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「穢れ知らず」2回目 ワンステップ内側へ 

9月8日にソワレにて「穢れ知らず」をもう一度観ました。ひとつはダブルキャストということで、前回観ることができなかった役者も見たいとおもったし、芝居というのは生き物ですから、公演期間の前半と後半で変わっているかを確かめたいという気持ちもあってあらかじめ前売りを買っておいたのです。

結論からいうと、9月1日の観劇時に比べて8日の舞台は全体が高揚していた感じがします。役者のシーンごとの感情に道筋がついたというか轍が生まれた感じで、1日時点ではシーンによって戸惑いながら小出しにしていたような役者の想いが(この表現も結果的にリアリティがあった)、8日の舞台では溢れるように観客席に伝わってきました。特に大きな変化を感じたのは、冬月ちきと岡田あがさの二人…。

冬月ちきはラストに近い全てが明らかにされるシーンで、1日の時点にくらべてより近い部分で家族を観ていたような気がします。最後に舞台を退場していくときにも、家族の外側にいる人間として何ができるかという感じから、家族の痛みを感じながらも耐えるような表情へと変わっていて、舞台の印象をより深いものにしていました。

岡田あがさはあふれ出る想いに惑いがなくなっていたように感じました。内側で押さえていた思いはやわらかく重い感情表現となって観客を巻き込み、そこから派生する深く強い思いは単一の感情ではなくいくつもの色に染まりながらラストシーンの激しい想いへとのぼりつめて、場内全体を包み込んでいきました。

1日の舞台では思いの脆さや儚さをゆっくりと感じて、闇の中でラストテーマの曲とともに観客が彼女の思いに満たされていった終演部分でしたが、9日の舞台では誰も留めることができないような熱く深い情念が岡田あがさの全身からあふれていて・・・、やがて舞台の闇に包まれるひととき、情念が儚さにかわって行く姿を観客はただ息を詰めて見つめるしかないような、そんな構成に変わっていました。

また、他の役者たちも1日の舞台にくらべて色がしっかりついた演技だったように感じました。演技に力みがないのは1日と同じなのですが、一人一人の肺活量が増えたというか、動きや台詞で観客に投げかける想いの量が明らかに増しているし、それらはより豊かな中間色に染まって観客に伝わってくるのです。

舞台というのは日々を重ねるごとに醸成されていくものだと・・・、これは何かの芝居の台詞の台詞からのぱくりですが、実感としてそんなことを感じさせる8日の舞台でした

それともうひとつ、ダブルキャストで何人かの役者さんが違っていたのですが、いずれも好演でした。たとえ同じ台詞を話していても役者がかわることによって舞台の印象が若干かわっていることにも気が付きました。

猿田瑛は同じ役を演じた佐藤けいこより透明感の強い演技で、都会へのあこがれより田舎への嫌悪が強く出た演技でした感じがしました。感情はやや潜伏する感じになりましたが都会へのあこがれの深さが透き通った声からしっかりと伝わってきました。声が感情をしっかりと表現できる女優さんでもありました。

豊永純子はふっと魔がさすような女性の感情を良く表していました。一途な印象をしっかりと作れる女優で破綻を導くに足りる演技で、同時に同じ役を演じた榎本万里子に比べて逃げざるを得ないという切迫感をより強く演じていました。

鈴木雄三も屈託のなさを演じきることで、残酷な結末たちを自然に導いて見せました。

ちょっとぐったりしましたが、精神的には満たされた感じ・・・。こういう芝居だとリピーター割引の制度も生きるのかもしれませんね・・・

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