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YEBISU亭の切れ味たるや・・・。吉坊、都んぼ、喬太郎

そもそもYEBISU亭自体が初めてだったのですが、今回は上方編ということでうきうきしながら出かけてきました。

普通の会とはちょっとちがう・・・。いきなりコント仕立てで始まります。まあ、割烹着来て小芝居をする喬太郎さんに昭和初期の芸人さん風を演じる都んぼ・吉坊のご両人、芸人としての器用さが問われるような場面ですが、そういう資質のある芸人こそが似合うような場の雰囲気もありました。

結局あの小芝居が開口一番の高座のかわりになっていて、吉坊さんの高座がすっと入ってきた。YEBISU寄席、のっけからちゃらんぽらんな企画に見えて案外ちゃんと仕組まれているのです。

吉坊さんの「七段目」,凛として見事なものでした。艶を感じるのに透明感があって、芝居の口調に張りがあってぶれがない。若さが良いほうにでていて仕草に切れがある・・・。観客を舞台に引っ張り込んでいく力がある。一番感心したのは、息子がいる二階と父親が居るある一階の空気を一瞬のうちに作り上げるその切れのよさと。見台・小拍子もなしに観客に息もつかせずこーんと場面を切り替えていく・・・。早さが、噺をよどませないというか噺の流れを切らさないのです。いれものの使い方も上手で、自分のリズムに引き込むような体のさばきに、ふっと芝居の舞台がうかびあがるようで・・・。、もう一発でファンになりました。

ただ、なんなのでしょうね・・・。あの会場の雰囲気は。もし、お江戸日本橋亭のようなアットホームな雰囲気での会だったら、ああ、よかったで終わってしまったのだとおもうのです。ガーデンプレイスの高座はふっと吉坊さんの今の力を浮き彫りにするようなところがあって・・・。会場が、噺を包むという感じではなく噺のあいまいな味を洗い落として、中身をさらして見せるのです。、

ちょっと表現が難しいのですが、吉坊さんって噺の枠の内側を丁寧に描いていく芸の力はもう十分に満ちていると思うのです。ただ、その一方で、枠の外側に踏み出す力を封印しているような感じも同時にみえてしまった。芸がさらに膨らんでいくなかで、ふっと浮かんだそんな鎖が自然に解けていくのか、彼自身が強い意志を持って枠をぶち破るように芸を広げていくのかはわかりませんが、単にええものを見ただけではないわくわく感のようなおまけまであって、ワンドリンクサービスでもらったお茶と吉坊さんだけですでに元はとってしまったような気分になりました。

つづいての高座は都んぼ師匠、安定したまくらで客を引き寄せます。自分の名前を元にした定番のくすぐりなのですが、積み重ねていくうちに笑いが観客の中からにじんでくるような感じ。高座を維持する力のようなものを感じます。

「変わり目」の旦那の酔っ払い方には故枝雀師匠っぽいデフォルメを感じるのですが、シュールになるほど品を崩しているわけではない・・・。どうしようもなさの中に、旦那としての人のよさがそこはかとなくでているのです。二代目故桂春蝶の「変わり目」のCDを持ってて、好きで時々聴くのですが、都んぼさんの「変わり目」のほうがなにか現実感があって・・・。春蝶師匠のやつは冒頭に数メートルだけ乗る人力車がタクシーに代わっていたりするのですが、そういう義理堅さがなくても、時代を超えたこの噺の味みたいなものを出せるのですね・・・。語りの太さのようなものが長年つれそった夫婦の絆をぐっと前に出し、その一方で一人がたりの朴訥さが夫婦の機微のようなものを浮かび上がらせる。妙な器用さがない分、伝わってくるものにあやうさがない・・・。塩梅がいいっていうのはこういう高座を言うのでしょうね・・・。堪能いたしました。どうせやったら、中入りなしでもいいから、半ばで切らんと最後まで聴きたかった・・・。まあ、今はこの噺を最後までする人ってあんまりいないのかもしれませんが・・・。

中入り後は主任の喬太郎師匠、その前にトークがあったこともあって、枕はあっさりと切り上げ、すっと噺に入ります。都んぼ師匠がねたで使った魚がついた字の入った湯のみを噺の中に差し入れたり、トークで出てきた水の飲み方と酒の飲み方の違いをくすぐりに入れてみたり、最初は場を緩ませながら話を進めます。お題が「おみね殺し」という牡丹灯篭の一部で男のわがままに女の悋気の話。男の浮気がばれるくだりからそれをとろとろと煮詰めていくのですが、その味わい深い淡白さに瞠目、喬太郎師匠の芸の深さが、染み入るように伝わってきます。

