犬顔家の一族の陰謀 この枠組みにしてこの役者
ちょっと前の話で申し訳ありません。
Mixiやいろんな劇評をみるにつけ、新感線、「犬顔家の一族」はやっぱり生で観にいきたいと思っていたのですが、たまたまお盆後の土曜日に早起きができたので、意を決して当日券に並ぶことにしました。12時30分開演のお芝居の当日券発売開始は11時30分から・・・。まあ、その時間に行っても買えないだろうから、とにかく並ぼうと思って家を出たのが9時20分、10時ちょっと前について、当日券売り場をみたらもう列が出来ていました。その数20人弱、あわてて最後尾につくとバックで順番を取って当日の販売枚数を確認に・・・。40枚ということでとりあえずは一安心・・・。
補助席でしたけれどよい席でしたよ、真ん中の列の前から3番目・・・。サンシャイン劇場の補助席は意外と疲れないし、下手に前売り券で後ろの席になるよりずっとよいかも・・。役者の細かい表情をたっぷり楽しむことができました。
新感線の役者さんというとまず浮かぶのが古田新太、橋本じゅん、高田聖子なんかも有名ですが、なにせ、ここには芸達者な役者さんがてんこ盛りでいますから・・・。おまけに今をときめく宮籐官九郎、勝地涼、木野花、川原正嗣、前田悟などの客演を得て、なんと「ネタもの」・・・。最近の新感線にはいのうえ歌舞伎で一種の美学を極めたような部分を感じているのですが、その美学へのパワーがお笑いに全部振り向けられた「ネタもの」だとすれば、そりゃ観る前から観客の血も騒ぐというものです。
(ここからネタばれします。これから見る方はお読みにならないようお願いいたします。)
で、結論、血を騒がせただけのことはありました。細かいところまで作りこんであるというか、観客と勝負するかのごとく笑いどころを編みこんである感じの舞台。油断したら笑いどころを見過ごしてしまうという緊張感すら観客に与えるような。たとえば、ベースになっているのが映画作品(「犬神家の一族」)ということで東映映画のオープニングロゴが映し出されるのですが、海と波飛沫に東映ならぬ「新」の文字、そのパロディに目を奪われていると、映倫の審査番号の部分のギャクを見落としてしまったりします。(以前からのネタで有名ではあるのですが、映倫の「映」の文字が変わって男性がすごく元気な様子をあらわす言葉になってしまっている)。
その一方でわかりやすい大技のギャグも満載です。「Phantom of Opera」、「Cats」、「Chorus Line」などのミュージカルへのオマージュとも思える冒頭の部分は力があり、なおかつ非常にセンスのよいギャグになっていたし(個人的は「Chorus Line」のワンを犬が歌うところが一番うけた)、中盤の木野花・高田聖子・山本カナコのドリームガールのパロディもすごく良かった。歌の部分については役者が衣装までばっちり決めて、歌えて踊れてしかもネタというところが本当に新感線であり、なおかつ、Forbitten Broadwayすら髣髴とさせるほど・・。
このレベルのお芝居ですから、当然に作りこまれたかぶりもの衣装も満載だったし…。猫のかぶりものの下に猫化粧とか、門鍬茄子の小道具とか・・・。仕掛けで笑いを取る部分がこれでもかというほどある…。
しかも、この仕掛けに耐えうる猛者というか濃い役者がこれだけそろっているというのは本当にすごい。おバカをやる時に、あの古田新太や池田成志ですら抜きん出てみえないというか、舞台に呑み込まれてしまうような場面がけっこうあって・・・。新感線役者という概念のなかでのネタものでは彼らとて特別なスーパースターにはなり得ない。出演者のひとりひとりに十分な力があることの何よりの証です。村木よし子の「はみけつ」衣装をものともしない体の張り方なんかを観ていると、お互いの切磋琢磨のようなものも感じられて・・・。一方でひのうえひでのりの構成・演出のうまさなのかもしれませんが、一人ひとりの出演者が気持ちよくねたをやっている用に思えて。この気持ちのよさが観客席にもちゃんとつたわってくるのです。
