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「えんげきのページ}上の広告のメリット

まずは訂正とお詫びからです。

春に私にとっての関西のことを書いたとき
昔玉姫殿提供の天気予報でかかっていた曲、
I Can't Give You Anything But Love
をアール・クルーの演奏と書きましたが
実はアール・クルーではなくルイス・ボンファという方の
演奏だったみたいです
安岡孝一様からコメントにてご指摘をいただきました
(安岡様どうもありがとうございました)

さて、本題です

最近、えんげきのページのバナー広告が気になって
仕方がありません。
「えんげきのページ」といえば
R-Clubなんて足元はおろか玄関を出てお勝手口にまわってもおよばない
日本最大級の演劇紹介/批評のサイトですが
先頭ページにバナー二つ分のスペースがあって
そこのお芝居がとても魅力的に見えるのですよ

芝居についてはできるだけいろんなジャンルを見たいと
おもってはいるのですが
そうはいっても自分のラインのようなものはあって・・・

で、えんげきのぺーじのバナーがそのラインに沿っていたりすると
普通のDMやちらしなんかよりよっぽどそそられてしまう
それはえんげきのページにあることでひかれるのか
ただ自分のラインにあるからなのかよくはわからないのですが・・

グリングの「ストリップ」も最初にこのバナーで公演を知って
見に行ったのだし
毛皮族の公演チケットを手に入れようとおもったのも
このバナーだし・・・(本日@ぴあで予約してしまった)
良いアイデアですよね、公演を打つほうにも見るほうにも
メリットのある広告だと思います

演劇って地味というか、一部のマニアが狭い世界の中で楽しむみたいな
印象がなきにしもあらずですが
観客に興味を持たせるということは決して悪いことではないはずだし・・・

よいお芝居の情報がもっといろんなルートで流布していくように
工夫をするべきなのかもしれませんね・・・

R-Club

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NUから得たもの

最近、新しい劇団を見に行く機会が少なくなったような気がします
今年だとグリングと昨日見たbird's-eye viewの2劇団だけ・・・
昔は見に行く芝居の半分くらいが新しい劇団でしたから
かなり減少した気がします
しかもこれらの劇団については私が初見であるだけで
これまでにしっかりした公演実績と高い評価を得ているのを
私が見てないだけとも言えるわけで・・・

まあ、コンスタントに高いクオリティの公演を打つ劇団については
やっぱり見に行きたいからその分新しい劇団に割く時間は減ってしまうのですが
でもなんか自分の世界を狭くしているような気がしてなりません
はずれの芝居に当たる確率が減っている分、
自分を刺激してくれるなにかに出会う機会もへっているような気がします

それはさておきnuのお話・・・

劇評はR-Clubにも書いたのですが
今回、bird's-eye viewを見て一番感じたのは
役者のクオリティが高いこと
山中崇、松下好といった役者さんのうまさは以前に見た別の劇団の公演で知っていましたが
絶対王様の有川マコトやMCRの櫻井智也などは今回が初めてで
その舞台を支える力量に思わず目を見張ったことでした
たとえば櫻井智也、
病院とファミレスがごっちゃになった世界という
元々の設定提示が難しい中で
しっかりと自分のポジションを演じ切る彼の強さには本当に
非凡なものがありました
くろいぬパレードの岩渕敏司は櫻井にくらべると着実なイメージがありますが
彼のテンションには無理をひっこめるだけの強さと明るさがあり
彼が演じることによって広がる役があることを自らの演技で示してくれました。

上記のほかでは岸田健司もよかった。
踊りのなかに軽快感があるのが魅力的で
しかも、他の座長クラスの役者と対等にわたりあたって芝居ができるだけの
能力がある・・。彼だから伝わってくるニュアンスがこの芝居にはありました

女優陣の演技クオリティも高かった
うまくいえないのですが、きちんとした演技のクオリティに加えて
きれいな視線を持っている女優さんばかりだったような気がします

芝居を見たいと思うとき
その要因のひとつに
この役者だったら高いクオリティが期待できるみたいな部分があるのですが
今回、そういう位置づけに値する役者も何人かいらっしゃって
それだけで十分元は取れたような気がします
ましてや、これだけユニークで洗練された中での彼らの芝居を見せられてしまうと・・