物語は中盤、おみねが家を出ると脅して旦那が開き直ったところで様相をガラッと変えるのですが、その一瞬の旦那の切れ方がまた芸の見せ所。息を呑むところではあるのですが、そこがマイクと地の声でかぶった・・・。I列3番というそれなりに後ろの席だったのですが、喬太郎師匠、まるでマイクが声を拾っているのを忘れたような発声で・・・、惜しい・・・。惜しいとはいうものの、震えがくるような切れがあって、まあ、このあたりは会場の微妙な広さの功罪なのでしょうけれど・・・。そんなこともすぐ忘れてしまうほど、本当にしっかりと客をつかんだよい高座でした。

あと、余談ですが「今夜踊ろう」(トークショー)もすごかったです。ゲストが新納慎也さん、「恐れを知らぬ川上音二郎」の稽古場から駆けつけたそうです。で、都んぼ・吉坊喬太郎、この三人の芸談プラス芝居と落語の違いのようなお話が聞けると思ったのですが・・・。司会のまあくまさこさんが強烈な個性で・・・。なんというか人の話を聞いていないというか、全部自分の段取りに持っていこうとする・・・。上方芸人の前でそういうことをやったら、そりゃ芸人は突っ込みますよ。さんなんて立ち上がって突っ込み始めるし、おとなしく座っていた吉坊さんからも思わず声がでる。で、喬太郎師匠がやわらかくフォローしようとするのかと思いきや、喬太郎さんは上方に突っ込まれては江戸落語の名折れとばかりに意地になって細かいところまでぶちぶち鋭い突込みをいれる。結果として新納さんがおたおたすることになって・・。すごくシュールな雰囲気のトークとなりました。

しかし、まあくまさこさんはすごい。場が騒然となろうが堪えてないし気鋭の落語家三人を向こうにまわして負けてない・・・。そうなると落ちはすべてまあくさんに回って来るわけで・・・。落語家たちのうろたえように場内は大爆笑・・・。新納さんはもうあきれかえって「(私がゲストなのですけれど、おいしいはなしは)全部もっていきますね」とまあくさんにぼやいておりました。

こういうの毎回なのですかねぇ・・・。

さらに言えば最後にカーテンコールがある落語会もめずらしく、でも起承転結定まった感じで次回もぜひ行きたいと強くおもったことでした。

YEBISU亭 上方編 10月26日 19時30分 @ 恵比寿ガーデンプレイス

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aokuw

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無意識っぽく絶妙な力加減、MCR「マシュマロホイップパンクロック」

久しぶりにMCRのお芝居を見てきました。前回見た「ヒマホテル」のあとも、新宿村での小規模公演がけっこうあったようなのですが、時間的に合わなくて残念な想いをしていた劇団、今回も2作品同時上演ということでしたが、とりあえず片方だけなんとかみることができました。

(ここから先にはネタばれがありますので充分にご留意ください!!)

物語は比較的シンプルで、男女の感覚が共有されてしまうという設定もびっくりするほどめずらしいものではありません。まあ、強いて言えば逆転するという設定が多い中で、今回は共有(自分の感覚は自分で感じ相手の感覚も自分で感じる)というところがちょっと新しいといえば新しい・・・。ただ、そこから派生していく物語の乾き方と潤いはMCR独特のもので、櫻井智也が紡ぐソリッドでなりあがらどこか心に浸潤してくるような物語のテイストをたっぷりと楽しむことができました。

主人公の余命が定められたことの悲嘆、その一方で自らの死に対する非現実感、その悲嘆が見知らぬ女性の感覚が伝わってくることにより阻害される悲劇・・・。やがて感覚の主を知って、プライバシーがあから様になることのおかしさと、憎しみながら生まれてはじめる奇妙な連帯感・・・。二人の友人、恋人、恋人の友人・・・、弟、弟の婚約者、櫻井はそれらの登場人物をちょっとアンバランスに提示して、微妙な真実を浮かび上がらせていきます。さらに、櫻井演じる医者が、本人にとっては一大事である命が失われることの社会における軽さを表したり、その中で主人公の思いの軽さや卑小さ、でもその一方で人をおもうことから派生する緩やかな暖かさのひろがりや、ちょっとしたいとおしさまでを切れをもった構成でさばいていきます。

