが本当にそんな感じのクッキーです。)

なにか良い予感が心地よく感じながら劇場の座席へ・・・。で、実際に見たものは・・・予感をはるかに上回るものでした。

ここからネタバレ的な表現が多数登場します。ご留意の上読み進んでいただきますようお願いいたします)

ニブロールについては、前回、有明で「no direction」を観たとき、パフォーマーたちの切れのよさや発想のおもしろさ、さらには圧倒的な映像の力には感銘を受けたのですが、作品としてみたときは統一した世界観が希薄な印象がありました。ひとつずつのシーンが並べられていくというか、まるで花火を観ているような気分になっていたのを覚えています。個々のシーンにこめられたパワーは伝わってくるのですが、それが私の中にとどまらずに抜けていく感じ・・・。

しかし、今回は違いました。

息を呑むような美しい映像から始まるステージ、パフォーマーたちの研ぎ澄まされたような動きは、圧倒的な映像の力とともに時に鋭くあるいはやわらかに私を凌駕し、たちまちのうちに私の中に居座っていた時間・空間感覚の箍をはずしてしまいます。

ダンスを引き立てるためのシンプルさを手放すことなく、一方で表現する感情のなかに遊び心や優雅さや主張がしっかりとこめられた音楽たち。世界を作り出し広さを作り出し、時の流れを表し時の流れを消し、概念を与え概念を奪い、さらには演じ、踊り、主張すらしていく映像と照明。

パフォーマーたちの動きは、ビビッドで、創意に溢れ、表現する志に高く、観客を満たしつくすほど豊潤です。高い表現技術に裏打ちされた個々のパフォーマーたちの、力感を超越し、爪の先を通り越してフロアーにまで神経が通っているような表現には不必要なノイズが一切なく、抜群の安定感が観客を惹き込んでいきます。ひとつずつの関節や腱の動き、角度、早さ・・・、それらにこめられた意図が無駄なく観客に伝わっていく感じ。やがて動作は言葉までも巻き込み、映像を背負い、さらには映像とともに空間に構築された世界観を深く押し広げていきます。分散した動作はさらに大きな部分に収束し、ユニゾンの動きは見事な厚みをもって観客を囲い込む・・。舞台上のシーンは広がり狭まり、厚みを増したその先でフラットなシェイプにかわり、時に分かれ重なっていく。それは大きなうねりにもなり鋭い刃物にもなって観客を揺さぶっていきます。しかし個々のシーンにどれほどの独創性が見られても舞台としての一体感や統一感がが失われることはなく、よしんばシーン間でのテーマにつながりが見えなかったとしても底流に流れる微粒子のような空気がそれぞれのシーンをしっかりと観客の内側でつなぎとめていきます。(この繋がりが「no direction」では弱かったように思います)

そのなかで、パフォーマーたち個々が演じる世界がしっかりと立っているのです。10月に新宿「非常口」で観たパフォーマンスに出演されていた、たかぎまゆさんや木村美那子さんたちが作る世界からは具体性の強い物語がしっかりと伝わってくるし、比較的若いダンサーたちの鋭い切れはシーンの抽象的な部分に秀逸なトリガーを与えていきます。パフォーマーたちの演技の伸びやかさがさらに観客の心の間口をひろげていく。声、感情の発露、想いのやりとり・・、断片の精緻な具象化。個々の表現力の積み重なりがシーン全体のテーマへとつみあがっていく

結果、舞台から劇場全体にまで広がって創造された時間軸と空間軸が、観客に理性を超えた感性として舞い降りてきます。ステージにあるものを理性で理解しようとする自分が、ステージからあふれ出してくるものに身をゆだねようとする自分に塗り換わっていく・・・。始まりからわずか数シーンで、なにかが臨界点を超えて広がっていく感覚・・・。自分の存在の不確かさ、それに抗う気持ち、求める気持ち、つながる気持ち、その普遍性、それらが編みこまれた時間の流れ、世界観、性の属性、幼少期からのジェンダーへのしがらみ、とまどい・・・。時間軸が動き、ジェンダー間で共有しうるものと共有し得ないものが、舞台に明示されるにしたがって、一番最初のシーンの意味がふたたび心をよぎる・・・・。それはロジックとしてつたわるのではなく、理性的に組み立てられていくのでもなく、全体を通じてひとかたまりに観客の内なる感覚として伝わっていく・・・。

