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裁判のたのしみ、色のたのしみ

本の話です。

小説ばかりを読んでいると、たまには毛色の違ったものを読みたくなるもの・・・。Picture1

通勤途中にサクっと読めるものがいいので、そうなると文庫か新書ということになります。

最近ちょっといいなって思った2冊をご紹介

・裁判官の爆笑お言葉集 (長嶺超輝著 幻冬舎新書)

 裁判において実際に裁判官が発した言葉を集めたものですが、ことが裁判だけにシチュエーションも考えあわせると良質なコメディーや世話物の世界を味わえます。。見開いた右に裁判官の言葉、左に解説というのもとても読みやすい。

「死刑はやむおえないが私としては君には出来るだけ長く生きていてもらいたい」とか「刑務所に入りたいのなら放火のような重大な犯罪ではなくて窃盗とか他にも・・・」、その背景が解説されているのですが・・・、まあ、リアルな法廷でのマジ発言ですからねぇ・・・。コメディは演じる役者がまじになればなるほど面白いという鉄則を地で証明しているような・・・。

そもそも、裁判官ってイメージ的には中立で公正でじゃないですか。でも、一般的な想像を超えた事案の法廷では一言付け加えたくなる判事の方も多いみたいで・・・。元ネタが下手な芝居なんかよりよっぽど劇的だったりするわけですから、そんなシチュエーションでの裁判官のひとことがてんこもりになっている本が面白くないわけがないのです。

まあ、コメディ的な部分だけではなく、裁判官の言葉の裏にあるシリアスな物語なんかも垣間見えたりして・・・、読んでいくとはまります。200ページ強があっという間です。

こういう本が出るっていうことは、世相がそれなりに明るいからのような気もするし・・・。

いずれにしても肩の凝らない通勤退屈しのぎの良書です。

・私の好きな色 500 (野村順一著 文春文庫+Plus)

目次の部分にぱタイトルをつけられた500の色、赤とか青とかではなくたとえば「馬車のわだち」とか「にんじんのグラッセ」などその色を象徴するような名前がつけられています。

どの色が好きか、迷いながらの品定め・・・、それがけっこうわくわくもの・・・。

本文にはそれぞれの色を好む人の性格や求めるもの、適性などが簡潔につづられていて・・・。コーディネーションについてのアドバイスも添えられている。

500の色、500のアスペクト・・・、最初は自分の求める色から示される自分自身についての記述を楽しんでいるのですが、次第にさまざまな色の持つ物語や薀蓄を知るのがとても楽しくなってきて・・・。

物理的には数時間で読みきってしまえる厚さの本であるにもかかわらず、まるでおいしい金平糖をすこしずつつまむように、今晩はこの色、今朝の気分だとこの色みたいに読み進む・・・・。

500はたくさんあって、何度も読まれては物語が心に紡がれる色と一度も目に留められることのない色と・・。その斑が自分自身だったりするのもいとおかしく・・・

電車に閉じ込められている片道1時間、特に帰りの電車の小さな現実逃避、楽しいですよ。

R-Club

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風のなかのウェイトレス たかぎまゆさんのパフォーマンス

偶然のきっかけでとんでもないものを見ることってあるもので・・・

土曜日ふらっと横浜にいったんですよ。ひとつはむしょうに中華料理が食べたくなったというのもあって・・・。あとしばらく動物園にいってないな・・・ってふっと思って。動物園というのは不思議なところで心がちょっと疲れたときにものすごい癒しを与えてくれることがある。で、両方を満たすのには横浜かな・・・って。友人に野毛山動物園のことを聞いたこともあって・・・。

とはいうものの、野毛山の動物園っていったことがなかったのです。で、地図をみると桜木町の駅からそう遠くないみたいだし・・・。HPをみると無料というのもなんかよさそうで・・・。気取った動物園より昔ながらの動物園の方が安らぐことってあるじゃないですか・・・。

で、友人と中華街でお昼をして動物園へ。、ただ、誤算だったのは地図では坂の勾配がよくわからなかったこと。

桜木町で降りて地図に従って歩いていくと、だんだんと坂が急になってきて・・・。私立の中央図書館をすぎるころには結構すでにバテていて・・、でふっと道の左側をみると駐車場でフリーマーケットをやっている。風が強くてお店もなんか風にあおられた感じだったのですが・・・。とりあえず平地で休憩と足を踏み入れてみると・・・メイドっぽい衣装の女性が中央のステージでパフォーマンスをしている・・・。観客は数人だったけれど、意に介することもなく・・・。