いまさらながら自分が狭めてきた芝居の選択枝によって
取り逃がした魚の大きさを感じます

限られた時間の中で生きているのですから
全てが満たされるわけではないのですが・・・

やっぱり、芝居をみることにおいても
もっと積極的になることの大切さを
今回のお芝居から(間接的にではありますが)教えられたような気がします


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トリビュート(井上陽水)

井上陽水のヒットナンバーに
「夢の中へ」があります。
コード展開が比較的易しくて
そうはいってもギターコードの最初の難関である
Fが練習できることから
大学で音楽系のサークルに入った私は
最初に練習した記憶があるのですが・・・
この歌、不思議なことに演奏する人によって
いろんなニュアンスに聞こえるのです

「夢のなかへいってみたいかと思いませんか}と歌うとき
誘うようにも、夢に遊ぶ自分への言い訳のようにも
自分をもっと解放するようにとの励ましにも聞こえるこの歌
その不思議に演奏の感想をサークルのなかでお互いに
話し合ったりすらしたものでした

Yosui Tributeというアルバムには「夢の中へ」を含めて
全部で14曲の陽水作品が収められています
演じるミュージシャンも14人・・・・

陽水の歌は演じる人を決して染めません
陽水の歌が演じる人に染まるのです
もちろん、ミュージシャンが一番自分に合う歌を選んだという
側面もあるのだと思います
でも、それ以上に、歌の中にミュージシャンが
あつらえた服を見につけるように収まってしまうのがすごい
奏でる歌は陽水が歌ったものと同じでも
歌が作り出す世界はもはや陽水のものではなく
歌う者をそのまま映しているのです

平原綾香の「心もよう」や一青窈の「ジェラシー」は
陽水の世界よりはるかに想いが強く
持田香織の「いつのまにか少女は」は陽水の世界より
ずっと飾りがなくピュアで
布袋寅泰の「東へ西へ」は陽水の世界よりずっとパワーがある
小野リサの「いっそセレナーデ」は陽水の世界より
ずっと軽くしかもよりけだるいし
奥田民生の「リバーサイドホテル」や忌野清志郎の「少年時代」は
井上陽水の世界から一枚ベールを剥ぎ取ったような錯覚をうけるほど
生き生きと闊達に聞こえる

極めつけはユーミン(松任谷由実)の「とまどうペリカン」で
彼女の歌声に織り込まれたスピリットは
ニューミュージックなどといわれる音作りで覆われていても
コアの部分は美空ひばりにも匹敵するほど
上質な演歌であるとはっきりわかりました

もしかしたら陽水の曲は美しい飾りガラスで作られた
正方形の箱のようなものなのかもしれません
たとえ井上陽水の世界を陽水らしく表現しようとしても
ミュージシャンの本質の方がガラスを通して
きらめいてしまう
演じるものはマジックミラー仕立ての部屋のなかで
自らが一番芯に持つものをさらけ出してしまう

井上陽水の歌がトリビュートされるとき
人はガラス箱を外から眺め
内側で表現されるさまざまなものに
自らを投影して感情移入を果たすということなのだろうと
思います

ただ、井上陽水自身が彼の歌を歌うとき
観客がとこにいるかというと
多分ガラス箱のなか・・・
そこがまた不可思議なところで
他のミュージシャンの歌が多くの人に訴えかけていくのに対し
井上陽水の歌声には
コア側にすべてを引っ張り込むような強さを感じます
なんというか、彼の歌声が聞き手に与える視点はガラスの中から
外を眺めているような印象を聞き手にもたらすのです

芝居などでも、自分が第三者として感情移入をする役者と
自分を取り込んでくれるような役者がいるじゃないですか
それと同じことなのかもしれません

いずれにしても
聴きなれた陽水の曲にもかかわらず
ちょっとした驚きをもって
このアルバムを聴いたことでした
「夢の中へ」の不思議がよみがえって
通して14曲を聴いたあと
もう一度、ひとつひとつの曲を
歌詞を追いながら聴きたくなりました

