本谷有希子「偏路」 ニールサイモンテイストの極上喜劇
12月15日マチネで劇団本谷有希子「偏路」を観て来ました。場所は新宿紀伊國屋ホール。
紀伊國屋ホールは本当に久しぶりです。今や伝統の味が染み付いた印象の場内、椅子もなんか昔風で・・・・。最近新しいホールが続々産声をあげる中で、存在感のあるホールですし、4Fの広いロビーも昨今のホールにはない魅力が・・。劇場内のちょっと時代がとまったような風情には、まるで小さいころ遊んだ公園の古びた姿に愕然とするような不思議な感覚があります。
(ここからネタバレします。これから公演をご覧になる方は、十分にご留意の上読み進んでいただくようお願いいたします。)
物語は四国、全国からお遍路さんががやってくるような場所、本谷有希子初のホームドラマという作品は東京に飛び出して9年間演劇を続けたにもかかわらず挫折した娘が、正月に父親と親戚の家を訪ねるところから始まります。
もともと、田舎のしがらみが苦手な主人公は、田舎の雰囲気に慣れるための訓練を兼ねて、家に帰る前に父に都落ちを打ち明けようと、父が正月にたちよる親戚の家を訪ねるのですが・・・。かなりなじめず、おまけに娘の話を聞いた父親は、それなら今度は自分が東京へいくと言い出すのです。父にもあきらめていた夢があって・・・、自分の綴った随筆を出版してもらいに行こうというのです。
主人公の帰郷、特に主人公の田舎や親戚になじめない感覚や父親との確執などは、親戚の一家、伯母や二人のいとこにもさまざまな波紋をもたらして行きます。さらにフィリピン人と結婚した伯母の妹も家を訪れて波紋を複雑にしていく・・・。ちいさなトリガーから、主人公自身や彼女の親戚たちそれぞれが日々の生活の中で心の中に沈めていたものが、おんぼろの蒸気管のように漏れ出し、時には噴出していきます。
主人公を含めて、登場人物は誰一人満足していないのです。夢があってもそれは本当には満たされていない。その不満をタイトな人間関係のなかで取り繕ったりなめあったりしている胡散臭さを主人公はグロテスクと感じている・・・。そのグロテスクさや満たされなさに耐えられなくなると、主人公の親子などは、発作的にガラスを割ってしまうほど・・・。しかし、ガラスが割れたり障子紙がずたずたになっても、あきらめようとしている夢が潔く消えてくれるわけでもなく、だからといって夢が満たされる手立てがあるわけでもなく・・・。そんな世界で、誰かの我侭や挫折、隠し事などに微妙な家族や親戚のバランスが大きく崩れかけたり立て直される姿はまさに極上の喜劇になりうることを、本谷有希子はよく知っていて・・・。
設定や物語の成り行きはまったく違いますが、ニールサイモンが自らの生い立ちを描いたといわれる戯曲たち、たとえば「カム・ブロー・ユアホーン」などと同質のシニカルな視点をこの舞台には感じます。ウディアレンの映画などでも感じる視点・・・。そして、この視点から浮かび上がる、どこか下世話で醒めていながら実は研ぎ澄まされ洗練されたユーモアのセンスがこの舞台にはいっぱい。それらは、これまでの本谷戯曲の中ではもっと陰惨な形で表現されていたものですが、今回本谷は等身大で表現し、きわめて高度な笑いにつながるタグをつけて観客の前に提示します。主人公が幼いころに歌ったという「一月一日(年の初めのためしとて♪」の替え歌、そのグロテスクと表現される感覚が本谷の緻密な演出によって舞台上に具象化され、豊かな役者の演技に支えられ・・・。シニカルな感覚を織り込んで編まれた創意に満ちたエピソードたちは、秀逸なコメディのティストをたっぷりと湛えた作品として花開くことになりました。
役者のこと、まず近藤芳正の力がこの舞台の土台をしっかりと固めました。近藤は、キャラクターから湧き出すいちびりに近い発想や発作にも似た癇癪をぐっと体全体を支えるような力業の演技で表現し、物語を単なる絵空事からしっかりとした実存感を持った作品へと昇華させました。表情にも力をためることができ、抜群にせりふや演技の間や速度がよくて・・・・。手練の技をたっぷりと逡巡なく発揮してみせました。加藤啓の役柄もひとつ間違えると浮世離れした人物になってしまうのですが、キャラクターをしっかりと貫き通し最後まで崩れることがありませんでした。加藤の演技には、絶妙な突き抜け方とここ一番の見事な腰の弱さがひっかかりなく共存していて・・・。その奇妙な自然さが物語を十分に広げていきました。
池谷のぶえは繊細さを裏に失わない怠惰さや無神経さを表現することに成功していました。彼女の演技にはやわらかく深い奥行きがあり、同時に奥行きの部分だけで本音の気持ちを伝える力があります。本谷が描いた「グロテスクさ」を内包したキャラクターが彼女の演技によって大きな説得力を持つことになりました。吉本なお子はキャラクターが持つルーズさと甘さをあせらずにゆっくりと演じてみせました。テンポに流されない彼女の演技は登場人物間の関係に正や負のさらなるふくらみを与えることとなりました。江口のりこには凛とした強さと根にあるやさしさを交互に出し入れする巧みさがありました。立ち姿の美しさで思いを隠すこともできるし、逆に思いを浮かび上がらせる演技も巧みで・・・。主人公のキャラクターを鮮やかに照らし出す、真に強さを持った役割を十分に果たしていました。
主人公を演じた馬渕英俚可も好演でした。近藤芳正と同様にキャラクターに十分見合うだけの芯の頑固さと優柔不断さを同居させる演技が出来る女優で、またパワーも十分。非常に難しいキャラクターの個性を、実にスムーズな演技で表現しつくしました。微妙な役者の才能があるという中途半端さも、彼女が演じているとうなずいてしまうような実在感がありました。
本谷戯曲に登場する人物には二重底や三重底の精神構造が設定されていて、それらをしっかりと表現しうる役者たちの演技こそがこの舞台の大きな勝因となったような・・・。集大成として馬渕・近藤の演じる最後のシーンにも、小気味よいペーソスがあリました。
あと、場面転換時やいくつかのシーンには映像が挿入されているのですが、これらにも表現力に加えて独創性と切れがありとても秀逸、本編の表現したいイメージを観客につたえる大きな助けになっていました。
本谷有希子のテイストが新しい領域にまで広がったようなこの作品、お勧めです。前売りは完売したようですが、当日券も出るようです。本谷有希子これまでとは一味違う表現をたっぷりと楽しむことができます。
12月23日まで@新宿紀伊國屋ホールにて
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