桂米朝師匠の豊穣で国宝的枯れ方
この週末はなんかすごく充実していました。
金曜日にはマシンガンデニーロ、土曜日には劇団本谷有希子、そして日曜日は桂米朝一門会です。
マシンガンデニーロ、作品としては穴があったりうまく機能していない部分もほんの少しあったけれど、でも観客をひきつけてはなさないようななにかを今回も内包していたような気がします。一種のトーンが舞台上に作れていて、それに乗っかっていく感じ。感想はR-Club本館にUP済です。
劇団本谷有希子はもうすこししたらこちらに感想を書こうと思っていますが、結論から言うと彼女の才、一段と深い部分を見せていただいた印象。ある意味わかりやすく、ちょっと切ない。そして表現方法の豊かさにやられた感じがしました。
で、桂米朝一門会、これはもう、本当に見ることができてよかったです。開口一番からトリまで充実の高座で、そのなかでも米朝師匠のすごさを痛感しました。吉の丞の「動物園」、前座噺の要件ともいえる勢いがあってしかも明るい。客を掴むという点ではこのうえもなくすばらしい出来。吉弥の「ふぐ鍋」も力がありました。夏に鍋の話というのもなかなか粋なもので・・・。ふぐを怖がる二人の登場人物にもどこか洒脱な部分があり、それ故ますます怖がる姿がおもしろい。米左の「七段目」、八百屋お七のはしごを上がるあたりから一気に乗った感じ。芝居噺にはやる方の素養が必要だということがよくわかりました。ぐっと決まるんですよ米左さんは・・・。ここ一番では役者顔に塗ってもいな隈取までみえるような…。芸の力ここに至るというかええものを見たという感じ・・・。役者話を見る素養がなくてもこれはおもろい・・・。
そして米朝師匠です。座った姿の品のよさはもうさすがというしか・・・。一方でご高齢で枕の流れが繰言のようになって・・・、観客をはらはらさせてくれたりもするのですが…。
でも、よく観ていると米朝師匠、何十%かは計算して同じことを話したり言葉をつまらせているような・・・。同じ話が何度か出てくるのですが注意深く聴いていると話が少しずつちゃんとかわっていたりするのです。で、引き込まれる。おまけにここで羽織を脱ぐかと思わせてちょっとじらしたり・・・。客はもう網にかかった魚状態になっている。
演目は「夏の医者」。頭部分の百姓の父親がちしゃ(日本古来のレタスのような植物だそうです)を食べ過ぎてお腹を壊す話は省略して、息子が山を超えた村まで医者を呼びにやってくるところから話は始まります。で、この医者ののんびりしていること。急病人にあせる百姓をよそに農作業をきりのよいところまでするとか、茶漬けをかきこむとか、気の長いこと。この段階で師匠の後ろには緑に囲まれた山村の風景画がきれいに浮かんでいる。それでも何とか出かけて山を越えようとするときには医者も薬箱を持った百姓の息子もくたくた・・。ふと見ると道が大木で塞がれているように見えて、とりあえずはそこに腰掛けてひとやすみ。ところが大木と思ったのは実はうわばみ(蛇)でふたりとも呑み込まれてしまいます。
ここからが米朝師匠、齢を重ねた芸の真骨頂、お腹のなかに呑みこまれてから、お医者さんはまずは一服とキセルを取り出す仕草。その見事なこと・・・。さらに焦る百姓を適当にやりすごして、煙草をつける姿はまさに完成された芸の世界・・・、ちょっと開き直ったような、でも思案がてらの煙草ということが、仕草からしっかりと伝わってきます。そしてここで枕の部分が効いてくるのです。百姓のちょっとした苛立ち、どうすれば良いのかわからない不安、頼らざるをえない気持ち・・・。それは枕で同じ話が繰り返された時のちょっとどうして良いかわからない観客の想いそのもの・・・。それを見せられているから医者のつける煙草と百姓のあわてふためきがますますリアリティに溢れてくる・・・。噺家なら煙草を吸う仕草はお手のもの、でも、あれだけ含蓄のある煙草の吸い方はそうできるものではない・・・。ああ、年老いて芸が実り枯れても味になるというのはこういうことなのかと瞠目・・・。
そのあと医者は下剤をまいて、うわばみから脱出するのですが、そのときの動きがびっくりするくらい力強い。噺がはじまったら枕の時の師匠とは別人です。田舎の夏のゆったりとした感じを出しながら医者をじっくりと描いておいてここ一番で一気に力を出す。最後のうわばみの表情、落ちのねたふりなんてなくても十分・・・。観るものはもう恐れ入るしかない。大喝采です。
ここで中入りしてもらわないと、後の高座は大変でしょう…。
中入り後の九雀〔題目:たらちねのような話だったが違ってた)、南光(皿屋敷)といったところはもう脂が乗り切ってる感じで、それはそれで大満足でした。この人たちの独演会、是非観たいと思いました。彼らの大きい噺・・・、今が聴き時でしょうから。でも、今回に限って言えば、一番印象にのこっていたのはやっぱり米朝師匠の至芸。そりゃ、師匠に今、「地獄八景」だの「らくだ」をやれといったとてそれは無理な話ですが、逆に今から10年前に師匠が「夏の医者」をやったとしてもきっと今回見たようなものではなかったはず・・。年老いてもただでは衰えない・・・、芸に対する執着を忘れない・・・。名人といわれる人の芸は計り知れないものだと実に感じ入ったことでした。
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