みごろ!たべごろ!笑いごろ!!の偉大なるマンネリ感
ある意味キャンディーズ探訪のお話になるのかもしれません。
このブログでのシリーズ3作目というか・・・。
キャンディーズの特番から派生して、結局「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」のDVDのうちキャンディーズが番組中で主演したドラマ以外はすべて見ました。実をいうと、この番組、年齢的には十分楽しめた世代ではあるのですが、当時父の仕事の関係で1977年の6月から翌年の2月までロンドンに行っていたので一番大切な部分をリアルでは見落としています。それだけにある意味新鮮な部分があって・・・。
で、結果として、なんていうのだろう、一種の安定感というか、妙にどっぷりとこの世界に入り込んでいます。もう怖いくらい・・・。
多分、一番私を妙に和ませている一番の要因は、放送当時毎週繰り返されたであろう同じパターンの使いまわしなのだとは思います。ここまで徹底してやっていたとは思いませんでした。
伊東四郎・小松政夫・キャンディーズがやっていた、悪がきコントを見ていると本当に顕著で・・・。キャンディーズ本人たち自らが行っていたワンパターンの導入部分のあと悪がきたちの兄として小松政夫が出てきます、つづいて伊東四郎のお母さんが出てくる。そしてキャンディーズのお母さんにたいするその日の報告があって(ここは毎週バリエーションがある)キャンディーズがはけて(はけるときにもかならず柱や障子にぶつかるというお約束が相当期間あったよう)伊東四郎と小松政夫の二人の場面になります。最初母役の伊東四郎は息子役の小松政夫を無視しぽかぽかしゃもじでたたく。が、母が大好きな「からすの焼き鳥」を母親に食べさせたかったという言葉が小松政夫から出た時点で母親は反省しやがて二人で歌を歌います(歌は毎週異なる懐メロ)。でキャンディーズが一人ずつ現れてその週のテーマにあわせた出し物をして最後に小松政夫の言葉尻をとらえたいじめがあって終わり・・・。
その間に藤村美樹の「マンニリ」や伊藤蘭の「プレゼントアナウンス」などのギャグがしっかり組み込まれている。また有名な「世界のキャンディーズになるまで涙は禁物よ!」というせりふもこのパターンで登場します。
しかも、順序に関係なく繰り出されるお約束ギャクのパターンもあって、たとえば小松政夫がしたり顔でなにかを説明したときに伊東四郎が「知ってるよ!」と突っ込みをいれ、安西マリアの涙の太陽の一説(知っているのにしらんふり♬)を二人で歌うとか・・。
さらにはアドリブもけっこう許されていたみたいで、伊東四郎の歌に小松政夫がついていけないシーンがあると、次のシーンの冒頭で藤村美樹が「ついていけねーでやんの・・・」と突っ込みをいれたり。さらには田中好子が本当に生真面目にギャグを演じるその姿自身が一種のギャグになっていったり・・・
固定された物語の進め方やギャグとバリエーションの調和、それと、ちょっと関西的な笑わせたら勝ちみたいな雰囲気。関西では吉本新喜劇がこの手法を使っていたのですが、全国ネット・準ゴールデンのテレビでここまで見事に調和させたのはこの番組が初めてだったのかもしれません
たとえば、演劇においてもこういう固定ギャグの手法って今でも結構使われてますよね。後藤ひろひとあたりは使い方が上手で、たとえば「Big Biz」シリーズにおいては松永玲子演じるサラの登場なんかが良い例。 新たに設立する会社の名前にしても、八十田勇一演じるもくたろうが銀行に口座を作るくだりにしても・・・。でも、シリーズが進んでいくにつれてそれらのバリエーションは進化し、さらに新しいバリエーションが追加されていく。
後藤ひろひとの直近の作品では「Worst of ・・・」のなかの舞台転換の場面でもシーン間でこのやり方が使われていましたね。最初はスタッフだけだったのがゲストまでが手伝いをさせられるという発展系で・・・。
いずれにしても継続して提供されるタイプのコメディやバラエティに使われるさまざまなバターンがてんこ盛りだったことは舌を巻くばかりで、マンネリとかワンパターンといわれながら、一方でその発想の豊かさを感じたことでした。
