「箱入り彼女展示会」の硝子の色は・・・(Rental Girl's Box)
まあ、世の中、いろいろな災難があるもので・・・。
ある芝居を観ていたら黒子役の役者さんが暗転中に舞台のポールを倒して、それが私の頭に落ちてくるというハプニングがあってちょっとびっくり。なぜそんなことが起きたかと言うと、その芝居が極めて狭く閉塞的な空間で行われていたからです。まあ、痛いというよりはびっくりした・・・。思わず帰りに宝くじを買ったくらい・・・。(自分のあたり運を生かそうと・・・)。
その芝居は「ITO SHINTARO IS A NICE STOKER」というユニットの「箱入り彼女展示会 Rental Girl’s Box」というもの。新宿眼科画廊で8月15日から17日まで上演されていました。
非常に小さなスペースで、中央の舞台の周りには一列の観客がやっと、正面だけ3列の客席で、全部あわせて40名程度の観客でしょうか・・・。その中で作・演出・出演の伊藤伸太朗は自らの演技をからめながら3人の展示物を丁寧に描いていきます。伊藤さんは双数姉妹のオキュパイで観たのが最初だと思うのですが、背筋のシャンと伸びた演技が印象に残っていました。今回も目鼻立ちのしっかりした演技をされています。
作品はお世辞抜きでクオリティが高くて・・・。ある程度女優をあて書きした部分もあるのでしょうが、女性の演じる力をゆっくりと引き出した伊藤の手腕が光ります。3人の女優に3つの服を着せて・・・。一方で物語の間をメールアドレスが買えるというゼッケンの提示と黒子による写真撮影という共通のトリガーで串刺しにしていきます。ひとつずつの物語だけでも十分おもしろかったのですが、3つのお芝居が共通のトリガーでつながれたことで、物語の外枠が生まれ、その先には男子がとらわれている普遍的な女性観のようなものが表現され、振り返ってみればそれぞれの物語が収まったケースにはめられた硝子の色に気づかされることになる・・・。硝子の種類を変えることは中の商品を美しく見せるための仕掛けなのでしょうが、一方でステレオタイプではありえない女性の個性に対して、えてしてステレオタイプな感覚しか持ち得ない男性の姿に気づかされることになります。
芝居は小杉美香演じる販売員のシステム説明から入るのですが、彼女は説明の途中で突然、シャツのボタンをはずし上半身をはだけて、水着の胸元と出演する女性たちが提示するラベル(番号と役名が書いてあるもの)のサンプルを見せます。それはフィクションの領域からみても、現実からも違和感のあるリアルな世界で・・・。目を奪われるような美しく豊かな胸元が観客にとっては虚実の境界線・・・。小杉さんのビジネスライクというか慇懃かつ没個性的なシステム紹介のアナウンスと躍動するような美しい肉体とのアンバランスがそのあと展開される男女の物語の象徴にもなっていました。
さて、3つのショーケースの話、
(本田留美が演じる野口あずさ)
最初の出品者、本田留美が演じる女性のショーケースには、淡い色がついたというか少しスモークがかかった、でも中をしっかり見通せるような硝子がはまっているような(実際はポールで囲まれた空間ですが・・・)感じがしました。イタコのような超能力のあると称する男の子に死んだ彼の友人を呼び出してもらう女の子の話なのですが、その無垢を装う部分と、裏返しに潜む自分に正直な部分を本田さんはかすかな雰囲気の変化で演じ分けていきます。笑顔に印象がある女優さんで、なおかつ彼女には小さな表情の変化だけで、感情をしっかり伝えられる才能があります。また、弱い演技のなかにときめき感のようなものをしっかり醸成できる。思いを表現するのに力みもないので、観客は舞台上の彼女と同じ空気にじわっと引き入れられてしまいます。もうすこし尺の長い芝居を観たくなるような女優さん・・・。ひと昔前なら、アイドルとよばれていたような人たちが持っていたフェロモンを彼女はコントロールできるような・・・。まるで、演じているキャラクターと同じように・・。