カーテンコールでのパフォーマーたちの晴れやかな表情を観て、彼らは伝えきったのだと思いました。そして私は拍手をするなかで受け取ったものの大きさをゆっくりと実感していきました。

何回ものカーテンコールも不自然さはまったくなかった。そのことがこの作品のクオリティを証明してしていたように思います。

今回のダンサーたちは以下のとおり

木村美那子 黒田杏菜 たかぎまゆ 高橋幸平 武田靖 原田悠 福島彩子 藤原治 ミウミウ 陽茂弥 矢内原美邦

ニブロール、これからも目が離せません。

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仏団観音びらき 「蓮池極楽ランド」 は極上の七味をかけたごった煮の

劇団名も公演名も結構すごい・・・。実は桂都んぼ師匠という米朝一門の噺家の方のMixi上の日記で公演を見つけて・・・。劇団名を見たときには、なんか宗教団体の布教活動かともおもいましたが、実際にはぴりっと社会風刺のスパイスが聞いた非常に秀逸な関西演劇でした。

(ここから先にはネタバレがあります。十分ご留意の上読み進んでいただきますようおねがいいたします。)

物語は、ショーから始まります。ちょっとチープでどこかずれている感じ・・・。芥川龍之介先生の蜘蛛の糸をかなりデフォルメしたような作品なのですが、この崩れ具合が絶妙で・・・、物語のトーンがこのショーから決まっていきます。出演者の内側の関係、経営者との関係などが描かれていく中で、とても一流にはなれないけれど、でも一応プロというきわどい場面を生きていく人々の姿が見事に洗い出されていきます。

作者の本木香吏は、自らがテーマパークのキャストであった経験を生かしてそのチープさと危うさの中で生きる人々を赤裸々に描いていきます。一方で夢をうるというか、非現実の世界を作り出しながら、現実の生活がしっかりあって、生身の人間たちの下世話な話がころがっている・・・。一人ひとりの物語の交差点の上で行われるようなショーのどうしようもないはかなさのなかに、登場人物それぞれのプライドや感覚がぽとぽととにじみ出てくる・・・。

でも、そうはいっても湿っぽいだけの話にならないところが、この劇団の強みなわけで・・・。あこぎにさえ思える関西テイストの笑い、女性の生理まで露骨に登場する生々しさ、不倫に同性愛、新興宗教といったひとつ間違えばしゃれにならない世界をすれすれで通過するような危う気持ちよさ・・・。過剰なプライドと不必要な卑下、盛り上がらないテンションとあがりすぎるテンション。それらがごった煮になって、でも市井の生活が不思議と浮かんできて・・・。

どうにもならないけれどなんか温くてでられないような・・・。その中庸さってたぶん日本人の90%以上が浸っている世界かも・・・。ひとつ間違えば大変なことになるようなアブノーマルな世界なのに、なぜか親近感が沸いてしまう。100%満たされることも救われることもない中で、でも地獄に落ちきることもなく、それなりの居場所を見つけて人は生きていける・・・。

2時間、どっぷりと芝居の世界につかりながら、気がつけば後日談の映像のなかに、観客は普通の人生のスライスをいくつも見つけて・・・、おもろいと思いながら納得してしまうのです。

派手さはないけれどなんか心に残る・・・・、というかきわめて忘れにくい・・・。

劇団はいろいろと大変らしいですけれど、この劇団の持つ吸引力にもっと惹かれたいような・・・。次回公演がぜひありますようにと真摯に願ったことでした。

役者については、桂都んぼ師匠以外すべて初見、でも、若干演技力のばらつきはあるもの、一人ひとりが目鼻だちがはっきりとした演じ方をしていて、それぞれのキャラに観客が感情移入をしていける・・・。例外なく好演だったと思います。

