志の輔の静 福笑の動 小三冶の枕とバランス感覚
中越沖地震、大変でしたね・・・。いや、実は16日、大銀座落語祭を見に銀座にいくので池袋で有楽町線を待っていたのです。すると電車が地震で遅れているとのこと・・・。まさかこんな地震が起きているとは思わなかったので、やんじゃそれは位に思っていたのですがまさかこんなことが起こっているとは思いませんでした。本当に大変なことが起こったときにはニュースなどでもすぐには伝わらないものなのですね・・・。
ところで、その大銀座落語祭、本当にたっぷりと楽しませていただきました。12日夜、16日昼と中央会館、それから14日夜には博品館劇場でたっぷり落語の世界に浸ることができました
12日の中央会館は
・桂雀々 代書屋 ・桂南光 ちりとてちん ・桂ざこば 遊山舟
・立川志の輔 柳田格之進
米朝一門の中核3人のそろい踏みはなかなかに聞き応えがありました。ざこば師匠の一言でぽーんとはめものが入り一瞬にして中央会館を夏の大阪の町に色をかえるところは本当に見事でした。ちょっと湿った夏の風まで吹いてきそうな感じ・・・。
雀々師匠の代書屋には勢いがあって、枝雀師匠のエッセンスをちゃんとついでいらっしゃるのが本当によくわかる出来で・・・。それに比べて南光師匠のちりとてちんにはしっかりとした落ち着きがある・・。オーソドックスですががっちりと手のひらに乗っているというか、安心感のあるちりとてちんでした。
上方落語の三師匠がそれぞれに華を持った高座であるのに対して志の輔師匠の高座はある意味侘びの世界に入り込んだような高座で・・・。「柳田格之進」、難しい噺だとおもうのですよ・・・。元は講談の世界の物語だったものを古今亭志ん生師匠が落語に焼きなおしたのだそうで、それゆえ噺に折り目のようなものが求められると思うのです。きちんと語られていなければならない・・・。でも、しゃちほこばって演じると、この噺が持っている含みと余韻のようなものがでない。
志の輔師匠の語り口、特に柳田格之進と番頭の会話はこのバランスが本当に見事で・・・。感情をぐっと呑み込んだような一言ずつにこめられた武士の思いがしっかりと伝わる・・・、しかもしなやか・・・。誘い込まれるように聞き入ってしまいました。あの密度、どう表現すればよいのでしょうか・・・。気がつけば息をつめるようにして聞き惚れておりました。しかもサゲの部分まで本当に丁寧な演じ方で最後のお辞儀の指先まで神経が行き届いている感じ…。感服しました。
14日は爆笑新作落語会@博品館劇場・・・。新作落語なのでお題は省略しますが、
・笑福亭瓶成 ・春風亭栄助 ・笑福亭たま ・林家彦いち ・月亭遊方 ・桂三象 ・三遊亭歌之介 ・林家しん平 ・笑福亭福笑
初見の噺家さんも半分以上いらっしゃいましたが、一人ひとりの出来のよいこと。まあ、台風が近づく中での高座でしたので、そんな中やってきた酔狂なお客を、目一杯たのしませてやろうというような気迫がぎらぎらしていて・・・・。なんかぐいぐいと演者が観客を押してくるような感じすらしました。ただ、噺家さんによっては自分の勢いを自分でコントロールできなくなるような場面も多々あって・・・。それでも噺家さんの汗が観客を沸かせ観客の笑いが演者をさらに盛り上げる。よい高座と客席の循環が現出していました。その中で歌之介師匠の熱い冷静さは特筆もの・・・。しっかりしたスキームをもってそれを粛々とこなしていくような堅実さがありながら、同時に観客に熱を伝える強さがあって・・・。観客を力技でねじ伏せるだけの技量がある・・・。思わず聴き惚れてしまいました。
しかし、そんな中でも、トリの笑福亭福笑師匠の高座はやはり別格です。お題は「葬儀屋さん」、父親が死ぬ愁嘆場がたちまち遺族の欲と非常識の博覧会にかわり、そこに関西弁でいうええキャラクターの葬儀屋さんが絡んでいくわけですが、その緩急が抜群で・・・。ネタばれになりますから内容はあまり書きませんが、葬儀打ち合わせのシーンでの積み重ねるような笑いだけでも十分濃いのに、本葬のときのたたみかけるような笑いのさらにすごいこと・・・。客を休ませない、過呼吸を引き起こさせるほどのスピード感と力量をもった笑い。斜め前にお座りになられていた品のよいおば様が身を捩じらせて椅子から落ちそうになるほど・・・。私も腹筋をやられた…。
今日の時点でも、私は福笑熱の後遺症で・・・。某スープの名前を聞いただけで思い出し笑いがどわっとやってくるし、お葬式の看板みると猿の逆立ちや猫のさかってるのを思い出しそうになる。「xxxがなくても葬式できる」の名言はしばらく耳をはなれませんね・・・。正直笑い疲れた。こんなにぐったりするほど笑ったのは久しぶりで・・・・。こんなんいつ以来やろと考えてみたら去年の夏に行った福笑師匠の独演会以来でした。