(百地香織が演じる斎藤愛子)
次に登場の百地香織が演じるのは大正ロマンに通じるような夢かうつつかの世界・・・。淡いすりガラスの中の光景をみているような・・・。百地さんの妖艶さというのを言葉で表現するのは難しいのですが、しいていうなら表情の豊かさと声質をうまく利用して、微粒子のような色香を作り出していくような・・・。色香が濁っていないのです。桃色の吐息って彼女の唇から漏れるものなのかと思えるほど。布団などの小道具と寝姿だけでは出しえない女性の芯に潜むやわらかく永続的に燃えるなにかが彼女の唇からふっとうかびあがってくるのです。小道具の野菜が魔法にかけられたように淫靡な色に見えて・・・。たぶん、もっと軽い感じの演技で色香を消すこともできる女優さんなのだとは思うのですが、今回は演じるキャラクターの想いそのままに、場内全体を彼女の香りに染め上げてしまいました。しかも彼女には懐にもっとすごい爆弾を隠しもつような底知れなさが感じられて・・・。伊藤伸太朗もすべては彼女の夢と収束させるしかなかったのかもしれません。
(帯金ゆかりが演じる友部友子)
最後は帯金ゆかりです。彼女が演じる女性にはどこか破綻があって、それが妙に今っぽく見えます。あたりまえのプレーンなガラスの内側をみるような・・・。以前観た北京蝶々の公演のときにも十分堪能させていただいたのですが、帯金さんは感情変化の演じ方がスムーズではやい・・・。しかも、それぞれの過程における感情の出し入れが悪魔のように上手であることから、演じるキャラクターの内部に存在する心の不整合をあたりまえのように演じ切れてしまうのです。結果として、彼女が演じるキャラクターについても表層的な器用さから、キャラクターが本来抱える不器用というか頑固な部分が浮かび上がっていきます。ジャージの下に着ていたスクール水着姿というのはある意味とても象徴的です。妙にコンサバティブでありながら、とてもラディカルになりえるような部分が彼女の演じていたキャラクターそのままだから・・・。携帯電話を壊すシーンがあって観客は息を呑んだのですが、それは携帯電話が壊れたことよりも、その一瞬に帯金さんからあふれ出た感情の鋭さに観客が囚われてしまったからにほかなりません。こういう女優さんがさらに場数を踏んで体力をつけていくと大竹しのぶさんのような感じになっていくのでしょうね・・・。
さて、これら3人の女優の熱演に対して、伊藤伸太朗が演じる男は、いずれも彼女たちの内側にまで入っていくことをしません。最初に小杉さんが胸元で示した境界線のあたりで彼女たちとかかわっていきます。境界線から中に足を踏み入れることがないから、かみ合わないものがあるし無理解が存在する・・・。しかし、とまどい怒ることはあっても、彼女たちの世界をそのままシェアすることはしない・・・。ただ、その水着姿を写真に収めるだけ・・・。
でも、思うのです。「写真に収めるだけ」とは言ったものの、現実に自分を含めた世の男は小杉胸元境界線を越えて彼女たちにかかわることができるのか。たとえ男女が相手に魅力を感じたとしても、そこにはショーケースのガラスが存在しているし、よしんばショーケースの中に踏み込んだとしても小杉さんがシャツのボタンをはずして表した境界線をこえることなど簡単にできるわけがない・・・。もしかしたら5年、10年・・・、あるいは30年、40年とショーケースの内側にはいりこんだとしても、超えられない境界線かもしれません。そしてこの舞台が成り立ったように、その境界線を越えなくても、ショーケースの外側にいたってこの世のことは成り立ってしまうものなのかもしれません。
扇情的なキャッチコピーの元、小さな空間で演じられたこの舞台には、男と女という2種類の生き物の根源的な関係論が含まれていて、熱い夏の夜の余興というにはあまりにディープな真理を見せつけられたような気がしました。
非常によくできた企みだったと思います。
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