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アメノクニ ヤマトブミ innerchildの壮大な座標軸の元で・・

開演前、舞台を観て、神社を思い出しました。中央に鏡を想起させるような大きなスクリーンがしつらえられ、その下にはつづれ折りになったような紙が飾られ、さらに上手と下手には太陽のようなマークのついた赤い幟状の物がつるされている。客席としても広々とした舞台にやや圧倒されます。

これが吉祥寺シアターでなければ、ある種の静けさと緊張感に新しいタイプの宗教の布教集会でも始まりそうな雰囲気…。しかし、舞台が始まるとそんな雰囲気は一変します。舞台ごと時間がダイナミックにゆり動かされていく、そのまえの静けさにすぎません。

物語の輪郭がみえるまで30分くらいは情報を蓄える時間が続きます。芝居が始まるとスクリーンに映し出される八百万の神々の物語からの引用があったり、住民たちの会話もなんとなく終戦直前の日本と重なるようなプロローグが演じられる。連作の後半ということで、前作のダイジェストシーンも流れ終戦の混乱が演じられる中で芝居のタイトルが映し出されます。

タイトルシーンにも一工夫あって、登場人物を演じる役者がライトアップされて紹介されるとき、彼らがある時代の中から切り取られているかのごとき印象が与えられます。それは、舞台上での登場人物の交差が舞台上の物語における世界観の象徴のようにも見えます。

やがて、物語が進むうちに観客はRPGのような設定のなかで第二次世界大戦後の日本の状況を見せられているような感じになります。物語は戦後の日本が置かれた環境とほぼ重なった形で展開していくのです。但しリアルに日本の戦後を舞台としたドラマそのままではない。実験室に置かれたシミュレーターの中の出来事のようにどこかが抽象化されていて、しかも分厚いガラスの内側の出来事のようにかすかにぼやけて見えている感じ。

さらに、前回公演の映像やいくつかのエピソード、そして北極点からみたような地図がスクリーンに映し出され、愛親覚羅溥儀が登場するに及んで連作の後半から入り込んだ観客にも、前作には満州国建国に至る経緯、神道による統治の裏側に神道をつむぐ物語が存在したらしいことがわかってきます。

微妙にモディファイされ、抽象化されたポツダム宣言受諾、連合国軍進駐、GHQ創設,極東軍事裁判、その一方で平安時代の藤原家を想起させるような施政者による宮中支配の野望崩壊から天皇の人間宣言、新憲法の発布や教科書の改訂まで・・・。

観客の中にある極東の戦後史や神話に関する感覚がてこの支点になって物語はより大きな世界観や史観へと発展していきます。時代をさかのぼるときのやわらかいGのかかるような感覚、これまでどんな芝居においても体験したことのない、質量を失った重さのようなものを肌で感じて・・。過去を俯瞰する未来は千年の先、史観は行きつ戻りつ、いつか創作の世界へと昇華していきます。

物語の底辺をささえる国の物語をつむいだ主人公の行く末、歴史の事実を恣意的に重ねていくことによって編み上げられていった国の民のアイデンティティ、時代のなかで語られ続けやがて埋もれていった神々の物語は再び掘り起こされ、あるものは尊きところの神格化のために大きく飾り立てられ、ある物はその神格化の妨げとなるために矮小化されていきます。施政者によって神格化された物語は現人神をして民をひとつにまとめていく力の象徴に祭り上げられて・・。それとてもとは人の物語なのですが、神格化された物語は国をひとつのベクトルに纏め上げて、国の王には神として民を導いていく根拠となっていきます。、民はアイデンティティと国家の形態の一致がなされるという砂上の整合に身をゆだね、そして、国家のアイデンティティ維持の名において戦がなされ、国は敗れ・・・。神は人となりアイデンティティは崩壊していく。

それでは、砂上の整合が敗戦によって崩れたときに、物語は終わるのか・・・。人のつくりし神の言葉はさらに綿々と書き綴られていくのです。新しく神となりたるもの、千年前に戦いに敗れ憲法によって戦いを封じられた国の意図により、実は新しいアイデンティティの下で、新しい物語がさらにまとめられ書き加えられていきます。新しい物語はそこにあり、つみあげられて・・・ふたたびこの国のアイデンティティにいざなわれるのを静かにまっているかのよう・・・。

観終わってまず思い出したのが曼荼羅でした。人は国につながり、国は正しかろうがそうであるまいが人の思いの束ねによって形成され、国は他の国との関係のなかでさらに世界を作る。一方人の想いはたくさんの神を語り、語られた神は時間に埋もれながらもこの世界のシノプスのように存在し続ける。さらに曼荼羅の面に時間軸というもうひとつの広がりが加わると、想いの重さと儚さが驚くほどリアルに観客の心を捉えて・・・。物語ひとつずつの重さも儚さもすべて世界に繋がっている壮大さを感じたことでした。

物語の料理人としての小手信也は、自らも身をおくこの曼荼羅を、常人と異なるやり方で、たとえば薄くスライスするように切り取って、そっと裏返し連作風に重ねて口当たりよく供してみせました。何気に口に入れたその物語の味わいの奥深さに思わず観客は何度も咀嚼を重ねます。そしてシェフが包丁をしまうころには、深いため息をはき、行き場のない称賛をつぶやくことことになるのです。

役者たちの演技にはいずれも切れがありました。複雑な物語にエッジの立った芝居で風を通していた感じ・・・。このことで物語の輪郭がずいぶんとはっきりしました。また、演出のうまさでもあるのでしょうが、役者たちが自らの演技が表す時間の質感や流れをしっかりコントロールしていたことも大きい。時間を一気に流すところと緩やかに進めるところ、そして留めるところをメリハリをつけて演じていて、これが物語の全体像をくっきりと際立たせました。

それにしても、この前作、是非みたいです。台本を売っていたので買いましたが、やっぱり生でみるのとは実感が違います。歌舞伎のように通し狂言風の再演をやってくれませんかねぇ・・。

作:  演出 出演 小手伸也

出演: 進藤健太郎 石川カナエ 土屋雄 宍倉靖二 春名舞 三宅法仁 善澄真記 小田篤史 三原一太 山森信太郎 松崎映子 石橋晋二郎 菊岡理沙 高山奈央子 窪田芳之 高見靖二 前田剛 狩野和馬 金順香 古澤靖二 

 

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コメント

トラックバックのお礼
ほぼ一月も経ってしまい恐縮ではございますが、この度はご来場真に有難うございました。
劇評の方、大変興味深く拝見させて頂きました。詳細な分析には頭の下る思いと共に、作演としてこの上ない多幸感を得させて頂きました。
これを一つの励みとして、今後も益々頑張って参りたいと思いますので、ご声援の程、何卒、宜しくお願い致します。
有難うございました。

innerchild主宰 小手伸也

投稿: kote | 2007/10/01 15:30

小手様

コメントありがとうございました。
一ヶ月たった今でもあのお芝居の感触ってまだ残っています。非常に秀逸なお芝居だったと思います。

次回公演も、すごく楽しみにいたしておりますので・・。

投稿: りいちろ | 2007/10/03 23:12

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