チェルフィッチュ 集中して演じ集中して受け止める
今年の3月、チェルフィッチュの「三月の5日間」を
西麻布「Super Deluxe」に観に行ったとき、
最初、大丈夫かなと思ったのを覚えています。
会場には結構早くついたので
カウンターでドリンクとフライドポテトを食べながら、
まだ人の少ない会場で待っていたのですが
少しだけ食べ物の香りがこもるような気がして
気が引けてしまいました。
まあ、昔、新感線がまだ東京に出てきたばかりの頃に
シアタートップスでコロッケを売っていたことがありましたが
それとはニュアンスがちょっと違うというか・・・
まあ、カレーまであって、そのかおりも
まるでちょっと黄色い粒子のように
会場に広がって・・・
しかも、2杯目のウォッカ&トニックを飲んでいるうちに
芝居が始まってしまった
手にもったままのグラス・・・
ほんの少しのアルコール性の心地よさ
それだけで劇場でみる芝居とは
覚悟が違ったというか・・・
勝手が違った気がして。
でも、今から思うと
チェルフィッチュ初見の私にとっては
その雰囲気にずいぶん助けられたと思うのですよ
役者が語るライブハウスの雰囲気にも
すっと入っていくことができたし
入っていけたから、すごく早い段階で
チェルフィッチュのスタイルを受け入れる
慣れのようなものが自然にできた様な気がします
チェルフィッチュのスタイルを受け入れることができれば
後は彼らの所作や言葉を吸収することは
とてもたやすいことで・・・
休憩の前には、こんなに瑞々しく時間を切り取ることができる
彼らのメソッドと演技力に舌を巻いたものでした
演じる側はものすごい集中力だと思うのですよ・・・
だから言葉と動作ををしっかりと受け止めることで
言葉の意味とはまったく異なる何かが
しっかり伝わってきて。
イラク戦争が始まる頃、渋谷に流れていた時間や
デモ隊に注ぐ光の粒子まで感じるような・・・
その時間に不可思議な
ある種の愛おしささえ覚えたことでした
芝居が終わって、六本木の駅に向かうとき
なんというのだろう、柔らかい懈怠感が
私を支配していました。
遠いところからの旅の目的地に
やっと着いたような・・・
それまでも、よい芝居を観終わったときたまに陥る感覚ですが
その日ほど強く感じたのははじめての感覚でした
で、チェルフィッチユ流にいうと2幕をはじめるのですが・・・
新国立劇場で上演された「エンジョイ」は
開演する前から一種の緊張感のようなものが
場内を支配していました。
黒い場内、劇場独特の静寂、
もぎりや場内を案内するスタッフもSuper Deluxeの感じとは全然違って
制服のプロフェッショナルっぽいお姉さま・・・
国立だからってことではないのだと思うのですが
既成の、コンサバティブな演劇の概念で
時間が止まっている感じ
観客の年齢層もSuper Deluxeよりはるかに高いし・・・
そして、「エンジョイ」が始まり・・・
3幕に入ってしばらくしたころ
彼らのメソッドに取り込まれて
明らかになっていく物語と演じる役者達の動きに
心を奪われていたとき
役者から紡ぎだす言葉を超えた何かが
激しく私を揺さぶり始めた頃
なんと後ろの席から
低いいびきが聞こえてきたのです。
でね、不思議なことに私は
いびきに一瞬心を奪われた瞬間
まるでつぼを針に刺されて弛緩するように
自分の集中と、目の前で演じている役者(山崎ルキノさんでした)の
強い集中に気がついたのです。
R-Club本館の劇評にもすこしだけ書きましたが
チェルフィッチュの舞台においては
観客は役者の言葉をうけとめて、動作が示すものを引き受けて・・・
引き受けられた役者にはさらに彼ら自らの言葉や動作を超えて
もっとあふれ出す何かをさらに表現する力が必要で・・・
そうすると観客はさらに受け止めるための集中が必要で・・・
観客と役者の間のパワーゲームのようなものが
チェルフィッチュの舞台には確実に存在していて・・・
西麻布でみたチェルフィッチュの芝居には
その集中を適度に緩和してくれる雰囲気があったし
今回の国立劇場はその集中を後押しするような
雰囲気だったのかもしれません。
それのどちらがよいかというのは作品ごとに演出家が決めることだと思うのですが
少なくとも、国立劇場においては
そのゲームに乗り切れない観客が少なからずいらっしゃったような
気がします
昔、よい役者は寝ている観客を椅子から引きずりあげたという話があるのですが
引きずりあげられるほうにだって体力はいるわけで
もし、あの時のいびきがなければ
私は、劇場を後にするときの疲れた感覚を
西麻布から六本木への帰り道同様に
不思議におもったにちがいありません。
でも、はからずも心無いいびきのおかげで
昔、双数姉妹が「やや無情・・・」で提示した
演じることと観客が観ることの意義に
何年かぶりに思い当たることができたのでした
まあ、生のお芝居には何があるかわからないということで・・・
何があるかわからないといえば
12月11日の深夜にBSで「三月の5日間」の放送があったけれど
カレーのにおいは伝わってこなかったし・・・
(本番を見ていない観察力の鋭い人が見ると、
休憩のシーンでフードのお皿を持った人が映ったとき
なんだろうと思ったかも・・・)
なんにせよ、岡田利規の次の公演がすごく楽しみになっています
すごく抽象的な表現ですが
体力をつけておこうと思います
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