« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »

ちょっとたのしみ Broadway

お芝居がちょっと途切れるので
雑談をいろいろ・・・

雑談というと・・・
壱組印をなんとなく思い出しますね・・・
「小林先生来る」というお芝居の中で
これは公演なんかじゃない、雑談ですという台詞がありまして
でもあれは含蓄にとんだお話で・・・
まあ、大谷亮介という人がほんとうに
自分の間で見事に劇場を手のひらに載せて見せた
お芝居でありました

雑談というのは枠をルーズに取ったお話とも言えるわけで・・
枠に縛られることによって見えるもののあれば
枠をはずすことによって見えてくるものもありますからねぇ・・・

壱組印についていえば
6月に公演があって見に行く予定です
西牟田恵さんをひさしぶりにみれるのがすごく楽しみで・・・
彼女のしなやかで強い演技というのは
かなり印象に残る・・・
第三舞台などの公演でも彼女は負けることは
ありませんでしたから・・・
しばらく観る機会はなかったのですが
それだけに楽しみもたくさんで・・・

閑話休題
来月の今頃はNYにいる予定です
前回行った時にはまだWTCがぎりぎりちゃんとあったから
5年ぶりということになります

このブログにはららぴーというブログペットが生息しているのですが
彼(彼女?)の背景にある風景は
今はなきWTCからみたマンハッタンです
(要は前回訪問時の記念写真ですね・・・)
いまはもう決して観ることが出来ない風景のまえで
想いをはせるウサギ・・・
ちょっと作りたいブログのイメージと似ているのですが
うーーーん、表現というのは難しいもので
人の作った芝居のあれこれは好きなようにいえるのに
自分の想いを表現するとなんか違う・・・
自分の想いをすべて表現できるなどということは
幻想なのかもしれませんが・・・

なにはともあれ、NYに行ったら
やっぱりMusicalをたくさん見たい!!
ストレートプレイにも魅力を感じるのですが
正直TOEIC700点台の実力では語学力の面から見てしんどいですからねぇ・・・
昔ロバート・デ・ニーロの芝居を見たことがあるけれど
はっきり言って半分もわからなかった
その点、ミュージカルなら、見たり聞いたりしているだけでも楽しい
前にも書いたけれど、Sweet Charity、Producersあたりは
はずせないところ・・・
チキチキバンバンもちょっと魅力的ですね
子供向けという話もありますが
子供向けにこんなすごいことをやるのかという部分があるのも
ブロードウェイミュージカルのブロードウェイミュージカルたるところでありまして・・・

本物の力ってあるとおもうのですよ
たとえば、メトロポリタン美術館などに行くと
小学生が本物のルノワールやドガの前で
授業をうけていたりする・・・

教科書のちょっと色がくすんだゴッホなんぞ
見たって取り立てて感動はないのでしょうが
生ゴッホには対峙するだけで
十分人を取り込むような力がありますものね
見たい人は見てというのではなく
絵の前に立つ人間をひっぱたいて取り込むような力がある

小さいときにそういうものを観ることができるってことは
とても幸せなことだと思うのです
人間の資質が底辺と高さでできているとすれば
その底辺をしっかりと作らせえる力を本物はもっていると
思います

ミュージカルもブロードウェイクラスのものを見ることができるのは
子供にとってもすごく幸せなことだと思います
すくなくともその子が感じる楽しさを入れる袋が何倍にも
広がるような気がする・・・
大きな袋を持っている人間は大きなものをながめることが
できますからねぇ

まあ、なにはともあれ、
よいものを見ることができるわくわく感って
人を幸せにします
ちょっとたのしみ Broadway

R-Club


| | コメント (0) | トラックバック (0)

un_titled あるいはガラス箱の中の砂糖菓子

脂が乗っているというのでしょうか
年齢的に力と技のバランスが一番よい頃なのでしょうか
bird’s eye viewの舞台に立つ役者たちには
本当に魅せられます

R-Clubにも書いたのですが
櫻井智也や松下好、小手伸也あたりになると
彼らの芝居を見ただけで元が取れたような気になってしまう
しかも彼らだけではなく
他の役者たちにも切れがたっぷり溢れて・・・
切れが溢れてっていうのも変な言い方なのですが
たとえばブロードウェイのミュージカルのダンサーたちって
すごいことを何気にやって平気な顔をしているじゃないですか・・・
あれと同じで、一定のルールのなかで最大限ゆとりのある表現を
さりげなくやってみせてくれる

