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さりげなく奥深い企み(北京蝶々 ドラマ進化論本編)

日曜日(6月3日ソワレ)に北京蝶々の「ドラマ進化論」本編を見てきました。

5月中旬に公演のあったβ版と物語の骨格は同じなのですけれどねぇ・・・。芝居としてはある意味格段に進化していました。

Bob Fosseの映画「All That Jazz」に映画がどんどんよくなっていく挿話があるじゃないですか。あれを地でいくような・・・。β版を見たときにも、よく出来た話だと思ったのですが、今回の公演を見ると、β版が芝居として進化を示すパーツだったことがよくわかりました

まず、β版でカオスというかごった煮になっていた部分が整理されて、個々の登場人物の立場が明確になったような気がします。。帯金ゆかり/白井妙美が演じるライバル女優たちの争いもすっきりとして、その結果として多数派たち実態のなさがかなりくっきりと見えた。β版でいちばん気になっていたラストの部分も見事に整理されて、説得力まで与えられていて・・・。

おもしろいなと思ったのは、物語のスキームが変わらなくても、ドラマが進化すると舞台から訴えかけてくるニュアンスもかなり変わってくること・・・。β版の時には双方向の情報醸成がもたらすある種の衆愚の表現みたいな感じが強かったのですが、今回はまったく逆にどんな状況でもなんとか折り合いがついてしまうドラマのしたたかさのようなものを感じました。アンケートの力という名目のもとドラマの見せ方を調整をすることで、観客にとっての舞台の見え方がこれほどまでに変わってしまうとは・・・・。ちょっと驚きでした。

それと同時にβ版と正式版の二つの公演の差異から表現というものの危うさがしっかりと伝わってきて・・・。物語が同じ言葉で語られたとしても、表現の仕方で色がいかようにも変わることを実験結果として示されたようにも感じました。さらに演劇において演出や役者の表現として問われるものがその背景に浮かんできて・・・。見方を変えれば今回の試みで北京蝶々は、観客と演劇の関係性だけでなく演劇における作り手の役割のようなものをあぶりだすことにも成功していたと思います。

そうそう、今回のバージョンでは脚本家の役割がやや重くなっていたような気がしたのですが、その結果、北京蝶々的な結論として彼女の視点こそがドラマの本質を見極めているというニュアンスが生まれていて、そこも興味深かったです。

まあ、脚本家を演じる鈴木麻美さんが本当によかったので、ますますそのような印象が強いのかもしれませんが・・・。β版の時にも彼女はアンカー(碇)のように物語がふらつくのをしっかり抑えていた印象があるのですが、今回のバージョンでは彼女の落ち着いた演技が物語を一層しっかりと束ねていたと思います。帯金さんのような派手さはないのですが、ぶれることなく舞台をコントロールする底力をさりげなく包み隠して演技ができる役者さん、こういう人が仕事をしていると本当に芝居の輪郭がはっきりとします。

役者のことを言うと、帯金ゆかり・白石妙美のおふたりはβ版にくらべてスリムなお芝居になりましたが、β版よりさらに芝居がしっかり地についていて好演だったと思います。帯金さんには天性とも思える演技の柔らかさがあって思わずひきこまれるし、白井さんには内に秘めた熱のようなものを表現するうまさを感じました。男優さんにしてもそうなのですが、北京蝶々の役者さんってタイプがばらばらでみんなベクトルの違う表現力を持っていることを本編でも再確認・・・。この表現力のバリエーションに観ているほうはけっこうわくわくします。

もうひとつ、映像も派手だとか奇をてらったものではないのですが、しっかりと舞台にはまっていて印象にのこりました…。一発芸ではなく作り手のセンスで勝負している部分に好感が持てました。

北京蝶々の奥深さを思い知らされた今回の異型連続公演、もっと思い知らされたいと感じたのはきっと私だけではないはず・・・。この劇団、はしかぐらいで揺らぐほど華奢でなく、アンケートでのお伺いという三つ指突いた手の内に、計り知れないほどしたたかな爪を隠し持っていることを、今回のたくらみのなかで観客に強く印象付けたことでした。

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コメント

私も観劇しました。私は素人の観劇人ですから大きなことは言えません。もし一つだけ言えることがあるならば富裕層の存在と低所得者層など結局存在しえないというこではないでしょうか。日本が日比谷騒動に端を発した『大衆』というものの影に隠れた実質性のない存在によって動いているというまさに日本人の特徴を掴んだ作品であったように思えます。内容とは離れますが、私はまだ役者にしゃべらせすぎているなと感じています。観劇する側を信じても良いのではないかと思います。そのための映像利用でもあるでしょうし、映像があることで逆にくどくなるような気がしてなりません。そして、さらに言えることはこの劇団が野心家であるということです。北京蝶々という劇団名にふさわしいこれからの活躍を期待しています。
すいません、このような場所で勝手なことを言ってしまって。一つが二つに、二つが三つになってしまったことをお詫び申し上げます。

投稿: あくまで通行人 | 2007/06/15 05:22

>あくまで通行人さん

記事へのコメントありがとうございました。私も素人の観劇人ですけど、なんか時々大きなことを申しておりまして・・・。

今回の北京蝶々の作品が日本人の特徴を掴んだ作品であるという点は賛成です。富裕層と低所得層という概念は所詮記号のひとつに過ぎないとはおもうのですが、ある種のシステムに引きずられるという部分では日本人の特質をよく表現した作品だと思います。

役者にしゃべらせすぎているという点、私はあまり感じませんでした。しゃべることによって表現を成立させるタイプの役者が多かったことは事実かとおもいますが、この芝居のある種の意図した雑然さのようなものに、役者の台詞の多さは効果があったように感じています。

北京蝶々の野心家論については私も大賛成。ほんと、将来がとても楽しみな劇団です

投稿: りいちろ | 2007/06/16 00:28

丁寧なコメントありがとうございました。私のようなふとどき者に対して懇切丁寧なコメント大変ありがたいと感じております。
 
ぜひ次回の北京蝶々の公演の際はお話でもできたらなぁなどと妄想を繰り広げています。

これからもぜひ批評を続けていただき、読者を楽しませていただきたいと思います。

投稿: あくまで通行人 | 2007/06/21 04:00

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