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三谷演劇VS後藤演劇 どっちもよいけどちょっと比較

皆様あけましておめでとうございます。

今年もR-Club Annexをよろしくお願いいたします。
季節が急に冬のまっさかりで
どか雪が降ったりもしましたが皆様いかがお過ごしでしょうか・・・

さて、私はといえば年末に2本の芝居をみました。
ひとつはPiperの「スプーキーハウス」、
もうひとつは三谷幸喜作・演出&戸田恵子主演「なにわバタフライ」です。
満足という意味では両方とも大満足の作品でした。
すくなくとも芝居の途中で時計をみるようなことは一度もなかったし
引き込まれる部分も多く、後藤ひろひと・三谷幸喜という
当代喜劇作家たちの実力を十分に堪能しました

後藤ひろひとの今回作品はある意味きわめて
オーソドックスだと思うのですよ。
舞台設定もそれほど複雑ではないし、
出演者のキャラクターもきちんと説明されている。
それだけに、役者の芸が問われるというか、
枠の中でどれだけ役者が個性を出せるかが
おもしろさにつながるみたいな作品でした
後藤ひろひとは、恥も外聞もなく役者のキャパを
引き出していきます。
篠原ともえには篠原らしい演技をさせ、
楠見薫には楠見薫らしい演技をさせる・・・
石丸謙二郎と竹下宏太郎にはしっかりと躍らせて客を楽しませる・・・
山内圭哉なんて、まあ、自分のホームグラウンド
ストーリーに多少無理があってもそこをつなぎ合わせるのも
後藤のうまさで
ご都合主義といわれても、
それぞれの個性をくるっと丸め込んでしっかりと
巻き寿司のようにして観客にさしだす・・・
それぞれの役者が得意分野を精一杯演じられることで
観客が120%楽しませるように
できるかぎりのものを詰め込んで・・・
アンコールでのPiper4人+ギター1本での一曲、
あのやり方なんかもエンターティメントとはなにかを知り尽くしている
Piperの隠れたヒットですよね・・・
あの一曲で観客は劇場へ足を運んだことへの充実感を倍にして
帰宅できましたものね・・・

三谷幸喜の今回作品は後藤ひろひととベクトルが違っていて、
最初に明確なモチーフがあり
役者にとことん彼の持つ作品のイメージどおりの
演技をさせているように思える
ある程度のあて振りをして書いてはいるのでしょうけれど
演出の中核にあるのは三谷幸喜の持つ物語上の
登場人物のイメージをどれだけ役者に演じさせるのかという
ことなのではと思います。
まあ、芝居を作るときに役者を選ぶというのは
当たり前のことなのかもしれませんが
特に彼の作る舞台には、役者に重石をのせるというか
これを演じられる役者はこの人みたいなこだわりが強くあって
それが観客にも伝わってくる。良し悪しは別にして
その分外れはないのですが、一方で物語をさらに膨らませるときに
三谷自身の創意工夫が強く要求される部分も
あるのではと思います。

最近の三谷幸喜が作る舞台に
後藤ひろひとの作る舞台よりはるかにきめ細かな印象があるのは、
均一なトーンというかクオリティがひとつの作品を
通して強く維持されていることによるのだと思うのですが、
一方で、後藤ひろひとの作る作品にあるようなふれというか
遊び心にいまいち欠けていて、
さらに遊び心にもちょっと既製品っぽい匂いがするのもまた事実。
うまいと面白いは似ていてすこしちがう・・・

きめが細かくてなおかつそういう遊び心一杯の作品なんて
めったにあるものではないのですが、
後藤ひろひとの作品に見られるような、
ちょっとはみ出したような面白さが
最近の三谷作品にはあまり感じられなくなって残念な気もします。

起承転結という物語の大原則塗り絵の線のようなもので、
そこがちゃんとかけていない塗り絵だと見せられた方もよくわからない・・
その点、三谷芝居も後藤芝居も名人の声がかかるくらい
きちんと線がかけているとは思うのですよ。
問題は塗り方で・・・。
先生にほめられるように几帳面に塗っているのは間違いなく三谷君の作品であり
その緻密さにはみんな唸るのですが、
一方で後藤君の作品にはラフなのにどこか愛嬌があって
もしかするときちんと塗られたもの以上に目を奪われる。
もちろん、どちらの作品が良いといっているわけではなく、
それぞれに個性があるなということなのですが・・・。
昔、落語の世界での志ん生と正蔵の芸風の話を読んだことがありますが
その話と似ているところがあるかもしれません

そうそう三谷幸喜の一人芝居については、もうひとつ、
野田秀樹が大竹しのぶのために書いた「売り言葉」との比較でも
見てしまいました。
一人芝居ということで同じような手法があちこちにあるのですが、
見終わったときの印象がまったく違う。
一番大きな違いは、
大竹しのぶの演技が大竹しのぶ自身の演じるものを
どんどん深く描いていくのに対して、
戸田恵子の演技から浮かんでくるのは
主人公自身よりも主人公にかかわった男達の姿・・・
もちろん演じる対象の違いなどもあるのでしょうが、
大竹しのぶの演技が自分の内側を切り裂いていくような
鋭さに満ちているのに対して
戸田恵子は周りとの係わり合いを丹念にたどっていくような
柔らかさを感じます。
この辺も作者の作風ということなのかもしれませんが・・・。
このような違いを楽しむのも劇場に足を運ぶ醍醐味のひとつであり
いろんな意味で芝居というのは見られるときに見ておくべきだと
思ったことでした

新年早々すこしだらだら文になってしまいました。

最後に改めまして
本年もR-Club Annexをよろしくお願いいたします

R-Club(本館への是非ご訪問下さい))

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