「砂利」 本谷有希子的「0」の発見に三津五郎の「静」なる演技
7月28日にダンダンブエノの「砂利」を見てきました。作が本谷有希子、演出が倉持裕というのがそもそも話題で坂東三津五郎が小劇場芝居に出るというのがもうひとつの話題、坂東三津五郎は私もかなり興味がありました。
まあ、結論からいうと坂東三津五郎を本谷・倉持はよく使い切ったと思います。それも贅沢に・・・。
これまでの本谷作品って、温度差というか感情の差で物語に起伏をつけていたような部分があると思うのですよ・・・。登場人物はある部分が冷えていたり、逆にある部分に異常なまでの熱をもっているという人が多かった。でそれをスタビライズする人間は温度差が作り上げる風に吹かれて右往左往するわけです。前回私が観た彼女の作品、「ファイナルファンタジックスーパーノーフラット」においても作家の旦那兼編集者がその役をしていて、うさ耳の男の作り上げた世界と現実のとも綱の役割をはたしていました。
(公演は終了していますが一応この下にはネタバレがあります。ご留意くださいませ)
ところが、今回坂東三津五郎の演じるキャラクターは温度を発しないのです。熱くも冷たくもないという設定。そんな彼が役として舞台の中央にきているから、彼が他との相関関係を描いていくというよりは、彼が演じる蓮見田というキャラクターとの温度差をだれもが自らのペースでなんとか維持していこうというような感じになる・・・。
蓮見田がある意味一定の温度で支えられているのは片桐はいり演じる同級生を昔いじめて最後に受けた捨て台詞が記憶に残っているから・・・。その仕返しへの恐怖が不思議なことに彼に熱を与え平安を保たせているのです。また、彼の兄弟や居候たち、そして妻までもその環境を維持しようとします。その世界では優先順位が蓮見田が安定するためということでつながっているようにすら見えます。
ところがそのバランスはとあることから簡単に崩れます。実は蓮見田の妻の姉、際(名前です)こそがそのいじめられっこ・・・、それがひょんなことから同居をすることになります。蓮見田が恐れていた昔のいじめの仕返し・・・、ところがそんなことはいじめられた際のほうはまったく気にかけていなかった風なのです。
行き場のなさというかまわりの作られたテンションによって熱をもらっていた蓮見田はもはや熱を維持することができず、そこから悲劇のような喜劇がうまれていきます。これまでの本谷有希子はその段階であや織りにされたたてまえを解くようにそれぞれの本音を浮かび上がらせていくのですが、今回はいつものように登場人物をもろにすり合わせるのではなく、舞台の中央のブラックホールを利用することによって登場人物のキャラクターを照らしだしていきます。所詮行き場のない感情を吸い込んでくれていたものがその機能を止めたとき、それぞれの実態が浮かび上がっていく。本谷流「0」の発見とでも言うのでしょうか・・・。
倉持裕の演出は本谷有希子自身が演出する場合に比べて、個々のキャラクターをはっきりさせるような傾向があり、それゆえに三津五郎の「0」がさらにしっかり浮かんでいたような・・・。もし、本谷自身が演出すればきっともっとゆっくりとキャラクターの本質が立ち上がり、染み入るように観客に伝わっていくのでしょうが、倉持演出では当初からそれぞれの登場人物の細胞の形がしっかりと出るような感じなので「0」の存在も際立って見えて・・・。くっきりとした形で舞台に存在する行き場のなさが浮かび上がっていきます。
しかも、たぶん歌舞伎役者の方って動の演技だけはなく静の演技にも長けていらっしゃるのですよね・・・。見た感じには歌舞伎の歌の字もない演技の中に大和屋としての静の演技が隠れている感じで、それが砂利を踏むところで一気に溢れてくるような・・・。不安定な安定から一気に静の演技に落ちてそこからさらに溢れるものを出せる力がこの「0」をもう一段しっかりと見せたような気がします
一方「0」の距離感や強さで演じる役者たちも、そりゃ手練ですから当然に見ごたえがありました。近藤芳正の寄る辺のないところから距離を作ったり縮めたりするセンスは本当に観客を舞台に引き込んだし、逆に「0」を無視するように一定の間隔を取り続ける田中美里にも力を感じました。山西惇、酒井敏也はそれぞれ世界の両端(山西さんは観客側から中立の目で見ている感じ、一方酒井さんは物語のさらに深いところで象徴的に物語の端を定めている役回り)にいるのですが彼らが「0」の吸引力に時々足元をふらつかせながらも自分の位置をしっかり守っている感じが舞台に更なる深さを与えていたような気がします。
観客として舞台上に存在した感覚が好きかといわれるとかなり疑問なのですが、その「0」の感覚はしっかりと刻まれた感じがします。それは役者たちの技量によるところも大きいのでしょうが、このテイストを異なものとせずに受け入れられるまでに物語を作り上げたのはやっぱり本谷さんの力なのでしょうね。
ナチュラル演技の三津五郎の力と本谷さんのたくらみの深さがあとでじわっときた、一件だらだら風で実は力に満ちた2時間の舞台でした。
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