R-Club

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バタフライ

三谷幸喜氏の新作は一人芝居だそうですね。
タイトルは「浪速のバタフライ」
みやこ蝶々さんをモチーフにした作品だそうです
聞いただけで物語の広がりを感じます

三谷幸喜氏作品がこれだけの評価を得たのは
一見愚直に思わせながら実はきわめて斬新に
事象を切り取るセンスと
切り取ったものを、奇をてらうことなくしかも
干物の魚のようにしっかりと舞台のライトにさらして味をつけて
表現する力によるのでしょうが
私がさらに彼をすごいと思うのは
それだけの才能を持ち合わせていながら
いっぽうできらめきのある作品を器用に求められたサイズや制限に合わせてしまう部分。
「笑いの大学」では制約が作品を育てるみたいな設定がありましたが
彼自身のの作劇にもあきらかにそういう部分があって
東京サンシャインボーイズ時代には
出演者それぞれにきっちりと役をふって見せたり
いっぽう「やっぱり猫が好き」のなかでは
30分の放送時間のなかで3人(+猫のさちこ)
だけを使って物語を作り上げたり・・・
挙句の果てには制約が重なっていくことを
シチュエーションコメディに仕立て上げたり(ラジオの時間)

そして、今度は一人芝居・・・・
一人芝居は味が濃くしみつくというか
一人芝居はおいしいまずいがはっきりでますから・・

昔、井上ひさし作の「化粧」という芝居をみたことがあるのですが
ああいう感情の出し入れを舞台化粧中の役者に載せる
かれの才能はやっぱりすごいと思った
渡辺美佐子も脚本をころがして観客を手玉に取っている感じだったし・・・
加藤健一の演じた「審判」もすごかったですね
千石の三百人劇場でみたのですが
彼の表情の微妙な変化には
魅入られるようななにかがありました

まずい一人芝居も実はそれなりに知っているのですが・・・
まあそれは置いておいて・・・
よい一人芝居の脚本がが良い役者にめぐり合うと
独特の科学反応というかふくらみがある気がする
上記のふたつのお芝居は
多分私が墓場まで思い出を持っていくであろうほど
印象が強くて・・・

主演が戸田恵子と聞くと
彼の枠はそれだけで大きくひろがりそうな印象もありますしね・・

まあ、三谷さんがあまり力まず
戸田恵子さんの出汁がたっぷり出るようなエピソードを
みやこ蝶々にからめれば
絶対に魅力的な作品になることは間違いないはず

私はがんばってチケット押さえにかからなければ
パルコ系の優先予約をトライしたり・・・ちょっと面倒くさいけれど
でもその努力が楽しかったりする
これも芝居の醍醐味の一部なのかもしれませんね
とくにこういう作家と主演女優の取り合わせで
一気に客を集めるような芝居では・・・
チケットを取る方にも力が入ります

11月22日の優先抽選結果発表まで
もうわくわくしています

RーClub


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ミミズクとオリーブのここちよさ

ときどき思うのですが、
形って意外と大切なことではないのでしょうか。
たとえば落語にしても、
さらっと枕があって、
(観客が)ほぐれたところで
噺に入るみたいな・・・
不思議なもので客の方もそのスタイルに安心感を持って
しっぽりと噺に入っていけたりするのですよね・・・

そりゃ、「一席おうかがいいたします」から
いきなり噺に入る落語家さんもいらっしゃるし
小三冶師匠みたいに枕だけで一時間という方もいらっしゃるけれど
それは元の形があるからできるバリエーションみたいなもので・・
斬新なものが斬新であるためにも
表現の形って必要なことだと思います

小説でも連作のようなものになると
ある種共通した形が必要になってきます
シリーズだと、たとえば新宿鮫の鮫島なんて
キャラクター的にきちんと作りこまれているから
あそこまでのロングセラーになっているのだろうし・・・

最近感心した形といえば
芦原すなおさんの「ミミズクとオリーブ」があります
これは連作短編推理小説なのですが
キャラクターの設定が非常に上手で・・・
本当に感心してしまいます

