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経験豊かな役者の仕事 ロマンス・狐狸狐狸話・憑神

8月から9月に観た、ベテラン俳優たちのお仕事をいくつかご紹介

観た順にロマンス・狐狸狐狸話・そして憑神です。

・ロマンス

アントン・チェーホフの半生記を男女6人で演じるという趣向、井上ひさしの脚本は、一見淡々と彼の生涯をスケッチいるようで、抜け目なくしっかりと井上流チェーホフ像を観客に植えつけていきます。前半の母親との関係、後半にはいると兄妹、そして妹の友人であった妻との確執の描き方も深く軽妙でまさに井上作品の真骨頂。ちょっと下世話な部分も井上テイストですが、一方では音楽劇とすることで物語の流れに滓がなく、すっとしみこんでいくような仕組みも作っていきます。また、シーンの各所にさりげなく深い趣きを仕掛けていくのも井上流。前半のチェーホフの青年時代を描く手法の丁寧さ、それが後半にはいるとチェーホフとスタニフラフスキーとの確執、かもめや桜の園をボードヒルっぽいテーマとして演じるべきだと主張する彼の言動に説得力を与えていたし、奔放な女優の妻を慈しむ姿をごく自然に見せていた。井上はひとつひとつのシーンを時代の検証のように流しているわけでは決してなく、時系列を崩さないように配慮しながらも、想いがつながらない芝居にならないように組み立てているのです。その組み立てが観客にとって冗長にならないように、時には喜劇の手法を用い、音楽で物語をつないでいく。ボードビル仕立てというのとは大分違いますが、ボードビル風のスピリットを物語の香りづけにして物語を見事に膨らませていきます。

役者は・・、そりゃすごいです。大竹しのぶと松たか子が同じ舞台に共存しているし、段田安則や生瀬勝久、木場勝己、ミュージカルで活躍している井上芳雄らが戯曲の要請にしっかりとこたえていく。

大竹しのぶはまさに大竹しのぶで・・・。彼女の舞台上での存在感の出し入れにはほれぼれします。また大竹しのぶが女優として「ある芝居をこんな風に演じた」と、プチ劇中劇を演じてみせる姿にはただ瞠目、芝居の中のトーンと明らかにことなる色をした台詞回しで暗転もなく照明の力を若干借りただけで舞台の色をがらっと塗り変えてしまった(しかもすっと元に戻した・・)・。一瞬にしてストンと劇中劇に観客をひっぱりこんだ彼女の芝居には冗談抜きで震えがきました。でも、この演技がなされたのは「観客を震えさせるだけの役者である」という説得力が、大竹の演じる役柄に不可欠だったからなわけで、彼女にしてみれば演じるべきとおりに演じただけなのでしょうが・・・・。それを観客の想像力の助けを一切借りず成し遂げたところに大竹しのぶの大竹しのぶたる所以があるのだと感じました。

松たか子は、コアに生真面目さと熱を一緒に持ちあわせた女性を演じたらたぶん日本一であり(映画HEROの雨宮舞子はまさに彼女のはまり役)今回もその役柄を守りとおすことで大竹しのぶとの見事な対比を作り上げました。たとえば、最終盤に病のチェーホフと妻が「モスクワに移り住んで高価な外套を着て冬の街を散歩したい」と語り合うシーンがあるのですが、兄の体を気遣って大反対する松たか子の演技の深さによってそのシーンは宝石のように磨き上げられた・・・。松たか子の演じる一途さで大竹しのぶの「妻としての愛」も松たか子自身の「妹としての思い遣り」も彼女の演技で見事に輝いた・・・。大竹しのぶと松たか子がともに主役であるとともに脇役としても機能するような戯曲上の構造の巧みさにも驚愕しましたが、同時に、彼女たちは主役としての十分な力量のほかにバイプレーヤーとしても類まれなセンスを持ち合わせていることも、今回十分に思い知らされたことでした。

男優陣はチェーホフの年代に合わせて4人が演じ分けるという設定でしたが、これが見事に機能して物語のアスペクトがしっかりと整理されていたような気がします。チェーホフの変化についても無理がなく、さらには異なる俳優が演じることによってかえって統一したチェーホフの姿が浮かび上がった部分も感じました。このような主役の回り持ちが成立するのは、(「藪原検校」を観たときにも思ったのですが、)井上ひさしの戯曲に含まれる個々のシーンの空気のような軽さと、一方でシーンごとにぶれないようトリガーがきちんと顧客に提示されているからこそのなのでしょうね・・・。戯曲全体のデザインがとてもしっかりとなされているのだと思います。