登場人物間の一定のロジックで構築された空間は
そのロジックを理解する鍵さえ観客に持たせれば
非常に強い表現の武器に成るわけで・・・
その鍵の渡し方に彼ら独特の洗練があって・
そもそも
この劇団から染み出すソリッドでお洒落な感覚の根源は
ロジックの鍵の渡し方だとわたしはにらんでいるのですが
そこを役者達の力がしっかりとささえているのです

そして、いくつものロジックのかたまりを包括する箱が
さらにその外にあって物語にしっかした角度をつけている
箱のフレームはアウトラインはいくつものジェスチアの繰り返しで
描かれます
最初・真ん中・最後・・・
それは、たとえば生活・・・
家に帰ってテレビをつけて窓をあけて・・・
綿々たくさんの同様の時間が続く空間
そして提示されたフレームの内側で
様々な関係性のテイストが表現されていきます
ロジックにぶら下がった物語を味わいながら
次第にその不可思議なコンテンツ達にとりこまれ
気が付けばそれらのコンテンツのパッケージに書かれた
作者の表現しようとしているコアが浮かんで見えているという
仕組みというか趣向
ひとつ間違えば自己満足とか独りよがりの表現に陥るところを
寸止めでさっと引き上げて見せる巧みさには舌を巻くばかり・・・

あれだけのものを
アゴラ劇場のような100人前後のキャパのところでみるのは
本当に贅沢というか、もったいないというか・・・
間違いなくなにかが満ちた感覚のある時間で・・・
なにかには心地よい冷感と暖かさが絶妙なバランスで
混在している
ガラス細工のような透明感と存在感が
ふっとさびしさと充足感にすりかわって
このテイストの豊穣さなにかと思い描いているうちに
再び役者のよさにたどり着いてしまうのです
22日までの公演だそうですが
チケットがとれるのなら
是非是非お勧めということで・・・

いろんな意味でおもしろかった


| | コメント (0) | トラックバック (0)

砂の上の植物群 (Kera Map)

R-Clubにも劇評を書いたので
多少重複する部分もあるかもしれませんが
Kera Mapの「砂の上の植物群」はいろんな意味で
考えさせられるお芝居でした

一番衝撃的だったのは
全てが終わったあとで残されたものたちに広がる
どうしようもない慰安・・・・
常盤貴子のすこし乾いた演技にとりこまれたのかもしれないし
筒井道隆の実在感のある妄想に
うまく包みこまれてしまったのかもしれない

最後のシーンにいたるまでの積み重ねが
しっかり生きていたからこそ
観客はその慰安にたどり着けたのかもしれない・・・

いずれにしてもケラが最後に客席をとりこむ慰安に
今回もひたりこんでしまいました

しかし、常盤さんはよい女優ですね・・・
まだ、舞台に慣れていないのか
前半は演技に堅さを感じましたが
休憩が終わってからの彼女は
舞台の風景にしっかりと溶け込んで
じっと雌伏をつづけ
最後にすっと劇場全体を持っていってしまった・・・

もちろん、猫背椿とか渡辺いっけい、さらには池谷のぶえなどの
手練の役者達の間だから彼女が生きた部分も多いのでしょうが・・・

一方常盤によって生きたのが
筒井道隆氏だったような気がします
彼の演技ってひとりでは何も生きないのに
周りがあると急に鮮やかに見える
白いホリゾントでは生きないのに
周りがどす赤黒く彩られると
そのなかで輝きを放つのです

そういえば王様のレストランの時から
彼のキャラクターってそうでしたよね・・・

作品自体も長さにもまして考えさせられることが多かったですが
役者の使われ方についても
なにか隠し味をひとつ発見したような作品でありました

当日、三谷幸喜さんがお見えになっていらっしゃいましたが
(休息時間になにげにロビーをあるいていらっしゃって
周りが唖然としていた)
彼はこの作品をどのようにご覧になったのでしょうか・・・
ちょっと聞いてみたいような気がします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Shuffle 丁寧であること

