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ソニンさんのあと一歩(血の婚礼)

東京グローブ座で「血の婚礼」を観てきました。

この芝居、物語自体はシンプルなのですが、役者の力でどんどん化けていくような仕掛けがあります。期待、不安、失望、憎悪・・・・。役者の表現でニュアンスが変わってくるというか・・・。役者なり演出家の力量が大きく問われるというか・・・。原作を読んでいないので、仕掛けがフェデリコ・ガルシア・ロリカが小説上で作り上げたものなのか、演出家であるとともに台本にもクレジットのある白井晃さんの才なのかはわからないのですが、多分両方なのでしょうね・・・。

R-Club本館にもつたない評を載せましたので、重複にはなりますが・・・。役者の出来も演出も秀逸で、舞台上にしっかりと熱や重さを感じる舞台となりました。この熱こそ今回の作品の生命線だったような気がします。それと物語の後ろ側の事情も演出の勝利で見通しが良く、物語の幅が大きく広がりました。

江波杏子さんは初見なのですが、大きな演技をされる役者だと感じました。彼女の演技がお芝居全体のトーンを作っていたし、彼女の表現が揺らがなかったことでこの悲劇が成立したような気がします。

森山未來さんの演技にも説得力がありました。ダンスにも力がありましたが、なにより自分で自分をどうすることもできない苛立ちがまっすぐに観客に伝わってくるのです。

多分、もっと強く気持ちを観客に伝える技って演劇にはあって、その熟度が少し足りないので切れだけが先んじるような部分も多少ありましたが、そうであっても芝居としては十分に及第点以上だったと感じました。

浅見れいなさんの演技も地味な役柄とはいえしっかりと観客に染み入るような浸透力があり、とても好感触。尾上紫さんの少女から月に移ってのしなやかな動き、そして台詞の凛とした響きにも惹かれました。

ソニンさん、決して悪くなかったです。昔の恋人と結婚する男に関する葛藤、理性が情に揺らぐときの繊細な痛みが冷たい熱となって舞台をしっかり覆う・・・。彼女の持つ才の片鱗を見た思いがしました。ただ、そこまでの才があるのなら、一番最後に江波さんと交わす台詞にはもっと力があっても良かった気がします。自らの持つ理性を凌駕する情、もっと汚く演じてもよかったのでは・・・。下世話な言い方をすれば脚を精一杯開いて子宮までさらけ出すような感情の発露がその台詞たちにこもっていれば、さらにそれが観客に伝えられていれば、舞台全体の印象がまた一つ変わっていたのではないかと思います。

きっとその感情が強くつたわっていれば、ドミノ倒しのように池谷のぶえさんや浅見れいなさんの演技がもっと生きて、舞台全体の奥行きがさらに広がったのではとも思います。闇と月の暗示するものもしっかりと生きるでしょうしね・・・。

ソニンさんから感じられる才能、実はかなり強くて、だからこんなことを書きたくなってしまいます。裏を返せば彼女は今より遥かに大化けした女優になるような予感がする・・・。大竹しのぶさんとか松たか子さんなどが持っている舞台全体を一気にさらってしまうようなパワーをそこはかとなく彼女にも感じるのです。

もし、そのパワーが(地方巡業もあわせて)公演期間中の6月までに開放されたら、「血の婚礼」は名を残すような舞台へともう一段の進化を遂げるような気がするのですが

まあ、このレベルの舞台を見てさらにあれやこれや言うのは、観客としてもちょっと不遜な気はするのですが・・・、ちょっと惜しい感じが終演後残ったこともまた事実・・・。観客というのはどんなご馳走を食べた後でもさらに次を求める貪欲な人種なのです。

R-Club

PS:ちなみに上記の下世話なおことばは某女優生涯の名言だとか・・・。わかりやすいけれど男からは絶対出てこない発想です。蛇足ですが・・・。

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