そういう状況のなか、客演の宮籐官九郎は彼のペースで広々とした演技が出来ていた感じがします。役者としてもとても器用な面を持つ人ですが、細かい演技をしているときの彼から感じる一種の底知れなさが影をひそめ、観客席に彼が本来持っているおおらかさのようなものが広がる感じがしました。木野花も、緊張を切らして心ならずも吹いてしまう場面があるほど(宮籐官九郎がうつむいて我慢している木野花を見て結構おおっぴらに笑っている姿がまたおかしくて・・・)彼女のペースでの演技ができていて・・・。あんなにのびのびと演技をしている木野花を観ていると、旧のタイニーアリスで青い鳥を率いて芝居をしてたころを思い出すような・・・。観ていてとても懐かしくなってしまいました。いのうえ流個性の生かし方というか、見事な役者の使い方を垣間見た思いがします。
それと、もうひとつ思ったこと、役者の層が厚いというところにも繋がるのですが、新感線にはしっかりしたアンサンブル役ができる役者が多い。よい例が山本カナコで、一人のときは自らの存在を十分主張するパワーがありながら、誰とからんだ時には、打って変わって相手の色をしっかりと受け止めて、なおかつハーモニーのようなものを作り上げていくのです。その演技の秀逸なこと、自分を消して相手を立てるのではなく、相手を生かして自分も生かす…。彼女が出てくるとシーンにボリュームと味わいが生まれてくる・・・。昔「スサノオ」で羽野アキの妹役を最初に観てから、それでなくても結構ファンだった私は今回の舞台で彼女にますます惚れ直してしまいました。演技だけではなく歌にしてもそう、力があるし、ハモを彼女がとるだけで歌の迫力がぜんぜん違ってくるし・・・。
そして、中谷さとみや保坂エマにも同様の力が着実に育っていて・・・。主役であろうが脇役になろうが、舞台をひとりで持たせるだけの力がありながらまわりとしっかりシーンを作れる役者ぞろいだから、息を呑むような躍動感を持ったいのうえ歌舞伎と同じパワーをちゃんとネタもの芝居にかけられるのかもしれません。この役者のキャパの大きさこそが新感線躍進の源になっていることを痛感しました。
さらに言えば、関西系の劇団には多かれ少なかれ芝居だけではなくトータル戦略で客を楽しませるみたいなところはあるのですが、新感線のスタッフも役者に負けずようやってくれます。2800円のパンフレット・・・・。値段にもちょっとのけぞりましたが、おまけについてる文庫本にはもっとのけぞりました。普通ここまでやりますか・・・・。一番受けたのは「角川文庫発刊に際して」のパロディでしたが、新刊案内のすごさにはもう悶絶するしかない・・・。ここまでくると芝居をはなれてこれだけで十分芸の域に達している感じ。で、そのわりには文庫本にはさんである紙のしおりまで、角川文庫チックなものをしっかり作って、一方で中の文字(しおりとしてお使いください)にまで小ねたをしっかりはさむ・・・。個々までやられるとびっくりしたはずのパンフレットの値段が「まあ、しゃあないか・・・」になってしまう…。
ここまでやられると、もう観客はギブアップです。当日券に並ぶ方には何度もこられているリピーターが案外多いと聞いて、何でこの値段のネタもの芝居をまた見にくるのかと思ったのですが、実際に観てみると、その人たちの気持ちがよくわかりました。たぶん2回・3回と観ていってもこの作品は飽きないと思う・・・。食い尽くせない・・・。
同じ関西系のPiperにも同じようなところがあるのですが、新感線がもつ多層的かつしつこいまでのサービス精神には脱帽するしかない・・・。物語もきちんと筋を通しているし、役者の力は前述のとおり他の出演者を舞台上で観客化させるほどそれぞれの役者に舞台を引っ張っていくだけの力があるし、本当におバカをやっていても作りがちゃちい感じがまったくしないのです。ありがちな「おバカだからせこいやり方でもかまわない」みたいな発想が作り手にないから見ているほうも豊かな気持ちでおバカに浸れます。高い木戸銭取った分おまけを山盛りつけて返してやるみたいな勢いが舞台・役者、さらにはスタッフの仕事にまで感じられるのです。
帰り道、元を取ったような充実感がいっぱい…。うふっ。山本カナコさんの歌声がちょっと耳に残って・・・。
まあ、ほんとに、楽しませていただいたことでした。
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