結局は櫻井のセンスの良さだと思うのですよ・・・。びっくりするような素材はなにもない、でも非凡な日常は舞台上に間違いなく存在していて、役者たちの力加減で作られた切れのよい明と暗のコントラストのなかに浮かび上がっていくし、非凡なゆえにゆっくりと観客は引き込まれていく・・・。そう、決定的な理由もないのですが、軽さと深さのアンバランスさが、麻薬的な感覚に昇華して観客はどうにも引きずられてしまうのです。深い憂いの中で淡々と進む日々に、非日常な日常の風景が突然現出して、そのまま妙に真剣になれない感覚のなか、大切なことは待ったなしで容赦なく過ぎていく・・・。

綱渡りの途中で、ピエロが立ち止まって見せる笑顔のような間や、芝居から垣間見る風景がとても切なくいとおしく感じる瞬間が何箇所か・・・。切ないのだけれど涙するほどではない、良い意味での中途半端な感覚でつづられた(そのさじ加減がちゃんとできているという誉め言葉)芝居でありました

役者では、黒岩三佳が本領発揮、高橋優子、生見司織、異儀田夏葉も好演でした。篠本美帆は怪演、ちょっと糊しろをはみ出したような台詞なのですが、間がとても計算されていて、ぐぐっと引き込まれました。江見・福井・渡辺といったところの力も安定しており、おがわじゅんやの明るさもよかった。小野紀亮演じる弟はある種の多面性をしっかり出していました。櫻井の突っ込み主体の演技の切れは言わずもがなです。

何が残るかって聞かれても、すぐには言いにくい芝居だし、どこに惹かれたのかを問われても答えようがないのですが、でも次の公演も観たいと思ってしまう・・・。大爆笑はしないのだけれど、ちゃんと積もる笑いも用意されていて、おまけに笑いの向こう見えるものもしっかりと存在していて・・・、細かい粒子のように落ちていく時間の重さを心地よく感じてしまう。

最上級のセンスでコントロールされた芝居って、こういう境地に行き着くのかもしれませんね。演出家としての櫻井は特に意識せずにやっていることなのかもしれませんが・・・。

ちょっと見はそうはみえないけれど、きっとどこも代わりになることができない劇団であり芝居なのだろうなと思います。

R-Club

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花丸・生喬・つく枝・こごろう ラクゴリラ戦士@江戸

10月6日、お江戸日本橋亭にて、「ラクゴリラ」を観てきました。関西で定期的に行われている林家花丸・笑福亭生喬・桂つく枝・桂こごろう 四師匠の会で年に2回東京にもこられているみたいです。東京版は今回で11回目とのこと・・・

いやぁ・・・、楽しみましたよ。各師匠の高座にはそれぞれに感じたこともあるのですが、全体としては観るものをぐぐっと引き寄せる力感溢れる落語会でした。

(古典落語についてのお話ですが、演劇でいうネタバレに近い内容が含まれますので、読まれる方はご留意ください)


桂 佐ん吉 「道具屋」

開口一番ということで、元気に登場。でも、ただ元気なだけではなかったです。勢いで押すというよりは場にちゃんと奥行きをもった噺をする・・・。雛人形で落語をするくすぐりにあえなく陥落しましたが、そういうくすぐりが成立するための、登場人物間の関係というか場の作り方に無理がないのです。若手の噺家さんにはめずらしく噺のテンポを崩さずに大きく噺をつくっていくことができる・・・。全編とはいいませんが、何度か聴くほうがすっと体を前に引かれるような部分があるよい高座でした。

