銀のチケットに手書きの席番(ある贅沢)
bird's-eye viewから予約をしていたチケットがきました。
Nuという芝居を見に行きます。
きれいなチケットでね・・・
しかもシールになっている・・・
スタイリッシュなチケットはそれだけで
ひとをわくわくとさせてくれます
まあ、原券といわれるこういうチケットって
作るのにも労力が必要なのでしょうけれどね・・・
席の番号もひとつづつ書かなければいけないし・・・
シアターサンモールの全部のチケットについて
(しかも全部の公演について)
日にちや座席を書くって言うのもけっこう大変だと思います
芝居というのは、もちろん舞台の上での出来事をみるのが
本筋なのですが
それだけではないなにかがあるのもまた事実
昔、山の手事情社は劇場の外にまで独特の空間を作って
お客様を招きいれていたのですが
それによってお客様はきちんと下味?を着けられて
作品をみることができたという事実もあります
要は客にある種の感覚を与えればそれだけで十分に
表現なのですから
そういう意味ではこのチケットも立派な表現・・・・
システムではない息遣いのようなものが感じられる
手書きの席番に
作品への期待が高まっていきます
たとえば音楽にしてもそうなのですが
きっと表現には相応の規模というものがあって
演劇などは観客や演じ手がおもうより
実はもっと小さな環境でこそ
最適な表現なのかもしれませんね・・
青山円型劇場やサンモール、TOPSのような
空間で演じられるものを見ることが・・・
言い換えれば手書きの席番でカバーできる空間で
演じるものに接することができるのが
実はどれだけ贅沢なことなのか・・・
目の前のチケットを見て考えてしまいました
寄席なんかもそういう意味では小さな空間効果のあるところで
昔々、小さん師匠が存命だった頃に
新宿の末広亭での高座を見たことがあるのですが
「ここで私の話を聞いていただけるのもなにかの
ご縁ってものでして・・・」
と枕のなかでおっしゃって噺にはいられたことがあります
その感覚で舞台と観客が共有する空間で演じられるものは
観客も頭でなく皮膚でなにかを感じられる気がします
もちろん大劇場で見るお芝居にも
映像で表現されるものにもすばらしい
ものはたくさんありますが・・・
だからといって小さな空間の贅沢を
忘れたくはないものです
多分そのあたり一番わかっているのが野田秀樹さんなのでしょうけれどね
赤鬼(初演)、農業少女、売り言葉・・・・
やっぱりすごかったものな・・・
なんにしても20日が楽しみです
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