おかま役の藤原新太郎は一人で舞台を保つことができるだけの力量がありながら、出るところは思いっきり出て抑えるところはしっかり抑えるという演技の濃淡が見事でした。根本には押し出しがあって舞台をしっかりと引っ張っていく感じ。

ショーのぬいぐるみを担当した、本木香吏・藤原求実子・小林徹・ベッカム木下にはそれぞれに役柄の個性というか、存在の説得力を作り出すだけのパワーを感じました。演技の中に物語に安易に流される部分がなく、役の方向性を堅持しているのがよい。特に藤原の演技にはしゃきっとした歯切れがあり、観ていても気持ちがよかったです。萬知昭の腰の据わり方や東口善計の不可思議な誠実さも物語を縁の下からしっかりとささえていました。

天女役の広田あきにはある種の唯我独尊的な間口の広さがあって、見ていてじわっと彼女の世界が観客に伝わってきたし、同じ天女役の宮奥雅子が演じるこだわりの強さと見事な相乗効果だったように思います。

峰U子は怪演、一定した演技のトーンをきっちりと保ちながら、裏側で抑えているものをしっかりと観客に見せることができる深さを持っていました。池下理都子も事務方の冷静さの裏側に潜む女がすごく生々しくて・・・。桂都んぼも男としての存在感というか、しゃあないなあと思わせるだけの性というか業のようなものが、ふわっと劇場全体にただようような演技を見せました。一振りほどの誠実さが男の根本にあるちょっと痛んでいくようなだらしなさを浮かび上がらせた感じで存在に説得力がありました。

松岡里花のデフォルメしたような存在感と濱崎右近の人を喰ったようなファンぶりも、演じられる世界の外堀をしっかりと造っていたと思います。

客いじりがあったり、ディズニー系の極上の時事ねたがさらっと入ったり・・・。ごった煮のそれぞれの味がお互いを生かしあって、もつ煮込みのおいしいやつに原了郭の黒七味をぱらりと振って銘柄のようわからん焼酎をしこたま飲んでほろ酔いになったような・・・・。

過去好演のDVDも購入してみたのですが、なんか癖になるんですよ・・・。この劇団の芝居。うーーーん、ようわからんけど、麻薬に近いようななにかが含まれていて、常習性があることだけは間違いありません。

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最近のおきにいり

ここのところ、お芝居の感想ばかりだったので、たまには最近面白かった本やCDのお話などをすこし・・・。

最近のお気に入り Book

・「おまけの子」 畠中 恵著(新潮文庫)

  TVドラマにもなった「しゃばげ」シリーズの文庫版最新刊。ハードカバーではさらに何冊かでています。

  世界をちゃんと持っていて、妙に居心地がよい。主人公の超病弱若旦那の性格描写がしっかりしているから、回りの妖(もののけ)たちとの性格のずれがとてもおもしろい。一度読んで終わりというのではなく、前読んだ話であっても、疲れて電車に乗るときなど、読み直してちょっとその世界に戻りたくなってしまうような魅力があります。

ただし、もしこの世界に入りたいのなら、第一巻からがおすすめ。「しゃばげ」、「ぬしさまへ」「ねこのばば」を先にぜひ・・・。積み重ねて自分のなかにしゃばげワールドを作り上げていくうちに、若旦那の暮らす世界が自然に心の中に住み着いてくれます。

・こけらおとし 堀内敬子著 (徳間書店)

   三谷幸喜作・演出の「恐れを知らぬ川上音二郎一座」ができるまでの過程を、出演者の堀内敬子さんが日記形式で書き綴っていきます。すごく素直な文章なのですよ。ある意味淡々としていて、でも生々しさがしっかりと伝わってくる。観客にとっては「芝居ができるまで」の解説本的な部分もあって読んでいてあきません。後、おまけというわけでもないのでしょうけれど、彼女の07年のブログの内容も掲載されていて、しょっちゅう訪問していたわたしとしては懐かしかったです。彼女の出演していた「ザ・ヒットパレード」や「コンフィダント・絆」の舞台裏も垣間見ることができます。

今日のごはんは? 渡辺あきこ+川津幸子(日本放送出版協会)