林家 花丸 「あくびの稽古」

やわらかい語り口ですっと客を噺に巻き込んでいく感じ・・・。たまたま出番が浅いということもあるのでしょうが、観客をゆっくりとこなれさせていくような語り口から始まりました。噺に入ってもポーンと勢いつけて客を持っていくのではなく、客を自分の陣地に引き入れながら少しずつ高揚させていくような感じ・・・、で客が懐に引き込まれたあたりが浄瑠璃の稽古で保健所を呼んで象を殺させます。「あくびの稽古」(あくび指南)は他の方でも何度か聞いたことがあって浄瑠璃のひどさについての描写は噺家さんによってちがうみたいですが、花丸師匠のには噺全体の流れを崩さずに、一方でちょっと気を緩めた客を一気に持っていく力がありました。そのあとの浄瑠璃のお師匠さんの後日談が追い討ちで・・・、いやぁ、やられましたね。習い事が浄瑠璃に入ってからも噺がしつこくなるわけではなく、さらっと切れがすごい。それまでは堅実かつ緩やかに客をあっためておいて、ここ一番で狙いをはずさない・・・、ちょっとしたスパイナーの風貌すら師匠の横顔に感じました。

ただ、しいて言うなら、噺が佳境にはいってからは、あくびの師匠がちょっと怒りすぎるかなとも思いました。一度沸かせた観客を多少なりともペースダウンさせるのは演者にとって勇気のいることなのかもしれませんが・・・。もちろんサゲを際立たせるために、師匠の苛立ちは出さないとだめなのでしょうが、あくびの練習自体はもう少しのんびりと不毛にやってもらうのが良いのではと思います。素人の感覚かもしれませんが、最後にあくびをする人間の退屈さがもうすこし伝わってきたらなぁ・・・とそこだけがちょっと残念でした。

笑福亭生喬 「雑穀八」


生喬師匠は声に張りがありました。笑福亭一門の噺家さんは、声がしっかりと大きい方が多い。先代の松鶴師匠の影響なのでしょうかねぇ。生喬師匠も例外ではないのですが、ただ、笑福亭の他の噺家より声が澄んでいる。だから江戸言葉がぽんぽんと出ても、デフォルメ感がないというか違和感やよどみがない・・・。主人公の鶴さんが江戸言葉でまくし立てる部分の気風がすごくよくて・・・。これで前半の因縁話にずっと引き寄せられました。また後半言葉が関西弁に戻った部分でも鶴の気性がきちんと引き継がれていて、全体として凛とした緊張感が途切れない高座でした。

ただ・・・、「雑穀八」という噺ははじめて聴いたのですが、これは語り手にとってずいぶんと難しいのだろうなと思いました。噺のスケールが大きい上に3つの色あいの違った物語が繋がっていて、一貫性のようなものがなかなか取りにくそう・・・。。前半の人情話のようなトーンが、雑穀八再生の物語に代わり終盤には犬も喰わない夫婦喧嘩のちょっとコミカルな噺に変質していく・・。勢いで押し切ってもらえると噺が泥臭く繋がって違和感がないのですが、きれいにやられると、最後の夫婦喧嘩の部分が噺のながれから浮いてしまう気がします。正直いって生喬師匠でも鯛のやりとりまでは緊張感を持続して押していってたのが、最後の部分だけ、ちょっとそれまでの話と分離したような感じに聞こえてしまいました。

とはいうものの、この噺を語る生喬師匠の高座には気迫と繊細さが同居していて独特の魅力があります。噺がもう少しこなれたら、生喬師匠のまさに十八番になっていくのではと思いました。

桂 つく枝 「壺算」

つく枝師匠は枕の部分から愛嬌があって好感触・・・。話の積み重ねに、いきなりちょっとグルーブ感を感じさせたりもします。語り口に天性の明るさがあって高座が華やぐ感じがいいですね。

壺算は、まあ有名な噺ですから、料理の仕方も人それぞれなのでしょうが、つく枝師匠のは壺屋の番頭より買い手側の表現に比重がつよい印象を受けました。歳がばれますが、昔故枝雀師匠の生高座を観ているだけに、この噺においては未来永劫、枝雀師匠の番頭が陥る狂気の表現に勝てるものはないやろと思っていたのですが・・・。つく枝師匠の高座を聞いていて、だまされる側のうろたえぶりばかりはなくはめる側の快感もまたこの噺の魅力になっていることに気がつきました。もちろん、壺屋の番頭の錯乱でもたっぷり笑わせてくれるのですが、同時に買い物上手の徳さんがとても丁寧に描かれているのが大きいですね・・・。枝雀師匠の時には、もうエンジン全開で噺が膨らんで、挙句の果てには壺屋の番頭が「ずっと便秘でいらいらしていた」みたいな生理的なボヤキをいうくだりまでがあったような覚えがあるのですが、つく枝師匠のは、そのあたりが省略されて、壺屋の番頭の箍が完全にはずれなくても噺として遜色なく成り立っていて・・・。