すくなくとも知り合いの間で
私は結構芝居を見るほうなので、
時々友人からお勧めのお芝居をという話をいただきます
そのたびに、
「お勧めするのはかまわないのだけれど
お芝居は生身の人間がすることなので
過去の実績でおすすめはするけれど
前回よかったから今回よいとは限らないよ」
と前置きをしてからチケットが取れてなおかつお勧め出来る芝居を
紹介するのですが、
最近一番よく紹介するのは
「後藤ひろひと 作・演出」
のお芝居です
まあ、双数姉妹なんかもコンスタントによいお芝居を打ち続けているのですが
こちらは芝居をある程度見慣れていないと
なかなか理解できない部分があるみたいで
その点後藤ひろひと作品は
誰が見てもわかりやすいのであまり劇場に足を運ばない方でも
比較的安心してお勧めができる・・・
最近は彼の作品が関東でもかなり有名になってきて
チケットが取りにくくなっているのがちょっと残念
三谷幸喜作品や野田秀樹作品に比べると
まだなんとかなるような感覚はありますが・・・

今回の「Shuffle(パルコプロデュース)にしても
本当にお客様の興味をそらさないというか
きちんと中央に筋がとおっていて
そこにすがっていればあちらからどんどん笑いがやってくるというか・・・
しかもエンターティメントの目玉みたいなものがきちんとあって
きちんと観客を満たしてくれるなにかがある・・・
有名な役者が客演していても
これまでの既成概念を無視するわけでもなく
一方でこれまでの既成概念にこびるわけではない
よいとこ取りみないなことを後藤さんはするわけです
「Shuffle」の場合だと奥菜恵さんあたりの使い方が
その最たるものですよね・・・
彼女の体の小ささと彼女が本来持つ強さのようなものを
しっかり見抜いて独創的なキャラクターを作り
いっぽうで彼女の美しさもしっかり利用したりする
ずっこいけれど納得みたいな部分があるわけです。
そしてこの、納得みたいな部分が
演劇に親しみの少ない方に対しても説得力を持つので
ついつい演劇鑑賞仲間以外にもお勧めしたくなってしまう

裏を見れば、何気なくながれていくお芝居にも
実は非常に精緻な仕組みや企てがあるのでしょうが
まるで白鳥が泳いでいるように(水面下では足をばたばたさせながら
でも見栄えは優雅に・・・)流れる物語
しかも流れるだけではなくちゃんとわくわくさせるようなお芝居を作る
そこに後藤の才能の飛びぬけ具合を感じたりするわけです

ちょっと物知り顔でいえば(後藤演劇は)
丁寧な表現の連続が観客に対してきちんとした理解を与えている
ということなのでしょうね
そのやり方が実に巧みで丁寧さをちょっと見で観客に感じさせないところが
後藤演出のすごさでもあったりします
ネタばれになりますが「ヌートリア」のギャグのシーンで
実はどれだけの観客が芝居の理解を助けられたことか・・・
R-Clubにも書きましたが
観客の理解をしっかりとっていくことで
舞台上の視点がいくつにも別れひとつ間違えば空中分解しかねない芝居が
まるで魔法のようにきれいな物語にまとめられてくのです

先月見たポツドールも丁寧さで観客を掴んでいくという意味では
同じやり口なのですがホツドールの方は
後藤よりもっと実直で生真面目に舞台上に物語を
あらわしていましたね・・・
シーンとかシチュエーションの単位での操作はするけれど
ひとつのシチュエーションの中では
生真面目にあるがままの作品を組み立てていく・・・
後藤は結果として理解を得るために
方法へのこだわりがない・・・
間逆な部分もあるのですが
結果として舞台上には観客がぐっとひきつけられるなにかが
存在している・・・

よいお芝居というのは結局丁寧に作られているのだと思います

でも、舞台上での丁寧さというのは
書くのは簡単だけれど作り手にとってはとても難しいことなのかもしれません
たとえ意識があり丁寧さに気を配った作品であっても観客にとって
丁寧であるとは限らない場合って結構あるような気もします
それは観るものの視点に立って丁寧であることが出来るかとういうような
問いかけがなされているかという話なのかもしれませんが
よいお芝居を作る才能っていうのは
案外どの視点で自らの作品を見ることができるかということなのかもしれません

まただらだら書いてしまいましたが・・
いずれにしても「Shuffle」、お勧めです
料金にあっているかどうかは観る方の価値観ですが
すくなくとも何かがふっと満たされた感じになる
ハードボイルドではあります


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年4月 | トップページ | 2005年6月 »