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お正月はテレビっ子(やすきよ・志ん生の映像)

ちょっと遅くなりましたが新年あけましておめでとうございます。

今年もよい1年でありますように。

さて、お正月、今年はちょっとばたばたしていたのですが

それでも普段に比べればはるかに自由な時間が多く、おかげでけっこうテレビっこができました。

お正月って結構マニアックな映像がたくさん流れるので見ているだけでも楽しい。

一番すごかったのは、昭和の演芸3本の放送。星セント・ルイス、横山やすし・西川きよし、そして極めつけは志ん生の「風呂敷」でしょう。

3組の芸が今の人たちと比べてどうかというと、漫才については今の方がもっとうまい人がいるかもしれない。麒麟とか笑い飯、さらにはフットボールアワーやチュートリアルなどの芸をみていると、昔とはスピード感がちがうというか発展性が違うというか・・・。もちろん、やすきよがいるから今の漫才があることはまちがいないのですけれどね・・・。あ、そうそうやすきよってこんな感じやったな・・・、っていうなつかしさが先にくるような・・・。やすしさんが稀代の漫才師だっていうのは本当に画面から伝わってくるし、セントルイスさんたちの漫才は当時としては異様にテンポがあって、いまの漫才師の間にはいっても十分勝負ができるようなセントとスピードがあったことはよくわかるのですが・・・。でも、やっぱりなつかしさが先行してしまう。

でも志ん生は違いますね・・。枕は現役の人たちとほとんど変わらない雰囲気なのですが、本編にはいると、50年以上前の映像であってもぐいぐいと巻き込まれてしまう感じ。私が生まれる前の録画ですし、事情がわからない部分もあるのですが、そんなの志ん生師匠の芸にとっては関係ないですね・・・。有名なというかポピュラーな逸話になったシャツの2番目か3番目のボタンのフレーズも出てきましたが、それを噺のなかで志ん生が使うと、すごく斬新に思えるのですよ。ネタが割れている部分なのに、噺のなかではその部分が命を持ってやってくる感じ。

こんなことをいうと歳がばれますが、志ん生の二人の息子、すなわち馬生(先代)と志ん朝についてはどちらも生で拝見したことがあるのですが、芸風はお父さんとかなり違っていた。お父さん側の芸風って東京の落語家のなかではなかなか思いつかないのですよね・・・

しいて言えば、私のなかで今一番近いの笑福亭福笑さんの落語かな・・・。関西落語ですが・・。

物語を崩すことはしてないのにそこからあふれるものがある・・。それも気取りとか取っ払って勢いで一気にグルーブ感が出て行くような・・・。なのに緻密な芸の計算もしっかりされているような・・・

前にもここに書いたように、福笑師匠なんてすくなくと東京の演芸番組にでてくることなんてないじゃないですか・・・。すこしは映像に残してもらわんと、志ん生以上にイメージを伴わない伝説がのこるような気がします。どんなもんでしょうか・・・。

まあ、なんかとりとめのない話を書いてしまいましたが

とりあえずはほろ酔い気分のお正月ということで・・・。

本年もR-Club本館および別館(ANNEX ここです)をごひいきいただきますよう、よろしくお願いいたします

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