まあ、壺屋に行く前の、「お前は布袋さんの気持ちがわかって、なんでわしの気持ちがわからない・・・」にもはまりましたが、(これが言いたいために壺が割れるくだりでしっかりと仕込みをしていた)、つく枝師匠というのは一見大雑把なキャラクターを作っているものの、実は噺の尺や仕掛けを念頭にいれたすごく緻密な落語をやられる方なのだと思います。

そう、先日天どん師匠で聴かせていただいた
江戸落語の「お見立て」あたりをつく枝師匠でも聞いてみたいですね・・・。「お見立て」が上方落語にあればの話ですが・・。

桂 こごろう 「ちりとてちん」 

眉毛!眉毛にやられました。目は口ほどのものを言いなんてことを申しますが、まさにこごろう師匠の眉毛はその上げ下げだけでちゃんと物を言うのです。結果として師匠の表現にはつねにちょっとデフォルメされたような大きさがついてきます。また師匠はその大きさの使い方がうまい・・・。

「ちりとてちん」については、笑福亭福笑師匠の高座の印象が非常に強くのこっています。それまでにも江戸落語の「酢豆腐」を含めて何度も聞いた噺だったのですが、以前福笑師匠の噺を聴いて、それより過去にあったこの噺の印象が全部塗りかわりました・・・。冷静に考えるとちりとてちんを食べて竹さんがリバースするところもまでやるのって福笑師匠くらいのものなのですけれどね・・・、あの印象はすごかった。その印象があるからNHKの連続TV小説のタイトルが「ちりとてちん」と聴いたときにはなんちゅう汚いタイトルをつけるんやって一瞬思ってしまいました。

こごろう師匠のちりとてちんは旦那の表現がとても良かったです。もちろん、竹さんがちりとてちんを口にするところがクライマックスなのですが、物語の比重は旦那のいたずら心に重くおかれていたような・・・。そのいたずら心を表現するときに眉毛が生きるのですよ。顔の表現がしっかりしているから、体の動作が大きくなっても違和感がない・・・、ちょっと奇抜な動きをしても、表情が支えてくれるから噺から浮かない・・・。結果として、喜ぃさんが料理を慶んで見せるところから旦那が「長崎名産ちりとてちん」を作るくだりまでのすべてがぱぁっと華やかで大きな印象になりました。

福笑師匠のを聴いたときもおもったのですが、「ちりとてちん」という噺は、旦那と喜ぃさんの食事光景が華やかでないと、竹さんが現れてからの噺の展開が陰湿になってしまうような気がします。ふたりがこそこそしていると、体育館の裏でいじめをしているような印象になる・・・。こごろう師匠の眉毛は喜いさんの座をもりあげる表情にあらわれる艶のようなものや、旦那のちょっといけないいたずら心までも、デフォルメして明るく大きく見せていきます。それは竹さんの表情まで引っ張って、デフォルメがさらにしっかりと効くまでに噺を大きくしていく・・・。良い循環が噺をどんどん面白くして行く感じ・・・。

オチを語る時に垣間見える竹さんの「素」がそれまでのデフォルメのおかげですっと浮き立って・・・

役者でも落語家でも同じなのかもしれませんが、天性のなにかを持った演者っていうのはやっぱり強いですよね・・・。さすがに福笑師匠のちりとてちんを超えた名演とまでは申しませんが、こごろう師匠の味付けがしっかりと立った「ちりとてちん」がしっかりと存在して観客を巻き込んでいました。

しかし、余談ですが、これだけのクオリティをもった落語会にお客様がちょっと寂しい・・・。席が50%くらいしか埋まってませんでしたから・・・。確かにご出演の師匠たちの芸って完成された型にはまりきっているわけでもなく、今回かかった噺も将来の演じ方についてはまだ、ゆれるのかもしれません。、でも旬というのはそういう不安定さが煮きられてしまわない面白さだともおもうのですよ・・・。不安定さがあるということは、まだ大きくなるスペースを抱えているということでしょうし、さらにチャレンジをする志の表れともいえるわけで。

世にいう名人上手の完成された至芸をみるのもすごく楽しいし感動も大きいのでしょうけれど、だからといって旬の芸をみないのはあほです。ほんと、今回の会にはその旬がたくさん詰まっていたような気がします。この会のことを教えていただいた方には大感謝です。