余談ですが、福笑師匠はもっとちゃんとDVDやCDを発売しないとあかんと思います。中央会館で山野楽器が落語CD・DVDの臨時売店を出していたのですが、福笑関連のものはひとつもありませんでした。お店にいってもやはりほとんど見つけられないですね…。至芸の域に達したものは何らかの形で残しておけば、、ファンも喜ぶしこれから落語を愛するであろう新しい聴き手にとっても、落語の世界を楽しむための素養につながるというというものです。そして、これからうん十年後に噺家の修行する方たちにとってもかけがえのない財産になるはず…。ご本人の落語に対する考え方とかもあるのかもしれませんが、米朝師匠などのやり方(55歳までに自分の仕事を整理しておく)なども一理あるわけで・・。ふっと20年後の危機感のようなものを感じてしまいました。
16日はちょっと親孝行をかねて母をつれて中央会館へ・・・。
最初に加藤武・小沢昭一の朗読芸(?)がたっぷり一時間・・・。加藤さんの朗読は昔徳川夢声さんがラジオなどでやられていた感じではなかったでしょうか…。司馬遼太郎の「宮本武蔵」から(かざぐるま)の部分を読まれていましたが、何気に入り込んでしまった。私もリアルタイムで聞いたわけではないですけれど、テレビの特番などで徳川夢声さんの朗読が再現されているのを聞いたことがあって、心に染み込んでくるような朗読のスタイルはなんとなく知っていました。小説の内容が立体化されたような・・・。不思議な時間でした。
小沢昭一さんの朗読は、鉦や木魚などの鳴り物をつかって、もっと立体感を出していました。永井荷風作の「榎物語」の朗読でしたが、地の部分と音に合わせてラップのように語る部分のコンビネーションが抜群で・・・。元は市井の雑芸なのかもしれませんが、エッセンスが昇華されてすばらしい芸になっていました。語りにリズムがつくと説得力が飛躍的に向上することがよくわかりました。
米朝師匠とのトークショーがそのあとあったのですが、小沢昭一さんと米朝師匠って旧知の仲だったのですね・・・。昔話に花が咲いて、気がつけば米朝師匠の若かりしころの姿が舞台に浮かび上がっている・・・。小沢昭一恐るべしです。米朝師匠、舞台の上手にはけるときに舞台の後ろにおいてあった高座をちょっとの間見つめていらっしゃいました。やっぱり舞台に出たからにはなにか噺をしたく思われたのかもしれません・・・。見ていてちょっとだけ切なかった・・・。
最後は柳家小三冶師匠の高座、枕からぐっと人を惹きつけます。びっくりしたのは数ヶ月前に高座で突然話が出てこなくなった話。「茶の湯」をやっているときに隠居所の場所が突然出てこなくなったのだそうです。七転八倒してなんとか思い出したのは良いがこんどは隠居と小僧がサツマイモで饅頭を作るのを忘れてしまった。有名な噺なので客が心配したそうです。でも師匠が気がついたのがサゲのちょっと前だったので取り返しがつかない・・・。実は・・・と突然饅頭の説明がはいったのだとか・・・。ある意味聞いてみたかったような気もする高座ですが・・・ご本人は大変だったようで・・・。先代の正蔵(彦六)なら「勉強してまいります」といって終生高座にあがらなかったというお話にも妙な説得力がありました。
噺は「天災」でした。小三冶師匠の語り口というのは地がしっかりしていて客がよりかかれるような安心感があります。表情にうちょっと遅れて言葉が出てくるような間が絶妙で・・・。特に紅羅坊名丸先生が本当によい味・・・。八五郎のべらんめえ口調とのテンポの違いが流れるような語り口にきれいに乗っていて(表現がちょっと変だけれど)α波すら感じるほど・・・。派手さはないのですが聞いていて飽きがこないというか聞けば聞くほどじわっと味が染み出してくる感じ・・・。そしてゆっくりと笑いが熟成されていって終盤大きな笑いがやってくる。大局的に噺を捕らえて観客を手のひらに乗せていく。そりゃ枕だけもちろん超一級品ですが、枕が枕の位置にちゃんとおさまるだけのクオリティが噺にあって・・・。枕も噺もバランスよく高座になじんでいる。本当によいものを聴かせていただいたと思います。
なんかものすごく楽しんだ4日間、来年もがんばってチケット取って・・・。今からなんかわくわくしてしまいます
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