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デモを見て東京壱組「箱の中身」を思い出す

今からもう10年以上も前になるのですが
東京壱組の「箱の中身」というお芝居を見たことがあります。
当時の私は、大谷亮介や原田宗典の名前も知らず
それでも東京壱組の芝居のあまりの面白さに
2時間ちょっとの時間、まるで魔法にかかったように舞台に見入ったことを思い出しました。
その構造の巧みさ、物語の裏と表の行き違い・・・
ディテールは思い出せないのですが、
ニュースの画像を見ていて
その衝撃はしっかりと心に戻りました
なぜかって?
それは中国や韓国のデモを見たから・・・

なんというか、裏と表があって
お互い同じものをみているのに交わることはない
それは互いに間違っていない話なのだけれど
デモ隊の日本人に向けたシュプレキコールを見ていると
そのままでは絶対にかみ合わない話というため息がこぼれます

日本人は歴史認識を正せと中国の人は叫びながらデモをします
ただ、日本人は侵略したから悪いのだと謝罪を要求します
それはある意味正しいのだろうけれど
日本が見ているのは残念ながらそのような日本ばかりが悪者になる
勧善懲悪的なお話ではありません

思うのですが・・・・、たとえば
イギリスはアヘン戦争の罪を謝罪したのでしょうか?
ドイツは第一次大戦までチンタオを占領していたことを
中国に謝り続けているのでしょうか?
日本人もひどいことをしましたがイギリスのしたことだって
褒められたものではありません
しかも、日本人から見ると
第二次世界大戦までの中国への侵略といわれる行為は
ヨーロッパ列強が作った時代の必然に翻弄された結果でもあります
なのに中国人は日本だけを責めているようにも見えます
私が物を知らないだけかもしれませんが・・・

もちろん、第二次世界大戦の日本の行為が正しいことだとは
まったく思いません
日本人が中国の人々を虐待したりさげすむ心で見ていた時代が
あったのは間違いのない事実だと思いますし
日本人は2度とそのようなことをしないように
反省し自らを律し続けるべきだとは思います
だからといって中国人のデモ隊が叫ぶように
日本の歴史認識が間違っているというのは
非常に近視眼的な見方だと思います

世界の中で日本がなぜ中国に対して侵略を始めたのか・・・
なぜそのような過ちを犯すにいたったのか・・・
そのことを、日本を糾弾する中国の人たちはどう考えているのでしょうか
中国の人々にとってそのことを日本人とともに考えることは
日本人の反省を導き出すのには大きな意味がある作業だと思います
日本の当時の立場を中立な立場で考えて
それでも日本人の史観がおかしいということであれば
日本人は真摯に耳を傾けるべきだと思うのですが
自分の史観に固まりきって、ひたすら他の国を罵倒しようとしているデモ隊に
自分達と史観が異なるからと物を投げられても
日本人にとっては
「私達はこんなに物を知らないうえにおろかなで頭が固いんですよ!!」と
叫んでいるようにしか見えない
ましてや他国の領事館に物をなげ、破壊する行為
言い換えれば、最低の礼節すら知らずに土足で他人の家に足を踏み入れるような
ことを平気でやる無礼で品のない輩達の主張なんて
世界中どこの人間もまともには聞かないわけで・・・

まあ、「愛国無罪」などという
旧大日本帝国が自らを誤ったときの愛国思想と同じロジックの台詞を口にして
行進する人々には
昔、日本が中国に対して行った取り返しのつかないような愚挙が
軍国主義者たちには聖戦と言い換えられたのと同じ方程式が働いていて
亡国の愚とも思える投石こそが
国を愛する気持ちとして賛美されるべきことに思えるのかもしれませんが・・・
まるで「箱の中身」の前半と後半のような話がそこに現出するわけです

でもねえ・・・、自分の国を愛したりする気持ちが噴出すように外側に出たとき
その国っていうのは決して幸せになれない気がする・・・
本当に幸せな国の国民は、他の国に対しても寛大であり
お互いに幸せになるための言葉を捜すものなのですよ・・・ふつう
国を愛していることを理由に誰かを攻撃しなければいけない国民って
その国民自体の幸が薄いとしか思えないのですけれどねぇ・・・