次回は来年4月26日だそうな・・・。鬼が笑うような噺ですけれど、勝手連で思わず宣伝をしたくなるような(チケットがとれんようになったらこまるけど)催しでございました。

R-Club

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経験豊かな役者の仕事 ロマンス・狐狸狐狸話・憑神

8月から9月に観た、ベテラン俳優たちのお仕事をいくつかご紹介

観た順にロマンス・狐狸狐狸話・そして憑神です。

・ロマンス

アントン・チェーホフの半生記を男女6人で演じるという趣向、井上ひさしの脚本は、一見淡々と彼の生涯をスケッチいるようで、抜け目なくしっかりと井上流チェーホフ像を観客に植えつけていきます。前半の母親との関係、後半にはいると兄妹、そして妹の友人であった妻との確執の描き方も深く軽妙でまさに井上作品の真骨頂。ちょっと下世話な部分も井上テイストですが、一方では音楽劇とすることで物語の流れに滓がなく、すっとしみこんでいくような仕組みも作っていきます。また、シーンの各所にさりげなく深い趣きを仕掛けていくのも井上流。前半のチェーホフの青年時代を描く手法の丁寧さ、それが後半にはいるとチェーホフとスタニフラフスキーとの確執、かもめや桜の園をボードヒルっぽいテーマとして演じるべきだと主張する彼の言動に説得力を与えていたし、奔放な女優の妻を慈しむ姿をごく自然に見せていた。井上はひとつひとつのシーンを時代の検証のように流しているわけでは決してなく、時系列を崩さないように配慮しながらも、想いがつながらない芝居にならないように組み立てているのです。その組み立てが観客にとって冗長にならないように、時には喜劇の手法を用い、音楽で物語をつないでいく。ボードビル仕立てというのとは大分違いますが、ボードビル風のスピリットを物語の香りづけにして物語を見事に膨らませていきます。

役者は・・、そりゃすごいです。大竹しのぶと松たか子が同じ舞台に共存しているし、段田安則や生瀬勝久、木場勝己、ミュージカルで活躍している井上芳雄らが戯曲の要請にしっかりとこたえていく。

大竹しのぶはまさに大竹しのぶで・・・。彼女の舞台上での存在感の出し入れにはほれぼれします。また大竹しのぶが女優として「ある芝居をこんな風に演じた」と、プチ劇中劇を演じてみせる姿にはただ瞠目、芝居の中のトーンと明らかにことなる色をした台詞回しで暗転もなく照明の力を若干借りただけで舞台の色をがらっと塗り変えてしまった(しかもすっと元に戻した・・)・。一瞬にしてストンと劇中劇に観客をひっぱりこんだ彼女の芝居には冗談抜きで震えがきました。でも、この演技がなされたのは「観客を震えさせるだけの役者である」という説得力が、大竹の演じる役柄に不可欠だったからなわけで、彼女にしてみれば演じるべきとおりに演じただけなのでしょうが・・・・。それを観客の想像力の助けを一切借りず成し遂げたところに大竹しのぶの大竹しのぶたる所以があるのだと感じました。

松たか子は、コアに生真面目さと熱を一緒に持ちあわせた女性を演じたらたぶん日本一であり(映画HEROの雨宮舞子はまさに彼女のはまり役)今回もその役柄を守りとおすことで大竹しのぶとの見事な対比を作り上げました。たとえば、最終盤に病のチェーホフと妻が「モスクワに移り住んで高価な外套を着て冬の街を散歩したい」と語り合うシーンがあるのですが、兄の体を気遣って大反対する松たか子の演技の深さによってそのシーンは宝石のように磨き上げられた・・・。松たか子の演じる一途さで大竹しのぶの「妻としての愛」も松たか子自身の「妹としての思い遣り」も彼女の演技で見事に輝いた・・・。大竹しのぶと松たか子がともに主役であるとともに脇役としても機能するような戯曲上の構造の巧みさにも驚愕しましたが、同時に、彼女たちは主役としての十分な力量のほかにバイプレーヤーとしても類まれなセンスを持ち合わせていることも、今回十分に思い知らされたことでした。

