消失(まっすぐなお芝居)
Nylon100℃の「消失」を見てきました。
昔ながらの椅子で、腰やお尻に優しくない紀伊ノ国屋ホールで
2時間45分休息なしという見るほうにとっても過激な部類の芝居でしたが
(開演前に上演時間のアナウンスがあり
事前にトイレへ行っておくようにとのお勧めがあり
そのあとにさらに上演時間とがんばりましょうとの
励ましアナウンスがあって笑ったが
あとから振り返ってみるとジョークでもなんでもなかった)
観客としてがんばることが苦痛にならない芝居でした
今回のナイロンのお芝居では役者にもなんというか
しっかりとチャレンジするような部分があって
観客は本当に舞台から目が離せませんでした
物語自体に最初から過激な部分があるわけではなく
むしろ淡々とした物語が実に丁寧に描かれていきます
しかし、役者の発する感情のようなものが
舞台からふつふつと伝わってきて・・・・
いつもは身体をくねって一番重いところから逃げるような感じになるのに
そのパターンが影をひそめ物語を、真摯に、そして丹念に作っていく大倉孝二
枠を意識しながら想いを精一杯拡散させるような演技で
舞台のトーンをしっかりと築くみのすけ
舞台のバランスを崩すことなく
しかも舞台の空気を動かし続ける三宅弘城
自らを律するようなアティチュードのなかに
しっかりと想いをこめる犬山イヌコ
器用さを捨てて、自らの色を変えることで表現をするのでなく
自らの地色のなかで物語を彩るような松永玲子
前半の抑えた演技からですら
それぞれの登場人物が持つ筋のようなものがしっかり伝わってきて
観客を取り込んでいきます
それはケラ色に染まった舞台であり、
ナイロンを知っている観客にしてみれば
慣れたシーンの連続であるはずなのですが・・・
実際にはいつもとは勝手が違い
密度の高さのようなものに押されて
観客は知らないうちにみじろぎも出来ない状態に陥り
暗転というかつなぎの部分でやっと一息つくほどに追い込まれる始末
とはいってもいつものナイロンの舞台なら
その状態である種のケラの感覚に満ちた啓示があるか
カタストロフが導き出されてというパターンを
手馴れた役者達が演じ切り
観客はその感覚をお持ち帰りする
という形になるのでしょうが・・・
今回、ケラさんはここで八嶋智人を投入するという冒険をします
舞台のなかでの八嶋さんの存在については
解釈は何通りか成り立つような気がして・・・
もちろんケラさんの意図や心中を図るすべなどないのですが
これまでのケラさんの作劇のパターンを微妙に崩すやり方ではありました
八嶋さんが作り出すトーンというか流れは
あきらかにナイロンのメンバーが作る世界と異質であり
しかも異質としてきちんと舞台上に溶け込むことができる・・・
そして、ここからはある種の賭けだったのかもしれませんが
結果としてそこから生まれたことがケラさんの意図どおりに伝われば
ナイロン100℃としてこれまでの発展系のような舞台が
いままでよりさらにしたたかに成り立つ・・・
暗転後に八嶋さんが舞台に現れ演技を始めたとき、
ふっとケラさんが自らの世界に小さな風穴をあけた
瞬間であったようにも感じたことでした
その風穴からの空気の流れにのって
ケラさんは舞台上で昔のパターンにあまりないやり方をします
カタストロフが訪れシステムが崩壊した後に
カタストロフが起こる前の時代を維持する役割にあった八嶋さんに対して
それを責める松永さんの台詞に
八嶋さんがすなおにあやまるというシチュエーションを作り・・・
松永さんをしてその「詫び」を受容させるのです
この詫びの部分が八嶋さんだと実にしっくり納まって
八嶋さんの流暢な芝居に導かれるように
松永さんが台詞を発する
戯曲にとって一番最後の台詞なのですが
松永さんの地色の演技がそこで生きます
まさに松永さんが本来持つしたたかな強さがあったからこその
軽さと含蓄の深さ・・・・
筆舌に尽くしがたいものがあります
あとはエンドロールのあとに
時代に捨て去られたものの残影と生き残ったものが
提示されて幕・・・
最後のワンカットも印象が非常に強く
観客は言葉を失ってしまうほど・・・
これらラスト数シーンのドミノのような流れが
実にしなやかで鋭い・・・
R-Club本館にも書きましたが
流れを作った八嶋さんにも
最後の台詞を松永さんに背負わせたケラさんにも
もちろん背負った松永さんにも
ある種のものすごさを感じたことでした
たとえばアニメのエヴァンゲリオンにおいて
物理的な物語と思春期の男性にある心の動きを
シンクロさせて表現するような手法で
今回の舞台でケラさんは自分自身についてのカムアウトを
果たしたということなのかもしれません
あるいは今回の舞台を通して
自分が必然として捨てたものや消去したものに
ケラさんは思いをはせたのかもしれません
でも、ケラさんが倒したドミノの駒は
ドミノの先にいる観客の
ケラさんが提示した枠では納まらないような想いを
軒並みなぎ倒したような・・・
いずれにしても
たくさんの創意工夫と百戦錬磨の役者達の手練手管がありながら
一方でケラさんの想いが強くこもったお芝居だったと思います
それがケラさんの新しいチャレンジにより
今までよりはるかにまっすぐ観客に伝わって・・・
しかもまっすぐであることのパワーは
伝わるだけではおさまらず、もっと深い部分での思いを観客にあたえた・・
結論としてこの芝居は大きな成功を得たとおもうのですが・・・
ケラさんにとってはいかがだったのでしょうかね・・・
少なくとも
多分、あとで語り草になるようなお芝居であることは
間違いないと思うのですが・・
R-Club(本館もよろしければご覧下さい)
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