なにもかもお見通し(推理も)の奥さんと
小説家の距離感というか関係がとてもあたたかくて・・・
まあ、いまどき珍しいお茶の間の匂いもするような
二人の関係、忘れていた何かを思い出させてくれるようで・・
しかも、推理小説の形を崩していないところがすばらしい

通勤の行き返り何回かで読み終えてしまう量なのですが
読むたびにある種のなごみを感じてしまう
奥さんのキャラクターも本当に良くてね・・
作者にもそのような女性に対する憧れがあるのかと
思わずかんぐってしまうほど・・・
昔風の良妻ともいえなくはないのですが
それだけではないなにかが
私の心の琴線を爪弾いてくれます。
最初のお話でそのいごこちのよさに惹かれ
次のお話でそのいごごちが続いていることに安堵し
あとはわかっていながら次のストーリへの
ページに思わず指がいってしまう感じ
推理のロジックにも肩を張ったところがなく
なおかつなんとなく納得してしまう「スッキリ感」もあり
お勧めの本です

そういえば、後藤ひろひと先生の名作
BIG BIZシリーズもついに「BIGGEST BIZ」の政策が
決まったようですね
皿袋というキャラはどのように発展するのか
粟根さんのキャラクターは再登場するのか
わくわくしますね
Bigger Bizについてはすでに初演を見ており再演の観劇予定はないのですが
Bigiest Bizはどうしても見に行きたいところ
惹かれる要素あるものに素直に魅せられるというのは
悪いことではないはずだし
我慢をすると身体に悪いような気すらします

R-Club

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笑の大学@えいが

自分の資料を掘り返してみると
舞台版の「笑の大学」を見たのは1996年になります。
場所は青山円型劇場
多少ネタばれになりますが
向坂を演じた西村雅彦がいったん芝居に巻き込まれながら
豹変して最後の書き直しを命じるシーンに非常に強い印象が
残っていて・・・
彼をテレビで見るたびにそのシーンのイメージが脳裏をよぎります

思えば、濃密な舞台でした。
二人舞台がもつ間のおもしろさ
近藤芳正のふっとはずすようなタイミングが
彼のださい眼鏡すがたとともに朴訥な印象と
ある種の現実感を舞台上の時間に与えて
それゆえ、流暢に流れる会話のシーンが一層引き立って見えて・・
舞台には取り調べ室の机と椅子だけ
そのなかでの物語は、進むにつれて
まるでブラックホールのように
比重を増していく印象すらありました
それがたとえ、向坂検閲官が芝居にはまっていく
見方によっては検閲官のイメージを逸脱するようなシーンであっても
彼らの作り出す時間の重い熱のようなものが冷めることは
ありませんでした
それは役者の技量のなせる業であったし
前にも書いたように
青山円型劇場というのは
そのような熱を決して逃がさないような空間ですから・・・

映画版「笑の大学」を見て最初に思ったのは
観客がずいぶんと楽になったなということです
最初に戯曲作家達が次々と向坂検閲官に
なぎ倒されていくシーンが挿入されていますが
(しかも陰山泰、吉田朝、伊勢志摩など
小劇場界でも濃い印象のある芸達者を贅沢につかって)
この段階で、すでに演劇の空間で演じられる物語を
ずいぶんと食べやすい器に移している印象があります。
それは本編ともいえる向坂VS椿のそれぞれの立場を
あらかじめしっかりと観客に伝えるためのシーンなのですから・・
まあ、最初に、パンフレットやメニューで
料理の説明をしてくれるのと同じようなもので・・

たとえば、浅草の劇場外のシーンにしても
(ネタばれにはなりますが)、お寿司とおそばの件での
実写にしても・・・・
舞台ではできない表現であり、観客は雰囲気を一層つかめる反面
舞台上にある比重を薄めて広げたような結果を生むようでもあり・・・

とはいっても、映画という表現の中では
ずいぶんといろんなものをコントロールして
スクリーンと対峙する観客の緊張や想像の領域を高めてはいると思うのです
シーン(何日目か)を示すやり方にしても
日を追うごとの街の変化にしても
極端に抑えた劇場での舞台シーンにしても・・・
沸き立つ観客席の取り方にしても・・・
まるで舞台の表現のようにある種の記号化の作業がなされて
映画を観る者がきちんと自分の中に世界を作れるような
工夫がなされていると思います
ただ、やっぱり舞台を見るよりは
ずいぶんといろいろなものがスクリーンの向こうに提示されていて
その分感動が柔らかく軽く広がりをもって
やってくるような印象があるのも
また事実です