男優陣はチェーホフの年代に合わせて4人が演じ分けるという設定でしたが、これが見事に機能して物語のアスペクトがしっかりと整理されていたような気がします。チェーホフの変化についても無理がなく、さらには異なる俳優が演じることによってかえって統一したチェーホフの姿が浮かび上がった部分も感じました。このような主役の回り持ちが成立するのは、(「藪原検校」を観たときにも思ったのですが、)井上ひさしの戯曲に含まれる個々のシーンの空気のような軽さと、一方でシーンごとにぶれないようトリガーがきちんと顧客に提示されているからこそのなのでしょうね・・・。戯曲全体のデザインがとてもしっかりとなされているのだと思います。

音楽の使い方も効果的でしたね…。物語に滓ができないように、音楽は物語の不要な重さを歌に代えて流していたようにも思えます。このあたりも「藪原検校」と同じ手法であり、「藪原検校」の物語が本来持つ陰惨さを歌がうまく消したように、ボードビル作品を目指したアントン・チェーホフに内在するまとわりつくような影の部分を歌がうまく浮かび上がらせて観客に届けてくれました。

この作品、評価はいろいろと分かれたようですが、私は非常によく出来た作品だと思います。シーン毎に積み重なっていくチェーホフの人生の重さと、もっといえば重さに振り回されない軽さにすっと心を捕らえられたとき、その向こうに鳥瞰した人生の広がりさえ浮かんで、細かい粒子のような感動がゆっくりと観客の心を満たしていきます。強いて欠点を言えば、妙に口当たりが良くて現れた景色がやがて一瞬の淡雪のように思えるところでしょうか。でも、言葉をかえればそういうことを洗練っていうような・・・。案外演劇の神様は洗練されすぎた作品には嫉妬を感じてその印象をひと時のことに変えてしまうのかもしれません。

・狐狸狐狸話

北條秀司という作家、これまで知りませんでした。歌舞伎や新国劇などに作品をたくさん残された方だそうで、作としては200にも余る戯曲があるのだそうです。狐狸狐狸もそのひとつ。

まあ、下世話というか脂っこいな部分が結構あるお話で、肝の据わった役者がしっかりやらないとなかなか生くささが抜けないような・・・。でも、この芝居には、ちゃんとその泥臭さを抜くだけの力をもった役者をそろえてありました。篠井英介、ラサール石井が狐と狸、自らの演技の味を存分に出しあってぶつかれば、六角精児が物語のもつ灰汁のような部分を縦横無尽に吸い取っていきます。板尾創路は、どこかぶっきらぼうなテイストで篠井・石井がもつ演技の潤いのようなものを生かしながらしっかりと自分の演技を作っていきます。脇にも廣川三憲や大出勉など堅実でありながらしっかりと自らの個性で勝負できる役者を配して・・・。さらには皆戸麻衣、植木夏十のナイロン組やサチコ、小林由梨といった女優陣が物語に色をつけていきます。

北條戯曲の演出についてはけれんのない全うなものでした。ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出は、原作の持つであろう物語の情念の部分をやや薄め、笑いを強調したものの、基本的な北條戯曲の屋台骨はそのままになぞっていたのではと思われます。テイストをややお直しがはいっているものの、戯曲自体のたぶん潤色やデフォルメはほとんどなかったのではないでしょうか、物語本体については・・・。

ただ、そうして作り上げた昔ながらの一品料理を、ケラさんがそのまま観客に振舞うわけがなく・・・。シェフは、上質なそのまま食べてもおいしい料理にオリジナルソースとばかりに外側の別の世界をかぶせます。それは、いかにもケラテイストな話・・・、どこか不条理で突き放した部分があり、ピリッと辛くて、シニカルな、別の男女の愛憎劇。外側の主人公は病院でお見舞いに訪れた先輩に北條戯曲の物語を聞かされているという設定・・・。上質な和風の焼き魚にケイジャンテイストのソースをかけた様な・・・。野間口徹や真山章志、さらには小林俊祐の演技が光ります。

で、結論として、ソースと料理が合わさったお味はといえば・・・、これが実においしいのです。「あ、ケラさんの勝ちだ・・・!」みたいな感じ。

奇抜なことをやるようなポーズも力みもなく、さらりと新しいテイストを客に供するシェフの才気とそれをゆとりを持ってで支える役者たち・・・。ぬめりを持った素材が上品に料理をされて斬新でドライな一皿に姿を変えて・・・・。まさにシェフ、ケラリーノサンドヴィッチの面目躍如。これだからケラ作品から目が離せないわけで・・・。本当にいいものを観たと感じたことでした。

