ぜいたく(それがくぐもった夕焼けでも)
久しぶりに、まだ外がすこし明るいうちに会社をでることが出来ました。
街が夕闇につつまれる一瞬、ビルの向こうにぼんやり燃える空の
なんて贅沢なこと・・・
晴れていたわけではないのでくっきりしていたわけではないのですが
それがまた情緒だったりして・・・
しかも、空の色はゆったりとしているけれど漫然と変わっていくわけではない
その一瞬ごとにしっかりと表情を忘れずに私と向き合ってくれます
昔ロンドンのテートギャラリーでこれでもかというほどターナーを見たとき
それぞれの絵のなkで光が雲に何かを言わせているなって思ったことがあります。
その一言に耳を傾けるように人はこの絵の前にたちどまるのだろうなって・・・
それは、朝焼けの空や、夕焼けのまさに呼吸ひとつ分の時間の言葉に思えて
大通りのビルを染める空の表情のメリハリにも思えて・・・
いつもより一時間早く会社を出ただけで
こんなぜいたくな気分になれるなんて・・・
Bob Fosseの自伝的映画「All That Jazz」のなかに
主人公は自分と寝たちょっと劣るダンサーに
ただこうするだけだと、動作をつけていくシーンがあります
こうして体を反って首をまげて・・・簡単なことだろって・・・
でもその簡単さが確実に行われないと
メリハリのある表現にならないのでしょうね
松たか子を「贋作罪と罰」で見たときに
彼女のひとつの仕草の完成度に舌を巻きましたが
彼女がすごいのはその完成度がなめらかに連続して
凛とした彼女のキャラクターを舞台に現出させていったこと
そこから派生する台詞はあまりにも瑞々しくて
なにか彼女をそこまで美しく見せるのか
しばらく考え込んだことがあります
瞬きひとつの時間に対する完成度なのかと・・・
ひとつの完成度を味わう、たとえばふっと窓から見る夕焼けの美しさ
でもそれを見続けながらゆっくりと家路につく時間はもっとぜいたく・・・
よいお芝居って観客席にむかってゆっくりとした夕焼けの言葉を
役者の仕草で伝えてくれるみたいなところがあるような
舞台にしても夕焼けにしても、
出会えるたびになんか、この時簡に生きていてよかったって
能天気に思ってしまうのです
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