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それはセピアに磨かれた鏡の迷宮(ノマディック美術館)

4月の初めくらいから、新橋駅に貼られたあるポスターがとても気になっていました。中近東っぽい服を着た子供がひざまずいた象の前で本を読んでいる写真・・・。少年が象に本を読んで聞かせているようにも見えるし、少年が本を読んでいるのを象が見守っているようにも見える・・・。

セピアで表現された光と影、柔らかな地平・・・。ふっとやってくる浮揚感。はるかな見知らぬ地への旅立ち・・・。

人の流れをさえぎるようにして立ち止まって、ポスターをじっくりながめて・・。それは東京お台場で期間限定公開されているノマディック美術館(グレゴリー・コルベール ashes and snow)のものでした。

で、友人に誘われて実際にお台場へ・・・。

最初、写真展で1900円はちょっと高いと思ったのです。まあ、「映像・写真・建築・小説」が一体となった美術館だからしょうがないかくらいに思って入場券を買う。ほとんど朝一番のせいか並ぶこともなく、なんだ評判になってないのか・・・。もしかして見かけ倒れ?。

しかし、そのテント張りに見える建築物に一歩足を踏み入れた瞬間に、私の偏見は吹っ飛んでしまいました。

20ftコンテナで形作られた壁、敷き詰められた大粒の砂利、見上げるほど高いテント張りの天井、果てしないとさえ思うコリドーの左右に吊るされた巨大な写真たち。象、少年、水、砂、光、本、・・・・。すべてがポスターと同じセピアのなかに取り込まれています。気まぐれに軋む床を何歩か進んで、その光景を見た瞬間、自分がこれまで時間につけてきた足跡がふっと消え去る感じがして・・。

淡い闇を進むたびに写真たちの語りかけがやってきます。写真に閉じこめられているのは、はるかに遠い世界、セピアの白は照らされた頬、象の大きな背中、影すら闇にならず茶に染まる。静寂からあふれかえる、乾いた熱、静・・。

本、たたずむ人、無に流れる時間、砂、風、思索・・・

子供、老人、ささやき、伝承、ふれあい、人のとまどい、動物のとまどい、舟、流れ、よどみ・・・。

走る少女、手をつなぐ、砂丘を登る、水しぶき、動・・・。そして不可思議な浮遊感・・・。

それにしても不思議な写真たちです。写真の言葉たちがランダムに自分につながっていきます。象と少年の写真に放課後図書館で夢中になった長編の小説が浮かび上がり、数十年をとびこえて書棚から取り出した本の記憶がやってきます。水飛沫と女性の写真に、公園で笑いはじけた午後のひと時が瑞々しくよみがえります。何枚もの写真にいくつものランダムな記憶が結び付けられ、記憶の上に記憶が重ねられて・・・。動と静がアラベスクのように心を支配します。

コリドーの果て、の中央で提示されるのは1時間ほどの長編映像と前後に短編映像が2本、・・・。

短編画像には人と動物の関わりがこめられています。川、チンパンジーに水を与える女性、つながれた手。柔らかに近づくもの、静かに離れていくもの・・・。離れていく舟に乗った猫のとまどい。

戸惑いから浮かぶもの、名前を付けられないけれど懐かしい感覚。分けられた時間や気持ち。舟は心?舟は時間?あるいはその両方・・・?。心に満ちてくるもの。なにが満ちてくるのか・・。知っているのに言葉と結びつかないなにか・・・。あるいは満ちていた記憶なのか。もどかしさを伴った慰安。

一方にある喪失感。ファントムペイン?失ったものは何?もう1つの舟のへさきから猫の肉球がゆっくり離れていく・・・。戸惑うことしかしない猫は誰?

すべてはセピアの鏡の向こう側の出来事・・・。前触れもなく静かに始まり完結することなく終わる映像・・・。精神的重量が明らかに増しているのがわかります。

長編画像には音楽に加えて言葉がつきます。それは愛する人に対する語りかけ・・・。もしくは愛する人をスクリーンにした心の原風景の具象化・・・。静と動、水と砂、流れる時間。いきつもどりつ・・・。象の目、時をすべる舟、風、黙想、飛翔、豹に守られた心、伝承、交流、孤独・・・。コリドーの写真と同じそれらのイメージは写真から得た感覚をさらに強く鮮明にします。私自身のいくつかの断片的な記憶が掘り起こされるころには、私自身が旅の中に融合されている・・・。水の冷たさの中に浮き上がる自分がいて、触れ合う人がいて、陽に照らされた全身は熱を感じ、砂漠での瞑想では砂のかすかな痛みすら感じ・・・。

感情は鳥が飛び立つときのように動き、言葉は無知なるものに伝えられ、ふれあいは記憶に変わり・・・。瞑想は風の中にあって・・・。渾然としてくりかえし、しかも不可分で・・・、静と動のゆっくりとした繰り返し、止まることはない・・・

いくつもの記憶、自分の記憶、取り込まれた旅の中から見ると遠い記憶、鮮明なのに重さを失っていく記憶。精神的重量と反比例するように消えていく記憶の質量。

映像上の言葉「羽は火に、火は血に、血は骨に、骨は髄に、髄は灰に、灰は雪に・・・・」。真理を映像に焼き付けるとき重さが奪われて、天秤のバランスをとるために自分の記憶の重さまで奪われたような・・・。

中近東、サバンナ、ネパール・・・。遠い世界のイメージをセピアに染めて壁紙にして、記憶をゆりかごにのせて夢をみちびく・・・。時の海を漂いながら、質量を失った日々に想いを馳せます・・・。映像はやがてふっと途切れ、言葉だけが残り、それも終わる・・・。短編・長編・短編、それ自体が果てしない道程に思えます

映像の先には行きと同じ長さのコリドーがあって、暗さになれた目には光を感じて・・・。深い思索に身を沈めながら一歩一歩板を軋ませ前に進みます。

出口の前で、きた道を振り返ってみるとやはり果てしなく見えるコリドーがあって・・・。まるで何ヶ月もかかって旅をしたような錯覚に捕らわれます。

時計を見ると2時間ほどの旅程・・・。きっとテントとコンテナでできた大宮殿の中では時間が大きく迂回をしているに違いありません。

会場を出て目の前のヴィーナスフォートを抜けてゆりかもめの駅(青海)までいくと、目の前はもう東京湾。潮風がとても心地よく、形を失った感覚だけの記憶がそよぐ感覚を、色のついた海を眺めながらしばし楽しんだことでした。

グレゴリー・コルベール ashes and snow (ノマディック美術館 東京お台場)

臨海線東京テレポートの駅からすぐそば、6月24日までの会期とのこと。金曜日~日曜日・祝日は夜10時までやっているみたいです。

会期の終盤は大混雑になるかもしれません。早めにいけてラッキーだったと思います。

とりあえず超おすすめということで・・・。

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