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「THE BEE」 野田秀樹の正しい狂気

6月30日のソワレ、シアタートラムで野田マップ番外公演「The Bee」を見ました。

原作は筒井康隆の「毟りあい」という小説、家の本棚、整理が悪くてすぐに出てこないのですが、確か「メタモルフォセス群島」という短編集に収録されていたような気がします。定年を迎えた男性が家族に食べられてしまうという短編小説(確か「定年食」というタイトルだった)もその本に収録されていたような…。あと、マムシに食われた旦那に代わって奥さんが飛行機を操縦するっていう「五郎八航空」も同じ短編集だったように記憶しています。

脚本自体は小説をほぼそのまま踏襲していたように思います。でもニュアンスはかなり違った印象でした。

(ここからネタバレです。読んで後悔してもしりませんよーー!!)

野田MAPの作品って他の芝居と肌理が違うような気がします。ハイビジョンを観ているといってもよい。その切れのよさというか精緻さがあるから、紙の舞台装置が具象化するものがとても明確に伝わってきます。

ある日突然、家を占拠されて妻と子供を人質にとられた勤め人、犯人の妻に面会を求め、こともあろうに犯人の家で同行した警官を殴打し銃を奪って妻と子供を人質にとってしまう。そして自分の家族を解放するように要求するのです。

はじめは自分の家族を取り戻すためのやむ終えない行為だったはずが、一発の銃が発射されその威力に勤め人の脳裏を狂気と錯乱が支配します。銃を撃ったのは羽音を立てる蜂(The Bee)に対して・・。一時的に閉じ込めてもふとした動作や行動からふたたび羽音がよみがえる。この段取りや感情の具象化が実に見事・・・

まあ、冷静に考えるとひどい話なんですよ。犯人と直接話して要求が受け入れられないと知った勤め人、銃によって自らの内なる何かが開放されると、なんと犯人の子供の指を切って犯人に送りつけます。刑事を運び人にして送られた指に対して、報復として勤め人の子供の指が男のもとに戻ります・・・・。子供の指が再び切り落とされ、封筒に入れて犯人に届けられる・・・。その繰り返し。子供の指がなくなれば妻の指を切り落とし・・・、犯人の子供も妻も死ぬ。

暴力的なシーンもたくさんある芝居です。しかし、この芝居の怖さが直接暴力によって表現されているわけではありません。指を折る、もしくは切るシーンなど、(鉛筆などを使って抽象化されていますが)、確かに見ていて嫌悪感を感じるシーンではあります。しかし、それらはこの芝居が表現する一番の恐ろしさのための小道具にしかすぎません

本当の恐ろしさは子供の指を切った後、舞台上で表現される勤め人と犯人の生活のルーティンにあります。子供と妻の指の数だけ繰り返される修羅場。目覚めて、男はひげをそり妻は食事の準備をして、男は背広を着る。勤め人の息子の指が報復として届けられる。さらにその報復として子供の指を切る。妻に封筒を要求する。妻は家の一部となっている舞台の紙をちぎって封筒をつくる。男はそれを運び役の刑事に託し、妻とまぐあい寝る。狂気の中に生活が生まれ、生活がルーティンとなり・・・。その狂気から次第に精彩が失われていく。犯人の息子の指が尽きて息子は死に、妻の指が尽きて妻が死に・・・、・。それら一連のことが、ありふれた生活のスケッチのように表現されていく。マダムバタフライの音楽のなかで・・・。かすかに抗うことはあってもそれは日課に飲み込まれていく。形骸化したルーティンの中で舞台が収束していく・・・。

