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あがた森魚のひと気合

別に見ようとおもっていたわけではないのですが
たまたまTVの画面上に
あがた森魚さんがでていらっしゃって
おなじみ「赤色エレジー」をうたっていらっしゃいました
むかーーし、聴いたときは異彩を放っていたという
印象しかありませんでしたが
いま聴くと魔術のような力をもった曲でちょっとびっくり
「昭和余年は春も宵
 桜吹雪けば蝶も舞う」
の一言で一気に世界に取り込まれてしまいました

なくなった父が言っていたのですが
戦前の昭和というのは、実はそんなに暗いばかりの
日々ではなかったそうです
もちろん金融恐慌やどうしようもない貧困があったりして
さらには戦争の色が日に日に濃くなっていく時代では
あったことには間違いないのですが
決して絶望の時代ではなかったそうです
もはや戦後ではないといわれた時代以降に
育った私には灰色のイメージしかないのですが・・・
少なくともこの歌には明暗の暗の部分だけでない
なにかがあるような気がします

いずれにしてもそんな時代だからこそ
エレジーというデフォルメされた悲劇を彩る
さまざまなものがすくっと立ち上がって
聴く者をとりこむような感じが出来たのだと思います
男一郎が挫折し
幸子の幸をみいだせないまま
それでも幸子とふたりで過ごす時間は甘美で・・
二人でだきあう慰安に溺れていく時間

大正時代を彷彿とさせるメロディのなかで
曲間に入るときのあがた森魚の気合は
まるで魔法の大風呂敷をひろげるように
テレビの前でほげっと曲を聴いている者の
頭に植え付けられた種を一気に一気に発芽させます
むかーし、あがた森魚はもっと一郎側への感情移入で
この曲を歌っていたような気がします
しかし、今日聞いた「赤色エレジー」において
あがた森魚は登場人物としての感情移入をするわけでもなく
わが身の不幸を嘆いていたり幸子の幸に思いをはせていたわけではなく
物語の弁士に徹していた印象があります
これはなかなか正解で
それゆえ観客はあがた森魚を通り越して
作り物の哀歌の世界に直接対峙できるようになりました
あの気合の次の瞬間にものがたりの陰と同様に
まるでランプ灯のように幻想にもにた光も見えてきたよう・・・
作り物の世界の枠がしっかり出来たから
最後の「お泪頂戴ありがとう」も生きていましたよね

すこし強めのフレーバーの効いたカクテルを
口に含んだようなこの感じ・・・

こういう表現って理屈を超えた芸の部類なのだろうし
芸といわれるだけのクオリティがあるものは
見ていて本当にときめくものなのだと
いまさらながらに気が付いたことでした


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