« たまには冬眠 | トップページ | わくわく、突然どきどき・・・(双数姉妹優先予約) »

De-Lovely(ビターなリッチさ)

落語の枕のようなお話で恐縮なのですが・・・
昨日仕事を終えて埼京線に乗っていたら
赤羽駅をすぎて北赤羽駅に着く直前、トンネルを越えたところで
突然光の柱が見えたのですよ・・・
きれいな色でね・・・透明感のある炎
黄色にちょっとだけ緑が混ざっていて・・・
火柱に向かっていくつものきらきら光る放物線上の何かがかかって・・
3連休を前に何かのイベントかと思ったほど・・・
で、家に帰って自分が見たものが温泉掘削現場の火事だと知って
びっくりしました。
テレビのトップニュースで流れる映像は
騒然とした火事現場でイベントとは似つかないもの
放物線上に光るものは消防車からの放水だったのですね。

でも、電車の窓から見た光景は
テレビで映される事故とはまったく異なっていて・・・
事実はそこにあって見るものが同じでも
どこからどんな風にみるかで物事はこのように
異なって見えるものかと変に感心してしまいました。

で、落語だとここで羽織を脱いで本編に入るのですが・・・
「De-Lovely」という映画を見ました。
Cole Porterと奥さんのLindaの半生を描いた映画です。
彼の音楽はAccuradioでもひとつのチャンネルが作られているほど
アメリカではポピュラーみたいで、
「True Love」とか「Anything Goes」なんていうのは
日本でも聴けばだれでも「ああ・・・」とおもう曲ですよね
ビギン・ザ・ビギンなんかも有名です
実際のことは知らないですけれど、もし最近の音楽の教科書に
彼の曲がのっていても不思議はないかも・・・

彼の音楽を聴くと無理がないというか
才能がゆったりと溢れ出してくる感じが心地よくて
Accuradioに前述のチャンネルが出来たとき
毎晩はまるように聞いていた時期がありました。
遊びがあるのだけれど
どこか生真面目で洗練されていて透明感があって
しかも聞き手に無理や窮屈な感じをあたえない
作者自身が紡ぐ音のながれにはゆったりとしたというか
天に与えられたゆとりみたいなものが
あって・・・・
でも、同時にしっかりとしたパッションも感じることができる・・・
聴けば聴くほどはまっていくような感じがして
とりこになるような部分が彼の曲にはあるのです。

映画に描かれた彼も才能には満ち溢れています。
おまけにお金持ちで・・・
それにバイセクシャルで・・・(知らなかったけど)
奥さんのLindaもやはりお金持ちで
才能を見抜くしっかりとした力を持った女性として描かれます
でも、外からはきらびやかなイベントにさえ見えるような火柱が
直近で見ると立派な火事だったりするように
きらびやかな歌の背景が彼の回顧とともに浮かび上がっていく
いくつの修羅場がやっぱりあったりするわけです

表現方法はけっこうステレオタイプなのですよ・・・
ミュージカルの作曲家という意味で
自分の人生を舞台上で回顧する(させる)やり方は
それほど新しいものとは思えない
ただ、この映画の中のCole Porterを描く視線、
もしくはCole Porter自身の想いには
(本人の人生が舞台上で演じられているという設定には
 主観的な視点と客観的な視点を無理なく混在させることが
 できるというメリットがある)
実直さというかがんこにも思える誠実さがあって
その誠実さを観客に伝えるという作業は
こういう奇をてらわない表現だからこそ
なしえたように思うのです。
特にLindaとの関係の中で彼が最終的にたどり着く境地までの
道程は、この映画のような設定でないとあらわしえないだろうと
思われる部分が何箇所かあって・・・
普通に洗練された場面の積み重ねも一見陳腐にさえ思えるけれど
実はとても工夫された物語なのだと思います

自転車キンクリートが荻野久作(荻野式の避妊法を発見)の半生を描いた
「法王庁の避妊法」を見たとき
飯島早苗さんの描き方が非常に生真面目な印象があって
でもその積み重ねがなければ描けないなにかが確実に存在するのを
感じていた記憶があります
で、書ききった飯島さんや舞台に具現化し続けた演出の鈴木さんの
執念のようなものに感嘆した覚えがあるのですが・・・
やはり人の半生を描くには、それなりの正攻法があるのかもしれません。
人の生き様とか、夫婦の関係などを描くとき
もちろんその断片を切り取るというような表現方法もあるのでしょうが
一方で積み重ねていかなければ表現できないものが確実にあって
そういう類のものが具現化しないと成り立たないはなしなら
作者や演出家、さらに物語を演ずるものは
ひたすら丁寧な表現をしていくしかないという
ことなのかもしれません。

DeーLovelyは音楽もものすごくて
エルビス・コステロやナタリーコールの歌には本当に味があって・・・
サウンドトラックのCDは超お買い得だったりするのですが
だからといって映画自身が音楽を前面に押し出すわけでもなく
見方によってはとても贅沢な使い方をしています
まあ、安い料理はキャビアを前面に押し出したようなレシピなのに対して
贅沢な料理はキャビアを隠し味に使うようなものでしょうか・・・
でもこの隠し味は、映画の長さ(といっても2時間ちょっとですが)の感覚も
すらも美味に変えてくれました。
音楽によって観客はCole Porterの人生を見続けることへの
忍耐を忘れることができたように思えます。
聴いているだけでも幸せになるような名曲の数々ですから
一曲でも一フレーズでも多く聴きたいと思うわけで
正直Cole Porterの長生きを祈りましたから・・・
作る方がそう意図したかどうかはわかりませんんが
結果として観客はある種のリズム感と音楽に浸る快楽のなかで
Cole Porterの人生の重みを受け止めることができた・・
このあたりは映画だからできる贅沢な手法ですよね・・

多分この映画って多分また何年かしたらきっと見たくなるような気がします。
演劇はもう一度同じ舞台をみることは不可能だし
同じ演目をみることすら
相当の僥倖にめぐまれないかぎりかなわないことですが
映画だったら・・・きっとDVDが出ているでしょうし・・・
その辺は映像表現の優れたところですよね

まあ、良い演劇を見た後のように
良い映画を見た後にも満たされた想いが次第に満ちてくることを
再確認させていただきました
べたついた甘さのないビターなリッチさに
有楽町の寒風もここちよい感じの帰路でした

R-Club


|

« たまには冬眠 | トップページ | わくわく、突然どきどき・・・(双数姉妹優先予約) »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: De-Lovely(ビターなリッチさ):

« たまには冬眠 | トップページ | わくわく、突然どきどき・・・(双数姉妹優先予約) »