高校生が遊びでやっているのかなくらいにおもって数秒ながめて、足が止まりました。まっすぐに訴えかけてくる何かがあるのです。ギターケースをパートナーに踊る姿は一瞬一瞬が恐ろしいほどしっかりとしていて強いオーラのようなものも感じる。瞬時に引きこまれて目が離せなくなってしまった。

曲がかわって、彼女はギターケースを開けると「めざせ紅白」という文字が貼り付けてある・・・。

彼女は尾崎豊を歌い始めます。その動作のひとつずつに夢見る歌手志望少女の意思がこもっているように見えるのです。強い風の中でもまったくぶれない動き。脚の位置、手の角度・・・、ため息がでるほどしっかり完成されていて・・・。風に少し乱れた髪が、彼女の表現しようとする世界をさらに切なく美しくしているようにさえ思えて・・・。

後ろにタイガーマスクの格好をした男性が立っており、ジャンプをシンクロさせる部分があるのですが、そのタイミング、ジャンプのやわらかさも絶妙で・・・。歌の途中で彼女が姿勢を保つ部分など、まるで美しいフィギアを見るよう。

この人只者じゃない・・・。

彼女のパフォーマンスが終わったとき、風に散ってしまうような拍手がいくつかあって・・・。で、私はといえば風のど真ん中で彼女の表現する切ない憧れのようなものに取込まれて立ちすくんでいました。なにか夢でも見ているようでした。彼女が建物の後ろにはけたあと、それでもしばらく動けなかったほど・・・。彼女の表現から伝わってくるものに浸りきってしまっていました。

その場所を離れるとき駐車場は「急な坂スタジオ」のものだと知りました。そこがチェルフィッチュやニブロールの本拠地となっている場所であることにやっと気がついて・・・。

家に帰って「急な坂スタジオ」のHPを見て、そのパフォーマーが「たかぎまゆ」さんであること、ニブロールの公演などにも参加されているダンサーであることをさらに知って・・・。そう、先月有明の「no direction」で彼女を観てるのですよね・・・。今回彼女は「坂のはるまつり」というイベントの一環としてパフォーマンスをされていたようです。

まあ、彼女のパフォーマンスのテイストが私の好みであったこともあるのですが、行き当たりばったりで出会ったものとしては奇跡とも思えるほどにすごいものを見てしまった・・・。しかもこれだけのクオリティをもつパフォーマンスなのに観客が数名であることの切なさ・・・。

強い風に耐えながらそんな状況で演じる彼女の姿が、本来彼女が表現するものとシンクロして物語を現出させていて・・・

なんかものすごく贅沢なものを見た・・・。それと同時に彼女のパフォーマンスがあれば、また是非見たいものだと思ったことでした。

R-Club

そうそう、一緒に横浜に行った友人に誘われてmixiをはじめました。ここと同じ「りいちろ」という名前で、ここの記事をmixiの日記にも転載しようと思います。

一応ご報告まで。

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コンフィダント・絆 三谷幸喜の進化

コンフィダント・絆については正直あきらめていたのですよ。なにせ、パルコ劇場の優先、Pia、イープラスの優先等ことごとくふられ、一般発売は発売元のサイトに接続すら出来ず・・・。

でも、Parco劇場のサイトに掲載されている三谷幸喜のコメントを見るとどうしてもあきらめきれない。今回のVIDEOコメントの淡々としていること・・・。三谷幸喜が上演前に多くを語らないときには名作が多いですから・・・。(逆にこれは名作だとか是非見てほしいとか言うことをメディアで言いまくっているときって作品にどこかに彼自身の気がかりや割り切れなさがあることが多いような気がする)

で、10時に仕事の手を休めてPiaのキャンセル待ち番号へ電話をすること5日間・・・、一応平日はふつうにサラリーマンの仕事があるので、早く会社を出ることができるであろう日でないと観にいけないし・・・。でも、がんばって15分後くらいに電話がかかっても受付終了のアナウンスが流れてがっかりすること5回・・・。

6日目に電話がつながったときにはけっこう真剣にうれしかったです。ぴあの対応もとてもよくて・・・。丁寧でしかも条件をもれなく提示される。まあ、きわどいチケットの販売方法ですからねぇ・・・。

劇場に開演の15分前に来るように言われて、そこから緊張の時間が始まる。なにせ全員チケットを買えるとはかぎらないのですから・・・。20日は9人のキャンセル待ちの方が並んで、1番から順番に劇場側のめどがつくとカウンター側に呼ばれてチケットを売ってもらえる。1通話1枚なので孤独な9人がどきどきしながらカウンターを見つめる。

