くるっと時代はめぐって・・・(キャンディーズ・みんな昔はリーだった・winkのプチ評論)
キャンディーズの特集を見て感じたお話のパート2です。
この番組って昭和中盤生まれには結構関心が高かったようで、いろんなコメントがWeb上を賑わせていますね。また、それより下の世代からも子供のころの思い出としての感想が多くて、当時のキャンディーズの愛され方が良くわかります。
その中で一番興味を持ったコメントが今をときめくイラストレーターの方がおっしゃっていた、引退宣言をしたときの彼女たちの衣装が「今」であったということ。ファッションの最新トレンドについては知識がないのですが、でも、画面に出てくる彼女たちの姿ってまったく今の映像として違和感がないことは事実。プロフェッショナルの審美眼はきっとさらに深くそのあたりのことを感じられたのだと思います。
一方スタイルだけではなくエンターティナーとしても彼女たちには才能が与えられていました。「見ごろ!食べごろ!笑いごろ!」のギャグを演じているシーンなど、ネタは古いですがぼけ方や突っ込みのタイミングがほとんどプロはだしで、これも「今」に通じるものがあって・・・。いったん落としたところでもうひとつ引っ張っていくあたりで、彼女たちがテレビというメディアに対していかにプロフェッショナルであったがわかります。
ファッションの話に戻りますが、彼女たちの、特に活動期間後半の衣装というのは、素人目に見てもとても洗練されています。彼女たち自身が少女から大人になったことによる印象の変化や、曲調にあわせた衣装デザインの変化もあるのでしょうが、どこかにシックな部分と陳腐化しない美のようなものを併せ持った姿で、少なくとも彼女たちの映像が30年近く前のものとはまったく思えない・・・。色使いの豊かさもそうだし、バリエーションの豊かさもそう、彼女たちの衣装や振りは、当時も今も、見るものの心をときめかせてくれます。
キャンディーズが活躍していた時代は、後藤ひろひとの「みんな昔はリーだった」の回想部分の時代とちょうどかさなります。芝居でも描かれているように、あのころの少年少女も、いじめに耐えたり夢を見ることができにくくなったりと、今、世間で言われている問題点は程度の差こそあれ存在していたのですが、ただ、時間の流れや社会の動きについていえばバブル崩壊後の日本にくらべて、ゆとりや明るさがあった時代だったのではないでしょうか。その後バブルに近づくにつれて、だれもが流れているから、流されている状態に変わっていって、最後には多くのものがバブルと一緒にはじけて消えていった。
キャンディーズは自らの意思と時間や自分を取り巻く世界の流れの間に膨らんでいったギャップに悩み、結果として解散を選んだという解説が番組の中でありましたが、その後のバブルにはじけていったものたちにはギャップを感じるゆとりさえなかったような気がします。伊藤蘭さんが解散コンサートで「私たちはバカじゃない」と語っているとおり、その悩みは彼女たちの知性というか豊かでふところのひろい感性の発露だと思うのですが、同時にその発露の結果を、ぎりぎりであっても、彼女たちの裁量にゆだね、最終的にあたたかくうけいれることができた当時の社会にも、おなじようなゆとりを感じるのです。
キャンディーズ、そして疾走をつづけたピンクレディーのあと、バブル崩壊のころに登場した女性デュオにwinkがあります。私は彼女たちの歌も大好きなのですが、キャンディーズが心をやさしく高揚させる歌だとすれば、winkの歌はどこか心をクールダウンさせるような透明感を持ち合わせているような気がします。アンティークドールのような衣装が多かったような気がしますが、そこにはキャンディーズがもっていたようなゆとりはなく、その無機質な振りと歌唱時の無表情さには、形式美の極致のような完成度とセンスが感じられました。でもそれ以上に感じたのは行き着くところがなく輝くような終末美・・・。「寂しい熱帯魚」などの刹那感には流されつくしたあきらめ感や退廃の甘さまでが含まれていて・・・。その時代にwinkの曲に接して、キャンディーズやピンクレディーの世界に陳腐感を感じていたのも事実です。彼女たちの末期の歌には、初期・中期のころよりもどこか暖かさが感じられて、それはそれで嫌いではないのですが、でも彼女たちはその段階で普通のボーカルデュオになってしまった。キャンディーズの歌に新鮮さが戻ってくるのと反比例するように、彼女たちの美は光をなくしていったような気がします。彼女たちの感性を発露させるゆとりやそれを受け入れる社会のゆとりがなかったのか、あるいは彼女たちを輝かせるようなタイトな感じが社会から薄れていったのか・・・
今、たとえば「キャンディーズ」の特番が放映されたり、後藤ひろひとがあのような芝居を上演するのは、私たちにすこしゆとりが戻ってきたことの現れなのかもしれません。NHKや大王が意識していらっしゃるかどうかはわかりませんが。でもファッションや文化というのは時代をひっぱりながら、いっぽうで時代を映すものでもあるわけで、キャンディーズの衣装がその道のプロに「今」のスタイルとの共通性を認識させたり演劇でその時代の果てとしての現在が描かれるということは、背景として昔のゆとりが「今」にもどりつつあるということなのかもしれません。
時代はくるくるっとめぐって、まったく同じにはなりえないのでしょうが、昔と同じ香りがただよう「今」がある・・・。たとえばキャンディーズの3人がめぐってきた「今」をどう感じているかについては、彼女たち自身にちょっと聞いてみたい気もします。今回の特集の件も含めて、だれかがインタビューをするなんてことないですかねぇ・・・。
PS:上記のイラストレーター、アオノミサコさんのHPには偶然流れ着いたのですが、彼女のHP(本館部分)のイラストの美しさには目を奪われてしまいました。ちょっとヴィヴィッドな感じにあたたかさと冷静さが同居していて、「今」に堕ちていくように心をひきつけられてしまいました。勝手連的におすすめです。
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