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繋ぐ技術(浅野温子が美しすぎるDumb Show)

シアタートラムで上演されていた「Dumb Show」は
いろんな意味で演劇というものを考えさせてくれる作品でした。

R-Club本館の劇評にも書きましたが
率直な感想を言うと成功した作品ではないと思うのですよ。
なんていうのだろう、本来作品はもっと粘りがあって
ひりひりするような部分を持っていると思うのです

それが浅野温子の個性が妙に勝ってしまって
本来のニュアンスのようなものが隠れてしまった。
浅野温子自身の表現力はすごいものがあります
きれいだしね・・・
華があるし・・・
「抱きしめたい」や「101回目のプロポーズ」の乗りも感じられるし
「沙粧妙子」のぞくっとするような部分も垣間見せてくれて
なおかつ
生浅野のほうがずっと魅力があるのだから
たいしたものです。
なにか彼女を見ているだけで
結構幸せな気分になれる
天性の魅力ってああいうことをいうのでしょうね・・・
声も仕草も彼女が動くだけで舞台の中心は彼女に移ってしまう
ある意味稀代の女優だと思います。

でもね、B級タブロイド新聞の記者という設定に
彼女は目立ちすぎるのですよ。
色仕掛けの部分は確かに彼女の存在が説得力になっているのですが
それ以外の部分が彼女によって隠れてしまう
ひとつには場をわたし物語を繋ぐという意識が
彼女の中にあまりないのではないのかと思われます
自分を出す演技は突出してよいのですが
周りを守り立てる演技がほとんど感じられないのです

演出の鈴木勝秀も場の繋ぎ方などに工夫がみられるし
浅野和之の感情の流れをうまく拾っているのですが
でも彼の演ずる役のバックボーンが
今ひとつ伝わってこない
実は鈴木浩介の演技もすごく繊細な部分をもっているのに
やっぱり見えてこない

近所のスーパーで売っているロールパンに
三ツ星レストランのシェフが作ったものをはさんで
ロールパンの味を感じろって言われても
そういう場合おかずの味しかしないわけで
結局この芝居って浅野温子の部分しか
浮き上がってこなかったということなのではないでしょうか

双数姉妹のお芝居を見ていて
役者ひとり一人の技量もすばらしかったけれど
それだけの役者がしっかりと舞台上の力を
コントロールしていたから
前回作「トリアージ」は
あれだけの重さを観客に与えることが出来たわけで
それと反対側にいるのが「Dumb Show」なのかなって気もします

別に意外性があってもよいとおもうのですよ
JR赤羽駅のエキナカで一ヶ月間限定のお店をだしている
タカトラは列が絶えないほどの人気。
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パッケージは妙にリッチな派手さのある図柄だけれど
中身は創意に溢れた、でもどこか懐かしい味のする
まっとうなシュークリーム。
シューに塗られたチョコレートとカスタードクリームの
相性のよいこと・・・。
芝居って箱と中身の違いはあってもかまわないけれど
中のバランスが崩れてはいけないかと・・・

浅野温子さんの演技じたいは本当取り込まれるほど素敵だっただけに
芝居というものの難しさを痛感したことでした

R-Club


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