私の番号は4番、開演7分前に呼ばれました。けっこううれしかったですよ。席もセンターブロックの上手側、決して悪い席ではないどころか、舞台全体のバランスがしっかりわかって個々の演技が一番まっすぐに伝わる最高の席でした。予約全敗の災い転じて福となすというところでしょうか・・・。

芝居を観ている時間は至福のときでした。これまでの三谷演劇の良いところが随所にみられるだけでなく、三谷幸喜自身が一皮向けたような作品・・・。バットニュースグットタイミングのように物語の構造でみせるのでもなく、なにわバタフライのようにひとりの人生をシニカルに見せるわけでもない・・・、歴史上の事実を借景に今回の三谷は人を描くことに傾注していたような気がします。

ここから大きくネタばれします。これから作品をごらんになる方は各自の責任にてお読みください。=ちゃんと言うたで・・。これから芝居観るもんは自分の責任で読みや!)

本館にも書いたのですが、後半才能というものについて描かれるところがあります。物語の大きなキーになる部分です。才能のあるものとないもの・・・、その構図を三谷は「彦馬が行く」でも描いているのですが、今回の方がはるかに観客にはわかりやすく、また切なく感じられる場面に仕上がっています。才能がないことに気づかされるシーンの相島一之さんの演技が見事で・・・。しっかり抑えられた感情、そのなかで切れそうになる理性を抑えて・・・。もちろんそのよさは、スーラ役の中井貴一さん、どうしようもなくてとまどう寺脇康文さん、さらには自分の才能を知っていながらどうにもならないことへの怒りをもてあました生瀬勝さん久の演技の上に成り立っている・・・。支えられているから相島さんの演技自身はとてもナチュラルに作られていて・・・。ナチュラルな演技だからそのせつなさを観客は肌で感じることができる・・・。

そう、観客は肌に感じられるほど4人の絵描きと一人の踊り子の世界に取込まれていて、だから最後のシーンはせつない。堀内敬子が歌でそれらのエピソードが彼らの人生のいとおしい1シーンであることに気づかされたとき、自然に心が満ちて涙があふれる・・・。それは不思議な涙でした。

アトリエの中でのエピソードは観客をたくさんの笑いに導いてくれてくれました。その時代がさらに大きな彼らの人生の瑞々しい1シーン、帰ることのない思い出のシーンだと気づいたときに、涙が自然にあふれる・・・。

これまでの作品でも、三谷幸喜は笑いの先にあるものをいくつも提示してきました。それらを観客は十分に吸収してたくさんの拍手を送りました。でも、今回は以前の作品からさらに上へとこまを進めたというか・・・。人の一生やさらには時代までも鳥瞰して、ひとつの時代を瑞々しく美しく描いて見せた・・・。視点が一段高くなっていた・・・。

INTERMISSIONが終わるとき、三谷さん自身が気持ちよくアコーディオンを弾いてくれました。休息にざわつく劇場内を見事にパリに戻してくれた・・・。まあ、アコーディオンを落としかけたり、スタンバイする生瀬勝久にがんばってと声をかけるのは彼一流の照れ隠しなのでしょうが、終演になってからおもったのは、それらのパフォーマンスも彼自身が新しい境地に入ったことの確信と物事をなしとげたゆとりから来ているのではということ。演奏も素人とは思えない出来で・・・。結構芝居のクオリティをあげていた・・・。ゆとりって大切かも・・・

私が見た2桁の三谷作品のなかでも、この作品は多分ベストだと思います。もちろんこの先三谷作品はさらに進化していくのでしょうが、ひとつのエポックメイキングとなる作品であることに間違いはありません。

もう、19日10時の幸運にひざまずいて感謝したい気持ちになるくらい、私にとって今回の作品はすばらしいものだったのです。天才が金棒を一本手に入れたような・・・。その金棒をしっかり拝見した私はパンフレットを手に、とても豊かな気持ちで家路についたことでした

R-Club  (本館)

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そこに支柱があればこそ・・・(アロッタファジャイナ&G-UP Presents on April 7th)

最初にお詫び・・・

前回の書き込みに本館へのリンクということでアロッタファジャイナ「1999.9年の夏休み」の感想をリンクしたのですが、どうやら下書きの方にリンクをしてしまったみたいです。