・憑神

中村橋之助が座長を張って、休憩をはさんで3時間近いお芝居、チケットを安く譲っていただいたときにはかなりわくわく物だったのですが…。

だって、いい役者が溢れるほどにご出演なのですよ…。実際、野川由美子の凛とした立ち振る舞いを観るだけでもそりゃもう眼福だし、鈴木杏の目鼻立ちのしっかりとした演技、さらにはデビット伊東、ゴング桑田や升毅などの芸達者達、福田転球もよかった・・・。手入れのしっかりとした道具をふるって浅田次郎の原作をG2は軽妙に裁いていきます。観ているものはゆったりと座っているだけで物語があちらから飛び込んできてくれる・・・。

しかし、しかし、この芝居が十分に観客を満足させるに足りるものだったかといえば、私にはどうしてもそうは思えないのです。

たぶん、一番不足していたのは高揚感・・・、個々のシーンは流暢にながれていくのですが、流れに重さがない。たとえばロマンスのようにシーンごとに積み重なっていくものが少ない。観客に「気が付けばこれだけのものを抱えていた・・・」みたいな感覚がやってこないのです。

橋之助や小劇場出身の役者たちの演技がちょいと切れすぎているのかもしれません。切れでなく愚直なほどの重力がないと、この物語には観客を引きずり込む力が生まれないのかも・・・。もし、これが本多劇場での公演なのであれば、今回の演技でもしつこく感じられたかもしれません、でも、あれだけの間口の舞台に花道までついているような空間では演技が場内をめぐる時間のようなものがあって、役者の演技にも声をぐんと張るような力みがないと(歌舞伎でいう見栄を切るような)観客をくすぐることは出来ても、舞台に引っ張り込むことができない・・・。G2の演出は、ここ一番力める場所を役者にちゃんと与えていないような気がするのです。また、そういう大きい芝居が出来ない役者たちでは決してないはず・・・。陰山泰なんて、バチが当たるのではないかと思うくらいもったいない使い方で・・・。秋本奈緒美や藤谷美紀なども役不足とはいえないまでも、もっと深く演じる場を支えられる役者だとおもうのですが・・・、もったいない・・・。

さらに主役の橋之助にしても、終盤力をぐぐっと前に出した芝居を見せてさすがと思わせる部分もありましたが、いかんせん、観客からすると。そこまでの芝居に舞台と一緒のっていけるような部分が薄いので、最期になって物語を急に登り詰められてもついてこれないのです。憑神に離れていってもらうときの苦悩や、自分の居場所のなさ、個々の演技としては悪くないのですが終盤からみるとなんかバランスが悪いというか伏線になりえていないような・・・。

誤解なきように申し上げて起きますが、この芝居、楽しんだことには間違いないのです。でも、名舞台といわれるには何かがやっぱり足りないというかどこか歯車がかみ合っていない部分があったと思います

さて、ここからはちょっと余談、ベテランというか年季の入った役者さんたちの舞台って、見ていて楽なことは事実なのですよ。観客として舞台側にゆだねる部分を多くすることができるし、不安もすくないし・・・。でも、正直言って、ベテランの方たちの仕事が全て観るものを満たすわけではない・・・。当然そういう方のご出演になるお芝居って木戸銭もお高いわけで、いわゆる小劇場のお芝居の倍から3倍、下手すると4~5倍はするわけです。

それだけ払っても見る価値のある芝居に100%めぐり合えるわけではない・・・。当然観客としては博打を打つことになるわけですが・・・。お馬さんの予想と同じで観る前から芝居の真贋を見分けるなんて出来るわけもなく・・・。まあ、それが芝居狂いの楽しさだなんて科白を吐いてみても、一般庶民にはそれなりに贅沢な道楽なわけで・・・。

どうだろう、8月から9月にかけての戦績は2勝1敗(勝率0.667)といったところでしょうか・・・。まあ、どれがどれとはいわないですけれど・・・。だからといってWOWOWで中継を見ても、生の芝居と比較して伝わってくるものは1/10だし・・・。

まあ、なんとも悩ましいことだと思いながら、次のチケット争奪戦に想いをはせたりするわけです

R-Club

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