また、練りに練ったコントでありながら、一方で出演者たちの素の部分の魅力を利用するようなパターンもこの番組が初めてだったのではないでしょうか・・。
尻文字や電線音頭で踊らせることで、キャンディーズの素の表情を引き出そうとしたり、それでは足りなくて、伊藤蘭を驚かせて(DVDに収録されているコントではにょろっとしたものが、コントの小道具に仕込まれていた。)素の表情を出そうとしたり。
キャンディーズの歌のレベルが上がり、そこに構築される世界というかドラマが豊かになっていくにしたがって、彼女たちが「みごろ!・・・」で演じる姿や素の表情とのギャップがおおきくなって・・・。
それらの取り組みは、テレビの内外という概念を取り去って、観るものをバターンのなかに取り込むことに大きく貢献していたに違いありません。
でも、今回一通り観て、あの番組、DVDというメディアでしか残せない理由も今回よくわかりました。ギャグが過激で、今、あれを電波にのせて再放送するのはかなり難しいとおもいます。
たとえば悪がきたちのことば、七夕の短冊に「学校が燃えてしまいますように・・・。ついでに校長先生の家も燃えてしまいますように」に鬼母が「えらいわねー、そうすれば学校お休みだものね」と応じたり、雪合戦の時に玉に鉄をいれて窓ガラスを全部割っただの(母は窓がなくて寒いと勉強に身がはいっていいものね、と応じた)石をいれて特定の友人にぶつけたら鼻血を出しただの(母はxxをやっと鼻血を出せるほど大人になったかと感心して見せた)、これって、今だとしゃれにならないというか現実に起こってもおかしくないことで・・・。そもそも、悪がきが政太郎(小松政夫)にしていることっていじめの構造を非常によく表しているともいえるわけで・・・。今、あれを放送したら、多分しゃれにならない。
要は現実が「みごろ!・・・」のギャグを追い越してしまったということなのかもしれませんが・・・。ガキデカのギャグがそれなりに過激だった時代でもあり八丈島のキョンか花の応援団ギャグのパクリのような動作も観られたこの番組には、当時の時代のゆとりのようなものが感じられたゆえんでもありました。
しかし、この番組、DVDに未収録のシーンなどや収録中のNGシーンなどもあるはずで、なんらかの形で見ることができるようになりませんかねぇ・・・。もう30年前の話なのだし歴史の証左の一部として・・・。
最近のM1グランプリなどの漫才をみると、剛速球ってストライクを取っていくような感じがするのですよ。それに比べて「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」はどちらかというと軟投型で・・・。番組の間にシリアス系のドラマまで入っていて、それが後半のコーナーへの口直しのようになっていたり・・・。秋野暢子さんのこぼれるようにでてくる素の雰囲気も当時は新鮮だったろうし・・・
いま、そういう軟投型に練った番組ってないわけで、できるだけたくさんの記録を公開してもらいたい番組のひとつです。また、藤村(尾身?)さんは難しいのかもしれないけれど、キャンディーズ、伊東四郎、小松政夫に西田敏行、秋野暢子あたりまで加えて、当時の現場の話をいろいろとしてもらうような特番などできませんかねぇ。それは単なるバラエティを超えて、バブル崩壊前の希望がまだいっぱいあった日本を記録した一種の歴史的資産になるような気がするのですが。特にキャンディーズについては、解散宣言とファイナルコンサートのみが注目されますが、その間の、たとえばラジオ番組のことや当時の全員集合の現場など、思い出という側面とは別に時代という観点から見たものや感じたことなどを話してもらえるとすごく貴重な資料になるとは思うのですが・・。
それと、どこかの図書館か博物館にそれらの資料をおさめたライブラリなどができたりとかもよいかも・・・。ちょっと高めの有料公開でもよいから・・。渡辺プロさんならできるような・・・。
今、しっかりとこの時代やこの文化を残しておくことは、案外大切なことではないかと感じたことでした。
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