単一の絵柄ではなく・・・。空想組曲「この世界にはない音楽」
12月8日16時30分の回で開化の華 新宿村Live 空想組曲の「この世界にはない音楽」を観て来ました。さすが土曜日の午後で客席は満席、会場の客席自体も増えていました。前日に観た「JACROW」の時にもおもったのですが、しっかりとした個性と観客を取り込む力をもった劇団にはきちんとお客様がつくのですね・・・。うん、よいことです。
空想組曲はほさかよう氏が作・演出を手がける劇団、一番最初にほさかよう氏の作品をみたのは「Deep Forest」でしたが、あの作品はいまでも非常に印象に残っています。そうそう、空想組曲としては旗揚げの「白い部屋の嘘つきチェリー」にも大きく心を動かされました。
(ここからもろにネタばれがあります。読み進まれる際には十分にご留意ください。)
物語は作曲家に悪魔が取り付くところから始まります。死にたいと思う人間だけに見える悪魔。契約を結び最後にひとつだけ望みをかなえて魂を抜き取ります。
ところが作曲家にとりついた悪魔さんはあまり出来がよくないらしく、上司の悪魔に不成績を怒られ、悪魔に向いていないのではないかとさえいわれ、夜明けまでに一件でも契約を取らなければ天使にしてしまうと脅されます。それとも地上を這い蹲る人間にしてあげようかと・・・。どうも悪魔の世界では悪魔>天使(恥ずかしい白い羽根をつけさせられる)>人間(地べたを這い回る)という構図になっているらしい。
一方、この作曲家さんも、この数年ろくな仕事をしていないらしく、作詞家がやってきて復帰の仕事をしようといっても応じようとしません。なんだかんだと理由をつけて断ってしまう。そして出来の悪い悪魔に望みはないからさっさと魂を抜き取れと言い放ちます。
悪魔について、ほさかようはもうひとつ設定をします。悪魔は音楽を作れない。楽器にも触れることができないのです。だから地上に降りて唯一の楽しみは音楽を聴くこと・・・。作詞家と作曲家がデニーズで話し合う間留守になった部屋へその悪魔とともにやってきた上司の悪魔、作曲家の部屋ということで大興奮。おもちゃのピアノで大騒ぎです。自分では触れないからと自殺願望の男2人を引き込んで、さらに要領よく魂を抜き取ってしまう。
やがて作曲家が帰ってきて、作詞家が再び現れて・・・。作詞家は作曲家の才能が枯れたことを悟り去っていく。上司の悪魔が外から成り行きを見つめるなか、再度魂を抜き取るよう懇願する作曲家。
出来の悪い悪魔は、最後に作曲家にピアノを弾いてくれるようたのみます。悪魔自身では弾けないから、しぶる作曲家の手をとって、「もろびとこぞりて」をつたなく奏でる。それに触発されるように作曲家は悪魔をそばにして、自分の頭に浮かんだメロディーを奏でます。感動する悪魔に、最後にもう一度自分の頭に浮かんだ音楽を弾きたかったという作曲家・・・、悪魔は、作曲家にその曲を再度奏でさせ、その中で最後の望みが満たされた作曲家の魂を抜き取ってしまうのです。そして・・・
この物語にはもう少し続きがあります。上司の悪魔は「貴方が仕事をするとはおもわなかった」といいます。出来の悪い悪魔は自分は悪魔だからと答える・・・。その答えを聞いた上司の悪魔は・・・。
非常によくできた物語だと思います。そこには仕事や才能という概念、自分の世界の価値観にしばられることと解き放たれることなどが見事に織り込まれています。それらが物語の進行とともに片面だけではなく両面の絵柄として浮かびあがってくる・・・。作曲家の苦悩や彼の才能を枯らしていたもの、作詞家の才能、ふたりの悪魔の仕事に対する考え方の違いから、上司の悪魔の孤独までが場内を包み込んでいきます。上司の悪魔が後半ずっと外の柱にもたれかかってその姿を見つめていることで、物語は大きくその世界をひろげて・・・。二人の悪魔がそれぞれに満たされたことと失ったこと、それらはそのまま観客の涙に変わっていくのでした。
役者のなかでは、上司悪魔を演じた牛水里美の演技がまず光ります。アンティークドールのような美しさを持つ小柄な女優さんですが、容姿もさることながらパワーがあり芯がぶれない演技が観客をひきつけます。舞台をグイグイと押し切るような強さがあるのです。
一番瞠目させられたのは、後半から終盤近くに薄暗い舞台の柱の部分に立って部屋の中の成り行きをみつめる彼女の演技、まるでガラズ細工のように繊細な表情の変化は、出来の悪い悪魔のような態度をとれない自分へのかすかな苛立ち、嫉妬、孤独、さらには捨てることができない仕事へのプライドのようなものを細かく表現していきます。客席の位置によっては見切れたりサブリミナリーを与えるような演技だったのですが、幸い私の席からは思わず息を呑むような彼女の演技を完璧に見ることができ、感情がしっかりのった彼女の姿が舞台の粒子をぐっと細やかにしていくのを目の当たりにすることができました。
一方の出来の悪い悪魔を演じた柴村朋子も、不器用さと意思の強さが滲み出て好演でした。彼女の表現にはどこか硬い芯のようなものが感じられて、そこが観客の感情移入のトリガーになって行きます。抜けるように明るいわけではないというのが彼女の演技のなせる技で、しっかり守り続けたトーンが一番最後のシーンでみごとに花を咲かせました。
中田顕史郎は作曲家としての神経質さや気難しい部分を表現することは軽々とこなせる感じ、それより、弱さや苦悩の表現が技ありで、特に手を持たれてピアノを弾かされるところから自分でピアノを弾くに至るところまでの雰囲気の変化が実にみごとでした。
横塚真ノ介はちょっと軽薄なトーンのかなに才能の匂いをしっかりとこめて、中田の真の苦悩を見せるためのトリガーをみごとに引いて見せました。動きにも切れがあり、静のイメージを作る中田との対比で物語がとてもわかりやすくなりました。
当日は日替わりゲスト(出演)はエレキ隊(山本卓・松崎史也)、不勉強というか彼らがどのようなジャンルの役者さんか存じなかったのですが、物語の設定をすっと理解してそのまま入り込むような器用さがあって・・・。牛水の手のひらにのって、笑いまでとって演技をこなしていました。本職はミュージシャンなのですかね?でも見ていて彼らには、役者としての才能にも天性のものを感じたことでした。
それにしても、終幕後、いろいろと考えさせられる芝居でもありまして・・・。一番考えたのはこの芝居の主人公は誰かということ・・・。、普通に考えれば出来の悪い悪魔さんなのでしょうけれど、私がこの芝居で一番印象に残ったのは、出来の悪い悪魔のように振舞えない上司の悪魔の孤独・・・。牛水里美の演技がよすぎて、本来作家が意図しないニュアンスまでを生み出してしまったのかもしれないですが、よしんばそうであったとしても、ハッピーエンドにちょっとビターなテイストを付け加えた上司悪魔の存在が心にひっかかるのです。
まあ、元々、ほさかよう氏のこれまでの作品も、複数の視点から物語がくみ上げられているわけであり、この作品とて例外ではないということなのかもしれませんが・・・。
不覚にも落涙を誘われてしまったこの作品、ほさかよう氏の才能に今回もやられてしまいました。
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