これをハイビジョン的クオリティで見せられるのですから、観客は息を呑んでその仔細を眺めるしかありません。

昔、筒井康隆の原作を読んだときには、常人のなかに潜む復讐心や暴力性、あるいは狂気がエスカレートして歯止めが利かなくなることに人間の本質を感じ印象にも残りました。この芝居では、その次のプロセス、人間の暴力性や狂気が発露したあとでも、狂気の上に日常が存在することに底知れぬ人間の業のようなものを見せ付けられた気がします。静かに粛々と演じられていくその場面は極めて鮮烈です。非日常の日常に従属していく人の心理。やってきた狂気にどこかが麻痺し壊死してしまった心、それは犯人の妻や子供のものでもあり、恐怖のコアになっているはずの勤め人自身のものですらあるのですが、突然やってきた非日常から壊れた心を抱いた日常がさしたる違和感もなく現出して、それが受容されていく過程に観客は慄然とするのです。

役者のこと、秋山菜津子さんというのはすごい女優さんです。前半の切れのよい演技も卓越したものでしたが、犯人の妻役となった後半、暴力に抗いきれず感情をなくしていく演技はまっすぐに観客の心を掴み鎖をかけます。彼女の無表情が観客に伝えるニュアンスの重さははんぱじゃありません。野田秀樹さんの凛とした演技、最後の台詞があんなに重く生き生きと感じられたのは、かなりの部分秋山さんの演技の果実なのだと思います。近藤良平さんの演技は細かい部分の卓越した切れが積み重なっていく感じ、浅野和之さんは舞台のペースを裏でしっかり支えていたと思います。しかし、野田さん、老けませんねぇ・・・。あと、舞台装置の紙がとても効果的だった。たとえば指を入れる封筒を作るとき家の床になっている紙をちぎるのですが、秋山さんの紙をちぎる動作やそのときの彼女の表情は様々なことを重ねて象徴しているようで含蓄が多かったです。

話は少しずれますがNODAMAPのお芝居って、通常の公演は強いテンションと大きなテーマがあって圧倒されるのですが、終わったあとには満たされたというか充足感が心に満ちてくれるような気がします。あの「ロープ」でさえも、見終わったあとにはどこか希望と満たされた感じがありました。「走れメルス」なんてましてやですよね・・・。しかし番外編を見たあとは心に鉛のような重さが残ることが多い。「赤鬼」しかり、「農業少女」しかり。SISカンパニーの公演だったかもしれませんが、大竹しのぶさんの「売り言葉」なんかもそうでした。会場が比較的小さいところでやる野田芝居って観客が消化できないほどのなにかが客席にやってきているのかもしれません。

さらに余談、芝居がはねた後、ロビーから楽屋口にかけては有名人がいっぱいでした。中村勘三郎さんと上記の大竹しのぶさんがすぐそばで拝見できたのはまさに眼福、大竹しのぶさんは舞台で拝見するととても大きく見えるのですが、実際はかわゆい感を失わない小柄な女性という印象。でも存在感がすごくある・・・

存在感があるといえば勘三郎さんも同じですね。そこに彼がいるだけで、ふっとそこだけが明るい・・・。華があるというか・・・。役者としての天性を撒き散らして歩いている感じ・・・。ご本人は気付いていらっしゃらないのかもしれませんが、男から観ても色気があるんですよ・・・見ているだけでぐっとその場を作るような力を感じる。ただ劇場の通路を歩いていらっしゃってるだけなのですがすれ違ったわたしにはびっくりするようななにかがやってくる。

あと松金よね子さんなどもいらっしゃっていて・・・。

まあ、余談はともかく、ふっと重力を忘れるような良いお芝居でした。日本語バージョンは7月9日まで。ハッピーな気持ちで劇場を出ることができる芝居ではありませんが、観て決して損のないお芝居だと思います。

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» 深田恭子のの撮影現場はもう深田に釘付け!特殊メークだからって過激すぎです☆ [深田恭子のの撮影現場はもう深田に釘付け!特殊メークだからって過激すぎです☆]
だが、これはれっきとした作り物。特殊メークを施したその中身とは… 「推定94センチといわれる彼女の胸に、ハリウッド直伝のメーク術に独自のアレンジをしておっぱいメークを行った。具体的な方法は企業秘密です・・・なぁんて言ってられません☆教えちゃいます。とことんと! ... [続きを読む]

受信: 2007/07/06 11:17

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