友人から日本語がおかしいとの指摘をもらって確認したら、まだ編集途中の文章で、日本語になっていない部分が多々・・・。ところどころ意味がわかるという感じでこれを読んでいただいた皆様には申し訳なくて・・・。すこしはましな文章(ほぼ完成品)の方にリンクを張り替えましたので、すでにお読みいただいた方ももう一度のぞいていただけるとうれしいです。言いたいことは代わっていないのですが、少しは伝わりやすくなっていると思うので・・・。

R-Clubアロッタファジャイナ劇評

さてさて、アロッタファジャイナで大きな感動をもらった私は、同じ日にもう一本芝居を観ました。G-UPプロデュースの「アリスの愛はどこにある」です。新宿FACEという歌舞伎町のど真ん中のライブハウスが会場で、それは通常の演劇ではあまりない空間・・・。天井が比較的低い感じ、ただ、全体に広々としている・・・。

この空間には功罪がありました。良いなと思ったのは、うそっぽい世界に不自然さを感じないなにかをこの空間が与えてくれること。観客も箱庭というか作り物の世界に閉じ込められたような感覚を得ることが出来、その世界の物語にすなおに溶け込んでいけるのです。それゆえ、主人公の感情も等身大にみえるしいろいろなものを目の前の舞台に投影することができる・・・。そもそも、物語の設定が絵本の中ですから、ぴったりといえばぴったりの雰囲気・・・。

ただ、矛盾しているしうまくいえないのですが・・・・。この空間では本当に芝居に引き込まれたとき、世界をとても狭く感じるのです。不思議なもので天井の高さって想像力の広がりを左右するのですね・・・。新谷真弓さんが感情をすべて開放したような名演技を見せるとき、所詮は絵本の中という感覚を与える天井は、物語がブレイクするのを邪魔をしたような気がしました。意識下にない閉塞感みたいなものが、天井からやってくるのかもしれません。

芝居自体は、とてもテイスティでしたよ。新谷真弓さんの実力ってナイロンの本公演以外にも何本か見ていて、その実力は十分承知しているつもりなのですが、それでも驚かされる出来のよさ・・・。すっと、観客をつかみそのままひきずっていきましたから・・・。ちょっとひねくれてわがままな彼女演じるキャラクターに、共感を覚えるのは何故なのでしょうね。その共感が強いから、最後の電話のシーンがじわっと心に染みる・・・。

共演者たちもしっかりと安定した演技で新谷さんの演技を支えていました。特に目を惹いたのが桑原裕子さん。昔双数姉妹に客演しているのを見てその演技の説得力に舌を巻いた覚えがあるのですが、今回の演技も観客によい重さを与えるすばらしいものでした。作家としてだけでなく、役者の能力の高さを見事に照明して見せました。桜子さんも印象に残りましたね。なにか心に小さな印をつけていくような演技でした。小宮山実花さんは他の劇団で何度か拝見していましたが抜けるような明るさがあってとても魅力的・・・。楠見さんはもう貫禄ですね・・・。動かなくてもちゃんと感情をしっかりと伝えられる・・・。瀧川英次さんもチェルフィッチュや七里ガ浜オールスターズの演技とはまったく違う一面を見せてくれて・・。

しかし、今回一番おいしかったのはうさぎ役の高木稟さんでしょう。新谷のリズムを壊さないように、でもしっかりと自分のリズムで演技をする。その淡々としたところにものすごくよい味がうまれていました。ほかの役者も本当に安定していて、見ているほうは力を抜いてゆだねるだけで十分に物語を感じることができました。

ふと、思ったのですが・・・絵本の世界がハッピーエンドから遠ざかっていくときの新谷真弓さんのお芝居は多分今までに見た彼女の芝居の中で最高のものだったと思います。彼女の舞台はたぶん10作以上見ているけれど、あんなに強い気持ちが観客にまっすぐ伝わったのをみたことがありません。それは彼女の演技がいよいよ円熟の域に入ってきた証でもあるのですが、同時に周りの役者達が彼女の力が最大にさせるよう、しっかりと演技をしていたことも大きいと思います。役者達のの演技に余裕があるから、新谷が生きる・・。生かされた新谷の演技が卓越しているから他の役者たちの努力は倍になって観客に影響する・・・。なんかそういう良い循環を舞台に感じました。