  本多劇場の下にあるヴィレッジバンガードで一押しだった料理本。主材料別になっていて調理時間がしっかりと明記されているので、そのシチュエーションに応じたメニューがえらべるし、使う材料も難しいものがなくて・・・。で、一番魅力なのは普通においしいこと。

本のとおり作るとちょっとしたえびの炒め物やアサリのごま油蒸しといった料理が、とても幸せになるくらいおいしい・・・。

日曜日の午後など、何を作ろうかとちょっとわくわくしたりします。

最近のお気に入り Music

最近なんとなく聴いている音楽いろいろ、別に新しくはないのですけれどね・・。・・・。

Emma Salokoski(RCIP-0113)

  最近一番のお気に入りです。ヘルシンキ生まれの女性歌手。ラテン系と北欧系のテイストが融合したちょっと不思議に耳に残る曲がいっぱい・・・。テイストとしては昔一世を風靡したBasiaに近いものがあって・・・・。おしゃれさと哀愁のブレンドが見事・・・。Jazzyな感じに耳さわりのよいボーカル・・・。どこか心が浮き立って、どこか心が安らいで・・・。ボサノバの名曲ガカバーされていたり、アコースティックなナンバーがあったり・・・。通勤のお伴にも最適・・・。

こちらでちょっとだけ試聴ができます。

http://www.s2sj.com/major/emma_salokoski.html

・Our  Favourite PoP(VICL-62248 )

  Paris Matchのある意味でのベスト盤。ミズノマリさんの声がたまらなく好きで、たまにFMなどでかかると本などを読んでいても彼女の声に聴き入ってしまいます。スタンダードナンバーのアレンジもなかなか洒脱で・・・・。心が潤う感じがするのがなによりよいです。一度だけ銀座の地下通路のミニコンサートで彼女の生歌を聴いたことがあって、それからますますファンになりました。

こちらでやっぱりちょっとだけ試聴ができます。

http://www.jvcmusic.co.jp/parismatch/index2.html

・Yes We Can Can=The Pointer Sisters (HIPD-40052)

  ポインターシスターズってある意味もう伝説のグループなのかもしれませんね・・・。R&B歌手としての三人になってからのヒット曲もたくさんあるのですが、私が好きなのはまだ4人で歌っていたころのジャズをメインにフィーチャーしたパフォーマンス。You Tubeなどで彼女たちの当時の姿を見ることができますが、今聴いてもすごく新鮮で、非常に洗練された感じがします。パワーで押す曲もあれば、高度なテクニックで大向こうをうならせるような曲もあり・・・。Salt Peanutsという曲を聴いているとなぜか元気になれるし、Black Coffeeを聴きながら夜の深さを感じることができる・・・。Steam Heatはボブフォッシーがパジャマゲームの中で振り付けをしていた有名な曲・・・、ミュージカルレビュー「フォッシー」にも取り上げられていましたが、歌だけならこのポインターシスターズの方が上かもなんて思ったりもします。シルクハットを使ったあの振付は別な意味ですごいですけれどね・・・。

今日のように冷たい雨の降る日には、大き目のコーヒーカップを横において、好きな音楽を聴きながら本でも読むのが一番・・・。

なにはともあれのんびりした連休の初日でございました。

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「サバンナの掟」柿喰う客 ドミノが倒れるためのまっとうな仕組み

1月5日、シアタートラムにて「サバンナの掟」(柿食う客)を見てきました。「柿食う客」は初見。過去の公演評などもかんばしいものが多く、見に行きたい劇団のひとつだったのですが、たまたま、会員になっている世田谷パブリックシアターからの案内でシアタートラムでの上演があるとのことで、即決めでチケットを取りました。

(ここからはネタばれがあります。公演が終わっているとはいえ、ご了承の上でお読みいただきますようお願いいたします)

物語はとある地方都市、女子高生自らが管理売春を行い、警察の刑事がそれを追いかけようとするが上司が良い顔をしない・・・。捜査を提案している刑事は銃を向けられていることに快楽を感じるという性格、。そんな中管理売春を行っている女子高生たちに二つの事件が起こります