もちろんデモの群集を狂気とみなすのであれば
齋藤憐さんと自由劇場の名作、
上海バンスキングにも取り上げられていたような
日本人が日本人の意思を超えて陥った狂気を
日本人自身が忘れてはならないのもまた事実・・・
箱の中身は諸刃の剣であることをたがいに認識した上で
双方がいがみ合うのではなく
とことんまでお互いの立場を思いながら話ができるほどに
大人になれたらよいのですが・・・

たとえばお互いが反対がわの観客となって
お互いが演じる芝居を眺めることができたなら
二つの国をまたがる素敵な舞台がきっと現出するはず

芝居好きの人間は貪欲ですから
そんなことをふと夢見たりするわけです

高飛車な物言いや乱文についてはご容赦を・・
来週はポツドールですので
もっと素敵なお話ができると思うのですが・・・

つつましい日曜日の夕刻に
音を小さくしたテレビから流れるデモのシーンをぼんやり見つめるとき
たまには、そんなふうに二つの国について考える
時間があってもよいかと思うのです

R-Club


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家は壁と屋根だけにあらず(脇を固める力量)

双数姉妹の「ラバトリアル」を見て
今林/野口といったチラシにも写真が掲載されている方の
演技力には舌をまきましたが
この劇団を見に行くとそれだけでなく
全体としての底力のようなものにも
本当に舌をぐるぐる巻くことになります
役者を本当に育てますものね・・・、この劇団。
吉田さんの芝居が回を追うごとによくなっていくのが見えますから。
帯金さんも、もし継続して双数姉妹に客演することになれば
さぞやよい女優になっていくのだろうなと思います。

ただ、新しい役者がよくなっていくだけではないのですよ、この劇団は・・・
ベテラン達の仕事振りにも、そりゃ捨てがたい魅力があります。
しかも、ベテランも間違いなく進化している。
10が20になるのと40が50になるのでは
変化の比率が違うので、目立たないけれど
良い役者というのは歩みを止めないのだと思います
今回の双数姉妹公演でみれば、大倉マヤさんあたりの役回り・・・
決して大きな役ではないし、すごく目立つという話でもないのですが
でも、小さい一言や態度、さらに表情がしっかりと舞台の雰囲気を
キープしている
声を張るタイプの役者さんではないのですが、
相手役の演技をしっかり受け止めて
しかも返す力をコントロールしている・・・
だから、彼女が舞台に存在していると
全体の雰囲気に立体感がでるというかピントがしっかりするような気が
するのです
こういう役者さんがごろごrいる劇団は、そりゃ強いと思います

直近で見たお芝居ということで
キャンディーズ(G2プロデュース)でいくと
新谷真弓さんあたりがしっかりと舞台の一角をつくっていましたね
役柄上は狂言回しの助手みたいな感じなのですが
なんていうか舞台に血を通わせていたというか・・・
彼女をナイロン100℃で最初に見たときには
カクカクした動きをする役者さんだったという印象があるのですが
今の彼女を見ると当時と同一人物とはとても思えない・・・
軽さを支えることは昔からうまかったのですが
Keramapの「暗い冒険」に出た頃から
重さをしっかり支えられる女優さんになっていました。
今回の舞台の彼女は本当にゆとりがあって・・・、
そのゆとりが本多劇場の間口をぎりぎりまで利用した舞台全体に
ある種のぬくもりのようなものを与えていたと思います

芝居を見にいくと、「ラバトリアル」ならば今林さんとか野口さんの芝居、
「キャンディーズ」だと久保酎吉さんや山西惇さん、長谷川朝晴さんあたりに目が行き
須藤理彩さんの好演が次に来て・・・
しばらくすると大倉さんや新谷さんの芝居がじわっと効いていることに気が付く

芝居の記憶というのは
もちろん見た後どんどんあいまいになっていくのですが
その中で時間に耐えて記憶に残る芝居というのは
屋根や外壁の強さだけではなく
隠れた柱までのクオリティが問われるのだと思います

まあ、先週末のお芝居は
そのクオリディまでが十分満たされた内容だったので
たっぷり満足したのですが
それ以上の何かがまるで肉汁のように溢れてくる芝居で・・・

柱として壁をささえる役者の力ってやはり大切なのだと思います

R-Club

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