舞台でよい芝居が生まれるときには、支えるゆったりとした力が存在しているものなのでしょうね・・。そうそう、11日に「1999.9年の夏休み」のチャット大会があって拝見していたのですが(別のことをしながらだったのでほとんどROMしていた)、アロッタファジャイナの制作(兼役者)の方がしっかりと支柱になってチャットの雰囲気を見事に守っているのです。懐が深いというか、ゆとりを持って全体の状況を把握しながら自分も楽しんでいらっしゃるというか・・・。本番中のステージでもきっと彼女などが支えているから、少年役の女優さん達の演技に一段の伸びと鋭さがあったのだなと悟ったことでした。チャットの終わりごろにその制作の方に直接お礼が言いたくて(舞台を拝見するときにお世話になったので)入れていただいたのですが、そのときも素敵な雰囲気でご対応をいただいて・・・。とてもうれしかったです。

良い舞台っていうのは必ずそういう支柱になる方がいらっしゃるのだと思います。「1999,9年の夏休み」ではその制作兼役者、ナカガワミチコさん(看護士長役)や蒻崎今日子さん、さらには三松さんが担っていたように思えるし、「アリスの愛はどこにある」では楠見薫さんをはじめ桑原裕子さんなどもその役を果たしていたのだと思います。

まあ、支柱がしっかりしている建物は崩れないということなのでしょうが・・・

それは芝居に限らず、どんな表現や仕事でも同じなのかもしれませんね。

ふと感じたことでした。

R-Club

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きれいの力を使うには・・・(アロッタファジャイナ)

4月7日に観たアロッタファジャイナ「1999.9年の夏休み」はとてもしたたかなお芝居でした。

感想は本館を見ていただけるとうれしいのですが、いろんなシーンが一点に吸収されるように集まってくる感覚は、野田秀樹の芝居にも共通するものがあって・・・。最初は多少もたれ感もあったのですが、中盤からは一気に引き込まれるように観てしまいました。

少年役の女優達の演技がなかなかよくて・・・。本当のことを言うとオスカープロモーションの女優さんも何人かいらっしゃるとのことで、美しさと演技力って双方成り立つのだろうかと思っていたのですが、これがまったくの杞憂。

少年役の彼女達の演技をみていると非常に抑制された感じがするのですが、今回についてはそれが物語全体をくっきりさせた印象があります。一番感心したのは本当に発声がしっかりしているというか、まっすぐに台詞が伝わってくる・・・。舞台の透き通った印象は彼女達の力によるものが大きいかったのではないでしょうか。

また、少年を女性が演じるというのはとてもうまいやり方でした。ある意味女性としての天性の才能を人並み請えて持っている役者が男性を演じることで、少年の普遍性のようなものが強調されて、物語の見晴らしがずいぶんよくなったと思います。看護士の女性達にしてもそうなのですが、女性の美の使い方がとても贅沢で効果的。衣装にしても演じ方にしても、単純に女性のうつくしさをそのまま舞台でさらけ出すのではなく、なにかのパワーに変えて観客に提示するようなテクニックがあって・・・。これが複雑な物語をしっかりと観客に伝える力になっているのですから、作演出の松枝さんの才能には舌を巻きます。

少年役以外の役者さんも、期待をはるかに超えて芸達者でした。すてきにきれいだし役者としてのパワーをしっかり持っているのだけれど、その力を舞台の色に抑制している感じの女優さんばかり・・・。終演後、医師役の蒻崎今日子さんをホワイエで拝見しましたが、舞台でみるよりもはるかに艶やかで美しくて息を呑んでしまいました。男優陣も堅実で勢いを失わない芝居でしたね。物語を前にすすめる三松さんの演技にも感心しました。これだけの役者を集め、このクオリティの戯曲を用意してこれだけの芝居ができるアロッタファジャイナ、只者ではありません。センスのよさは舞台美術や照明にも現れていて・・・、気がついたらとりこまれていた2時間でした。

ただ、この芝居は、初心者向きではなく、舞台鑑賞中級者以上向きかもしれませんね。芝居がおわってから、客席では物語についていけない当惑の声がちらっといくつか聞こえましたから・・・。いくつかの時間が入れ子になった芝居って見慣れないと本当にわからないことがあるので、そういう経験がない方にはちょっと大変だったかも・・・。私としては超好みの芝居ではありましたが・・・。ねたばれになるので詳しくは書きませんが、ファミレスの名前のつながりのあたり・・・ため息が出るほど秀逸。