まず、高校生のひとりが客の一人に陰部を噛まれる・・・。女子高生の仲間が追いかけるがつかまらない。そして、もうひとり、女子高生が行方不明になってしまう。日本初の女性総理大臣は同性愛者で、お忍びでこの地方都市にやってきた。で、側近が売春組織に女子高生を斡旋してもらい総理大臣にあてがったのですが、その秘密を隠すために女子高生を射殺してしまったのです。

一方で地方都市の市長は管理売春などで治安が乱れていることを気に病んでいます。いつ総理大臣に叱咤され、自分の地位を終われるかが不安でならない・・・。

その状況の中で、総理大臣は側近に次の女性を用意するように頼み、一方で総理大臣の暗殺をもくろむ闇組織が登場する。彼らは女子高生の売春組織を取り込んで総理大臣を殺させようとします。10億円が用意されていて、その出所は市長・・・、さらにその組織から行方不明の女子高生が総理大臣に殺されたことを知らされて・・・・。

組織間の利害はどんどん絡まり複雑になっていき、やがて総理大臣の泊まるホテルで、売春組織の女子高生たち、警察、総理のスタッフ、秘密組織、市長スタッフを巻き込んでの殺戮合戦へと発展します。

しかも組織の中も一枚岩ではない・・・。総理大臣と秘書の間にも対立はあるし、総理大臣の人身御供にされてしまう秘書の妻との利害関係があるし、警察の中もそう・・・。女子高生の中も全員仲良し倶楽部というわけではない・・・。

これだけの噺に出演者はなんと30人、果たして舞台として成り立つのか・・・・。

しかし、見ていて登場人物がてんこもりでも芝居に間延び感はまったくなかったし、登場人物が多いことや登場人物が次々と死んでいくことへの違和感やストレスはまったくありませんでした。

これってきっと、さまざまなキャラクターを並べて倒していくドミノ倒しなのかも・・・。倒れていくドミノの配置が見事な上に、連鎖に関係することだけを演じ切る役者のエッジがしっかりとたっているから、観客は思わず息を呑んでその動きに見とれてしまう。

作・演出の中屋敷法仁は物語自体のアウトラインの見せ方もうまいし、一方で時間の流れを切らないシーンのつなぎ方は観客側のテンションにまで加速度をつけていきます。30人の役者が殺したり殺されたりする理由もしくは因果が、細かく設定されていて、観客はあれよあれよという感じで舞台の密度に引きずり込まれていく・・・。枠にとらわれることなく、猥雑でもあり、独善的であったりシュールですらあるキャラクターを、抜群の切れとともに、場合によってはジェンダーの垣根をを超えて演じきる役者たちの出来も実によくて・・・。床を踏み鳴らす音、切れのある動作、一点に絞って伝えられる心情・・・。全身で表現される雰囲気、ストーリーをつなぐのに過不足のない個人的世界の構築。

強いインパクトで印象に残るものだけでも、村上誠基演じる女子高生の不思議に深さを感じさせる母性、玉置玲央演じる不妊女子高生の母性の代替行為としての寄付に対する執着、刑事を演じる堀越涼の凶器を向けられたい願望のあやうさ、女子中学生を演じる伊佐美由紀のここ一番でバンツをおろし続けるこだわり、石黒淳二演じる市長の明るい保身などなど・・・。

すこし複雑なところでは、主人公的な女子高生を演じる深谷由梨香の犯人への心情、レズビアンの総理大臣を演じる岡田あがさの傲慢と欲望が香り立つようなたたずまい、女子高生を演じる七味まゆ味の殺された友人を思う心情・・・、

他の役者たちにもはずれがなく、何かを演じるように課せられた彼らのさまざまな表現が比較的広い舞台のあちらこちらから物語に突き刺さり、舞台の上で次々とつながりをもって機能していきます。まっすぐスピードで倒れるドミノもあれば、倒れる瞬間に光を放ったり、ひとつのドミノの流れがさらにいくつものの流れを作ったり.。心情が伝えながらゆっくりと倒れる仕掛けもののドミノがあったり、霊界というドミノ倒しの連鎖からみると外側の仕掛けまでが登場します。

