映画「UDON」、日常の喪失と再生、そして私とモルモットの日々
私事で恐縮ですが
土曜日(9月23日)の朝
家族同様にすごしていたモルモットに逝かれました。
なまえは「はもる」♀(写真は在りし日のはもる)
享年4歳7ヶ月
めずらしく生年月日がわかっていて
2002年2月10日生まれ
(木星モル+ みずがめ座)、
この数週間抱いてもすこしずつ力が衰えていて
心配をしていたのですが・・・、
実はもっと前から下腹部に腫瘍ができていたみたいで
最後には肺炎を併発して・・・
病院へもいったのですが薬石効なく・・・
最後は私が目覚めるのを待っていたようで
早朝私が寝ぼけ眼でケージを覗き込むと
一歩近づいてそのまま倒れて・・・
慌てて抱き上げた私の腕の中でゆっくりと息を引き取りました
名前を呼んではしばらく抱きつづけて・・
最後は大きな瞳を人差し指でゆっくりと閉じてやりました
靴の箱に藁をしいて彼女を安置し、
火葬の手配をして(幸いにも日曜日の夕方での予約ができた)
お店が開くのをまって花を買い求め箱を色とりどりの花で埋め
悲しいのにそういう時って涙がでないのですね。
いつもは夜にもう一匹のモルモット(「るるん」♀生後9ヶ月、誕生日不詳山羊座)と
2匹分の野菜をそれぞれパックにして、
朝冷蔵庫からとりだして彼らに与えるのですが
その日「はもる」の分はずっと冷蔵庫に取り残されたままで・・・
夜、つかわれないままだった野菜に気がついて
急に涙がとまらなくなりました
映画「UDON」にはいろんな側面があります。
ひとつは日常、たくさんのうどんやさんが
街にあたりまえのようにあって・・・
時には店とも呼べないような形態で
でも生活に密着している
それは日常の世界
「そこにはうどんがあるだけ」の世界
主人公はそこに意図することなく非日常を持ち込みます
ちいさなきっかけがしだいに膨らんで
そこにあるうどんがライトをあびて・
うどんはブームになって、やがて一時的に日常を壊していく
日常のなかの非日常がかがやきはじめます
そしてサクセスストーリーが生まれます
しかし登る陽はやがて傾いていくもの・・・
祭りは終わり
一方では、日常自体もふっと喪失してしまう
主人公の父親の死。
そこにあたりまえにあるものが
突然失われてしまう。
父親が残したうどんのこねたやつを
切って食べたときに流した涙・・・
それはきっと私が冷蔵庫に見た
主をうしなった野菜パックと同じ。
やがて、すこしずつ
父がなにげに背負っていたものの重さや深さを
息子は知ることになる
でも、根本にあるものはそんなにたやすく壊れたりしない
毎日の営みの中に根付いたうどんがそんなに簡単に
消えてしまうわけではない
日常の力強さ・・・
その日常の根は再び芽をふき
新しい日常が生まれていく
その描き方の見事なこと。
暮らしとはそういうものだと・・・
生きるとはそういうことだと・・・
はもるを失った喪失感を胸に抱きながら
彼女と過ごした日々を思い出すとき
実は特別なことなんてなんにもありませんでした
毎日餌をやって、時々抱いて・・・
おかしなところに糞をされてはちょっと怒って・・・
その仕草に笑い、つらいことがあったときには
ちょっと餌のやりかたが投げやりだったり・・・
たまに旅行の時にペットシッターに世話をお願いしても
なんとなく気になってしまったり・・・
私の時間が過ぎてゆき、彼女の時間が過ぎてゆき・・・
気が付けば根がはえたような時間が生まれていた
そして彼女は天に召され
私は涙を何度か流して・・・
それでもるるんとの暮らしを続けていく
「かもめ食堂」を観たときにも思ったのですが
日常というものは何にも増してせつなくて
豊潤なものなのかもしれませんね
その豊潤さに気が付くのは
失ったとき・・・
人生というのはそんな風にして構成されているのかも
しれません
それにつけても・・・
はもる・・、4年以上もの間ありがとうね。
長いようで今は本当に短く思える
そんな毎日・・・
ずっとお前に癒されていたような気がする
振り返ってみてもたのしかったよね。
ゆっくりお休み・・・
お休み、はもる・・・
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