音楽の使い方も効果的でしたね…。物語に滓ができないように、音楽は物語の不要な重さを歌に代えて流していたようにも思えます。このあたりも「藪原検校」と同じ手法であり、「藪原検校」の物語が本来持つ陰惨さを歌がうまく消したように、ボードビル作品を目指したアントン・チェーホフに内在するまとわりつくような影の部分を歌がうまく浮かび上がらせて観客に届けてくれました。

この作品、評価はいろいろと分かれたようですが、私は非常によく出来た作品だと思います。シーン毎に積み重なっていくチェーホフの人生の重さと、もっといえば重さに振り回されない軽さにすっと心を捕らえられたとき、その向こうに鳥瞰した人生の広がりさえ浮かんで、細かい粒子のような感動がゆっくりと観客の心を満たしていきます。強いて欠点を言えば、妙に口当たりが良くて現れた景色がやがて一瞬の淡雪のように思えるところでしょうか。でも、言葉をかえればそういうことを洗練っていうような・・・。案外演劇の神様は洗練されすぎた作品には嫉妬を感じてその印象をひと時のことに変えてしまうのかもしれません。

・狐狸狐狸話

北條秀司という作家、これまで知りませんでした。歌舞伎や新国劇などに作品をたくさん残された方だそうで、作としては200にも余る戯曲があるのだそうです。狐狸狐狸もそのひとつ。

まあ、下世話というか脂っこいな部分が結構あるお話で、肝の据わった役者がしっかりやらないとなかなか生くささが抜けないような・・・。でも、この芝居には、ちゃんとその泥臭さを抜くだけの力をもった役者をそろえてありました。篠井英介、ラサール石井が狐と狸、自らの演技の味を存分に出しあってぶつかれば、六角精児が物語のもつ灰汁のような部分を縦横無尽に吸い取っていきます。板尾創路は、どこかぶっきらぼうなテイストで篠井・石井がもつ演技の潤いのようなものを生かしながらしっかりと自分の演技を作っていきます。脇にも廣川三憲や大出勉など堅実でありながらしっかりと自らの個性で勝負できる役者を配して・・・。さらには皆戸麻衣、植木夏十のナイロン組やサチコ、小林由梨といった女優陣が物語に色をつけていきます。

北條戯曲の演出についてはけれんのない全うなものでした。ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出は、原作の持つであろう物語の情念の部分をやや薄め、笑いを強調したものの、基本的な北條戯曲の屋台骨はそのままになぞっていたのではと思われます。テイストをややお直しがはいっているものの、戯曲自体のたぶん潤色やデフォルメはほとんどなかったのではないでしょうか、物語本体については・・・。

ただ、そうして作り上げた昔ながらの一品料理を、ケラさんがそのまま観客に振舞うわけがなく・・・。シェフは、上質なそのまま食べてもおいしい料理にオリジナルソースとばかりに外側の別の世界をかぶせます。それは、いかにもケラテイストな話・・・、どこか不条理で突き放した部分があり、ピリッと辛くて、シニカルな、別の男女の愛憎劇。外側の主人公は病院でお見舞いに訪れた先輩に北條戯曲の物語を聞かされているという設定・・・。上質な和風の焼き魚にケイジャンテイストのソースをかけた様な・・・。野間口徹や真山章志、さらには小林俊祐の演技が光ります。

で、結論として、ソースと料理が合わさったお味はといえば・・・、これが実においしいのです。「あ、ケラさんの勝ちだ・・・!」みたいな感じ。

奇抜なことをやるようなポーズも力みもなく、さらりと新しいテイストを客に供するシェフの才気とそれをゆとりを持ってで支える役者たち・・・。ぬめりを持った素材が上品に料理をされて斬新でドライな一皿に姿を変えて・・・・。まさにシェフ、ケラリーノサンドヴィッチの面目躍如。これだからケラ作品から目が離せないわけで・・・。本当にいいものを観たと感じたことでした。