なんか充足感のある芝居を見た後は、ゆっくりと心がみちてくるんですよ。芝居のパワーに満たされたけっこう幸せな土曜日の午後でした。

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映画パフューム、見えないものを見せる方法について

先日、お酒や輸入食料品を扱っているやまやで、とあるチョコレートを見つけました。

一瞬なんのデザインかわからなったのですが、これ、テントウムシをかたどっているみたいなのです。こちらに向かって前の2本が 触覚でのこりの左右3本ずつが足ということみたいです。足の部分は一枚のダンボールでできています。写真でみるより実物のほうが若干はテントウムシらしいのですが・・・Img0001

日本人がテントウムシのチョコレートをデザインしても絶対こうはならない気がする・・。多分わざわざ足をつけたりしないですよね・・・。

なにかを表現するとき、そこには文化とか習慣とかが裏打ちされている・・・。お約束というと言葉はわるいですが、イメージを双方で共有することから何かが伝わっていくみたいな話ってけっこうあるとおもうのです。

映画、パヒュームはそのトリガーに匂いを使います。主人公にとってニオイが形であり色でありそのものを象徴するすべてである・・・。ということから物語がはじまります。

発想はとても秀逸なものだと思います。なんというか、それはありだよね・・・、みたいな・・。

ニオイをトリガーにして世の中に触れることを覚えた主人公は、視覚や聴覚を中心とした世界観とはまったく違ったロジックで物事を考え始める。いや、何かを記録するという行為は視覚でも聴覚でも普通に行われている話であり、同じロジックで匂いを記録しようという発想も別に不自然なものではありません。ただ記録がk文字や映像を介してではなく、匂いそのものとなると、媒体は匂いをそのまま保持するものということになり、結果として視覚・聴覚からは著しく逸脱した物語が生まれていきます。

主人公が最初に惹かれた女性の香り、そこから女性の香りを保存することへの憧れへと発展し、やがて香りを収集するための殺人へとさらにエスカレートしていく・・・。でも主人公にとっては少しも間違ったことではない・・・。匂いのなかにこそすべての価値は存在しているのですから・・

良い映画ですよ。「パヒューム」は・・・。物語の作りがしっかりしていて、しかも重さがなく、流れていくようですが、実は何本もしっかりとした伏線が張ってあって、それが物語の要所を締めてているので、長めの物語もまったく苦もなく楽しむことができます。

ただ、この映画を見てふっと気がついたのは、台詞は翻訳できたとしても香りの翻訳はできないことから、欧米人がこの映画を見て感じたことを私は100%感じ取ることはできなかったのだろうなということ・・。

学生のころにはロンドンで半年暮らしていたわけだし、ニューヨークには、たとえ2年間とはいえいたのですから、欧米人の香りに対する感覚がまったくわからないわけではないですし、ロンドンの地下鉄にこもる独特の香りの中で、かすかにただよう女性の香水の匂いがどれだけの慰安になるかだとか、香水の本当の価値は体臭と交じり合ったときに生まれるとかいうことはわかるつもりなのです。でも、その香りで死刑執行人の棒を取りあげ、罪人してを天使と呼ばせるほどの香水が物語の結末として使われたことを納得するにはやっぱり少し時間がかかってしまう。

この映画の映像は大健闘でした。すくなくとも、その香りがもたらす高揚感のようなものは十分画面から伝わってきたし、無味無臭のスクリーンから第六や第七の感覚によらなくても、なにかは伝わってきた。しかしながらその何かと具体的なものがつながらない・・・。戸田奈津子さんの名翻訳は最大限まで何かを私に伝えてくれたのですが、私の中でそれが実感として最大値で受け取ることができないもどかしさが残るのです。

そのとまどいは写真のテントウムシチョコを見たときとおなじ。何かを模したり表現するには、対象にたいして作り手と受け手で共通の認識がなければならないということなのでしょうね

もちろん匂いでなくても、実感として感じられないものはたくさんあります。シェイクスピアの戯曲にしたって時代と言語の2重障壁の向こう側にあるものだし・・・。ただ、芝居では元々が虚構のなかの約束事で物語をひょうげんしていく部分があるので、違和感はその仕組みの中にとりこまれうところ大ですが、映画というきわめて具体的な映像を媒体に匂いというまったく表現できないものを題材にしたときにはもろに、戸惑う部分が私のなかで露出していきたということなのかもしれません。

テントウムシのチョコレートはとてもおいしかったし、映画もダスティンホフマンの名演技など見所でいっぱいとても楽しみました。ただ、きっとこの映画が本来持っているであろうと思われる充実感に私は到達することが出来なかったのです。ちょっとくやしい・・・。

まあ、世界は広いししょうがないことではあるのでしょうが・・・

R-Club

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