そして、気がついたとき、舞台一面に見事に倒れたドミノのなかに、物語のラインがしっかりと浮かび上がっている・・・。ドミノは物語の因果を描き、終着駅にしっかりとたどり着くのです。

アフタートークで中屋敷氏は「100名の出演者でこの芝居をやりたい」と真顔で言っていましたが、彼にとっては並べるドミノを増やしたいというだけの話なのかもしれません。物語を背負ったドミノをさらに並べていけば、100名の出演者も夢ではないかも・・・。少なくともこの舞台の構築を見るだけで彼の能力は十分に伝わってきます。

見終わって、劇場のロビーを歩くとき、ほんのすこし背徳的だけれどすごく新鮮な悦楽が私の心を捕らえていました。

初見の私には、ここのドミノがいつも倒れるかどうかはまだ断言できないのですが、「柿喰う客」ちょっと目の離せない劇団です。

次回は6月に王子小劇場とのこと・・・・。あの小さな劇場で中屋敷がどんな世界をこうちくするのか、すでにかなり興味を感じております。

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野田MAP 「キル」、壮大な世界観の微妙な色合いの変化

1月3日、野田MAP「キル」をみました。シアターコクーンでの再々演です。初演の印象は非常に強かったです。再演はみることが出来ませんでしたが・・・・。

ただ、初演のときに比べると物語がずいぶんとすっきりした印象があります。戯曲は同じものであるはずなのに・・・、ずいぶんと尺が短く感じました。まあ、戯曲上の道しるべがわかっていたので全体の物語の大きさが見通せたということもあるのでしょうけれど・・。

(ここからはネタばれがあります。十分にご留意の上お読みくださいませ)

物語にはいくつもの要素があります。たとえば父から子供へと繰り返されていく因果。言葉の最後からあふれだす蝋、蜃気楼の向こう側とこちら側に対自するもの、恋の本質や言の葉の作り出す幻想・・・。それらは主人公の生誕から立身、絹の国をも凌駕し征服して・・・、しかし栄えたるものやがては滅亡への道を歩み始める・・・・。国の話とファッション業界の物語が交差する中で、物語はまるで熱気をかかえた気球のようにふくらみ、飛び立ち、人生観にまで昇華していきます。、そこには新しい人生の始まりがある。まるで生命という火かおこり、時に揺らぎ時に煽られながらも次第に火勢を強め、火勢はとどまるところを知らぬように思えながらも、自らの内なる力によっていつか衰えていくように・・・。しかし新しい命は再び生まれる。まだ、何もキルことのない命が・・・。

縦に主人公の一生が大きな潮流として敷かれ、ファッション業界の興亡を横糸にしつらえて、物語が転がり始めると、あとは一気・・・。

「制服」や「蝋」を使った言葉遊びの巧みさ、遊びに隠れた真理が種明かしの瞬間に牙を向き始める・・・。言葉や知の力の強さとはかなさを織り込んで、父親や母親の気持ちまでもしみこませ・・・。多少ファッション業界の今とは乖離する部分があったとしてもそれはそれで味というもの。この戯曲に内包された秀逸な普遍性に観客は圧倒され満たされつくすことになります。

芸のない言い方ですが、初演のとき同様、秀逸な戯曲を元にした良いお芝居だったと思います。ただ、比較すると、初演時には、シーンがひとつずつ積み重なって熱を帯びていくような印象でした。それが今回はいろんな要素間の風通しが良くなっていて、物語全体が膨らんで浮揚していく感じ・・・。演技の強さというかごりごりと押していくようなパワーは初演時のほうがあったような気がするのですが、調和して膨らんでいくような感じは今回のほうが見事。結果として美しい「キル」が生まれたことは間違いない。でも、同時に、今回は初演に比べて達観した感じの「キル」になったような印象もあります。まあ、ないものねだりなのかもしれませんが、もっと荒々しさを秘めた初演のキルも捨てがたかったと思ったりも・・・。好みの問題だとも思ったりはするのですけれどね・・・。