・憑神

中村橋之助が座長を張って、休憩をはさんで3時間近いお芝居、チケットを安く譲っていただいたときにはかなりわくわく物だったのですが…。

だって、いい役者が溢れるほどにご出演なのですよ…。実際、野川由美子の凛とした立ち振る舞いを観るだけでもそりゃもう眼福だし、鈴木杏の目鼻立ちのしっかりとした演技、さらにはデビット伊東、ゴング桑田や升毅などの芸達者達、福田転球もよかった・・・。手入れのしっかりとした道具をふるって浅田次郎の原作をG2は軽妙に裁いていきます。観ているものはゆったりと座っているだけで物語があちらから飛び込んできてくれる・・・。

しかし、しかし、この芝居が十分に観客を満足させるに足りるものだったかといえば、私にはどうしてもそうは思えないのです。

たぶん、一番不足していたのは高揚感・・・、個々のシーンは流暢にながれていくのですが、流れに重さがない。たとえばロマンスのようにシーンごとに積み重なっていくものが少ない。観客に「気が付けばこれだけのものを抱えていた・・・」みたいな感覚がやってこないのです。

橋之助や小劇場出身の役者たちの演技がちょいと切れすぎているのかもしれません。切れでなく愚直なほどの重力がないと、この物語には観客を引きずり込む力が生まれないのかも・・・。もし、これが本多劇場での公演なのであれば、今回の演技でもしつこく感じられたかもしれません、でも、あれだけの間口の舞台に花道までついているような空間では演技が場内をめぐる時間のようなものがあって、役者の演技にも声をぐんと張るような力みがないと(歌舞伎でいう見栄を切るような)観客をくすぐることは出来ても、舞台に引っ張り込むことができない・・・。G2の演出は、ここ一番力める場所を役者にちゃんと与えていないような気がするのです。また、そういう大きい芝居が出来ない役者たちでは決してないはず・・・。陰山泰なんて、バチが当たるのではないかと思うくらいもったいない使い方で・・・。秋本奈緒美や藤谷美紀なども役不足とはいえないまでも、もっと深く演じる場を支えられる役者だとおもうのですが・・・、もったいない・・・。

さらに主役の橋之助にしても、終盤力をぐぐっと前に出した芝居を見せてさすがと思わせる部分もありましたが、いかんせん、観客からすると。そこまでの芝居に舞台と一緒のっていけるような部分が薄いので、最期になって物語を急に登り詰められてもついてこれないのです。憑神に離れていってもらうときの苦悩や、自分の居場所のなさ、個々の演技としては悪くないのですが終盤からみるとなんかバランスが悪いというか伏線になりえていないような・・・。

誤解なきように申し上げて起きますが、この芝居、楽しんだことには間違いないのです。でも、名舞台といわれるには何かがやっぱり足りないというかどこか歯車がかみ合っていない部分があったと思います

さて、ここからはちょっと余談、ベテランというか年季の入った役者さんたちの舞台って、見ていて楽なことは事実なのですよ。観客として舞台側にゆだねる部分を多くすることができるし、不安もすくないし・・・。でも、正直言って、ベテランの方たちの仕事が全て観るものを満たすわけではない・・・。当然そういう方のご出演になるお芝居って木戸銭もお高いわけで、いわゆる小劇場のお芝居の倍から3倍、下手すると4~5倍はするわけです。

それだけ払っても見る価値のある芝居に100%めぐり合えるわけではない・・・。当然観客としては博打を打つことになるわけですが・・・。お馬さんの予想と同じで観る前から芝居の真贋を見分けるなんて出来るわけもなく・・・。まあ、それが芝居狂いの楽しさだなんて科白を吐いてみても、一般庶民にはそれなりに贅沢な道楽なわけで・・・。

どうだろう、8月から9月にかけての戦績は2勝1敗(勝率0.667)といったところでしょうか・・・。まあ、どれがどれとはいわないですけれど・・・。だからといってWOWOWで中継を見ても、生の芝居と比較して伝わってくるものは1/10だし・・・。

まあ、なんとも悩ましいことだと思いながら、次のチケット争奪戦に想いをはせたりするわけです

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» うわっ、安田(父親)自殺未遂してるし・・・・ [レースクイーンマニアは元プロレス安田忠夫の娘AYAMIで・・・・。]
5日未明に意識不明のまま緊急入院していたプロレスラーの安田忠夫(43=フリー)... [続きを読む]

受信: 2007/10/07 16:23

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