ところで、この「キル」を最近の野田秀樹作品と比べると昨今の野田戯曲の精緻さをますます感じることに・・・。「Rope」や「The Bee]などが持つ物事の普遍性に対する精緻な物語の仕組みや、時には狡猾とさえ思える表現のインパクトと比較すると、「キル」には観客が持ちうる定義されない概念やあいまいさに寄りかかった部分があるのも事実。

それらの曖昧さは物語の切れをなまらせる要素にもなりうるものだけれど、ただ、その曖昧さが悪いかというと必ずしもそうではない・・・。裏を返せば、曖昧さのなかにこそ観客が想起できるものがひろがることもあるわけで・・・。戯曲の完成度やわかりやすさは「Rope」のほうが上なのかもしれないけれど、私個人的には「キル」が持つ肌触りや世界観のほうにも捨てがたいものを感じる・・・。

洗練や進化はすべてを包括した成果ではなく、ある部分では何かの取捨選択の結果なのだろうし、取ったり捨てたりの基準は作者の年齢や円熟や背負っているものから来るバランス感覚の変化なのだろうし・・・。作者の見解はそのタイミングごとに厳然とあるのだろうけれど、観客の立場からするとどちらが良くて悪いとかは必ずしも言い切れない部分がある・・・。

今回の「キル」と初演「キル」間にある印象の違いについても同じこと。よしんば同じ戯曲の中であっても、初演と再々演の間に、演出家としての野田には円熟がありバランス感覚の変化がある。どちらが良いかどうかを判断するのはちょっと難しくて、でも明らかな違いを感じるのも事実。私個人的は7対6で今回のキルかな・・・。でもこの芝居、初演との比較についての意見はそれなりに分かれるのだろうなと思いました。あたりまえのことなのでしょうけれど、演劇というのはつくづく生き物なのだと思います。

今回の役者については、ある意味贅沢ではあるのでしょうし、一方では非力であるとの劇評もありましたが、観終わってみると実務派を集めてしっかりと粒ぞろいという印象のほうが強いです。妻夫木聡は、仕組みというか全体の流れに身をを潜めて芝居をしているときには多少窮屈そうな印象がありましたが、ここ一番の想いを観客に伝える力は十分でした。荒さは確かにあるのですが、しっかりと腰が据わっている演技だったように思います。一番彼の役にとって必要なのは未熟な中から押し出されてくるような「志」、その条件を妻夫木は十分に満たしていました

広末涼子は前半と後半でかなり出来が違っていて・・・。最初のシーンなどでは芝居に乗り切れない気配があって観ていても多少不安だったのですが、手紙のやりとりのシーンの途中あたりからしなやかに感情がのって・・・・。後半は存在感がしっかりとある堂々とした芝居を見せました。声が若干受け取りにくいしちょっと見では演技の線が細い印象があるのですが、それを補うだけの芯の強さとしなやかさがこの人からはじんわりとにじみ出てくる・・・。それと感情表現表現の変化に鋭い切れがあります。また、感情を残して違う演技ができるような器用さも持ち合わせていて・・・。この人は舞台女優としての場数を踏むに従って大きく化けるタイプかもしれません。

まあ、妻夫木にしても広末にしても、役者としての未熟さをまったく感じないといったら嘘になります。でも彼らの演技には戸惑いがないし、観客を押し切る力もあり、なによりも彼らにはエンじればジュクすというか、円熟していくキャパをしっかりと感じることができます。観客を引っ張っていくだけの大きさがちゃんと彼らの後ろに見えるのです。

山田マリアの演技にもびっくり。彼女は昔TVで見たときのイメージしかなかったのですが、くっきりと色を出せるよい女優になりましたね。目鼻立ちがしっかりとして揺らぎがない。演技にアンサンブルではもったいないような確度がありました。村岡希美と対の演技でしたが、彼女自身の色彩が安定していて、なおかつ村岡の色を消すことがない・・・。特に目立つわけではないのですが秀逸な演技だったと思います。

一方の村岡は舞台上での自分の力をしっかりとコントロールしていました。独特の声質が彼女の存在のフラグになって群衆の中でも埋没することがない存在感があるのですが、彼女の存在は共鳴しても浮き出すことはない。物語を固める釘のような台詞がけっこうあるのですが、それが村岡だとびしっと決まる感じ。ナイロン100℃役者が持つ目立たない熟練がとても生かされた演技だったように思います。

勝村政信はある意味主役的な部分があり、妻夫木と広末の物語の土台であったりもするのですが、それらを包括してひとつのキャラクターに纏め上げる懐の深さがありました。器用といえばそれまでなのですが、キャラの軽さと知識の重さがありつつもそれを感じさせないような知性、さらに役自体の想いがなければ成り立たない・・・、でも彼が演じるとそれら三律背反のようなキャラクターがすっとと彼の中に納まるのです。まさに好演だったと思います。

高田聖子も地の強さが生きた演技でした。それなりの個性の露出とふっとした弱さの出し入れが絶妙で・・・。その延長線上なのでしょうが、必要なときに存在感がぐっと張り出し、すぱっとその存在感を消すことができる。アクが強い反面舞台全体のきれというか透明度を保っていた・・・。こういう役者さんが入ると舞台が締まるのだと実感しました。

市川しんぺーのちょっとぬぼっとしたやわらかさも舞台の幅を広げていました。妻夫木や広末が舞台に立つとある種のテンションが生まれるのですが、市川が舞台にいるとそこにやわらかさとある種の緩衝が生まれて、物語にゆったり感が生まれていました。ヒツジ・デ・カルダンなんてそういう役ではないはずなのに、空気がやわらかくなる何かをこの人は持っているような。

中山祐一郎は物語を滑らせる潤滑剤のような役回りでしたが、良い意味での薄っぺらさが表現できていたように思います。彼が絡むことで物語が淀まないというか・・・。舞台に不要な重さをそぎ落とすような役割をしっかりと果たしていたと思います。

小林勝也も存在感がありました。父親役のぶっきらぼうさっていうのが、妻夫木の演技の伏線になっていくのですが、その力加減が抜群で・・・。たとえば「パチンコにいく」というぶっきらぼうなひとことにしっかりと想いがこもっていたり、・・・。蒼い狼の姿にも、突き放したような希薄さがあり、妻夫木の苛立ちが相対的に浮き上がってきて・・・・。いろんな部分で妻夫木の演技をしっかり支えていました

高橋恵子には柔らかい母性を十分に感じることができましたが、彼女は演技から艶を消すことをしませんでした。。その艶が彼女が生きていくときの強さの表現にもなり、包容力にも結びついていく。物語を貫く因果がただ殺伐としたものにならないための潤滑剤の役目も果たしていたと思います。

最後に役者としての野田秀樹について・・・。たぶん普通にやっていれば味がじっくり出てしまう演技を、しっかりとデフォルメしていたような印象でした。少年役の老人みたいなことをパンフレットに書いていましたが、彼はもともと年齢不詳が似合う役者であり違和感はなかったです。まあ、以前の彼の躍動感あふれる舞台を知っているものには多少の老いが感じられるのはやむ終えないところ。で、彼の場合、老いて普通に演技をしていると動けなくデメリットと引き換えに演技に深さが出てしまうようで、それを舞台のトーンに合わせるべく一生懸命抑えていた感じ。稀代の役者でもある彼の贅沢な努力とも見て取れましたが、しっかりと自らを御していたことでした。

まあ、役者としての彼には限界がいつかは来るのでしょうが、演出家として野田秀樹はまだまだ進化していくのでしょうね・・・・。そして、年月が過ぎれば、野田秀樹は再びこの戯曲に向かいあうのでは。根拠のまったくない一観客の勝手な想像ですけれど・・・。

でも、もし彼が還暦をすぎて、再び向かったとしたら、そのときの「キル」はどんな肌触りの、あるいはどんな色になっているのでしょうか・・・。その間にも「キル」は何度も上演されるのかもしれないけれど、50代の彼が新しい年代に入ったときの「キル」がもしあるのなら、そのテイストをぜひ味わってみたいものです。

おかげさまで不確定な人生の楽しみがまたひとつ増えました。

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