いつもながら食べ物の比喩でもうしわけないのですが
たとえば、びっくりするほど上質の食材があるとして
芝居はそれをシェフが真剣勝負で料理して
レストランで食べさせるようなもの
映画というのはデパートの地下のDeliなどで
お持ち帰りように売るようなものなのかもしれません
どちらが良いとか悪いとかではなく
表現の媒体がそういう特質を持っているということなのだと思います
レストランの方が、より濃厚な素材の風味を生かしたものを食べられる
可能性はあるのですが
デパートのDeliの方が、いつでも好きなときに気楽に食べられるし
どちらが食べたいと思ったときに食べられるかといえば
間違いなくデバチカの方ですから・・・

それに「笑の大学」はレストランで一生忘れないほど極上の料理を
いただくことができましたが、レストランにいけば常に極上の料理を
食べられるという保証はまったくなくて・・・
ひどいときには同じ名前の料理でも味が全然違ったりしますから
むしろはずれの可能性も非常に大きい
デバチカの料理であたりだとおもったものは
次に食べても同じクオリティであたりであるわけですから
まあ、それぞれ一長一短であるわけです

「笑の大学」の映画版はデパチカのご飯といっても
素材が十分に生きたあたりの作品であることは間違いないわけで・・
稲垣吾郎がこのような喜劇の範疇で
こんなにも天から才能を与えられた役者であることをはじめて知ったし
役所広司の役人顔と笑いの境界線のような表情に含まれる
ニュアンスのすばらしさには本当に引き込まれました
高橋昌也演じる老警官の使い方のうまさ
さらにはエンドロールの粋・・・
レストランで十分知った味であったとしても
なおかつ堪能できるものであったことに間違いはありません

もしかしたら、映画という範疇のなかでは
映画のキャパを使い切っているわけでもなく
地味な印象さえもたれる
佳作の分類にはいる作品なのかもしれません
でも、食べれば食べるほど味がじわっと溢れてくるような
飽きない深さを持った作品だと私は思います

やっぱり素材がよいのでしょうね・・・

R-Club

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銀のチケットに手書きの席番(ある贅沢)

bird's-eye viewから予約をしていたチケットがきました。
Nuという芝居を見に行きます。
きれいなチケットでね・・・
しかもシールになっている・・・

スタイリッシュなチケットはそれだけで
ひとをわくわくとさせてくれます

まあ、原券といわれるこういうチケットって
作るのにも労力が必要なのでしょうけれどね・・・
席の番号もひとつづつ書かなければいけないし・・・
シアターサンモールの全部のチケットについて
(しかも全部の公演について)
日にちや座席を書くって言うのもけっこう大変だと思います

芝居というのは、もちろん舞台の上での出来事をみるのが
本筋なのですが
それだけではないなにかがあるのもまた事実
昔、山の手事情社は劇場の外にまで独特の空間を作って
お客様を招きいれていたのですが
それによってお客様はきちんと下味?を着けられて
作品をみることができたという事実もあります

要は客にある種の感覚を与えればそれだけで十分に
表現なのですから
そういう意味ではこのチケットも立派な表現・・・・
システムではない息遣いのようなものが感じられる
手書きの席番に
作品への期待が高まっていきます

たとえば音楽にしてもそうなのですが
きっと表現には相応の規模というものがあって
演劇などは観客や演じ手がおもうより
実はもっと小さな環境でこそ
最適な表現なのかもしれませんね・・
青山円型劇場やサンモール、TOPSのような
空間で演じられるものを見ることが・・・
言い換えれば手書きの席番でカバーできる空間で
演じるものに接することができるのが
実はどれだけ贅沢なことなのか・・・
目の前のチケットを見て考えてしまいました

寄席なんかもそういう意味では小さな空間効果のあるところで
昔々、小さん師匠が存命だった頃に
新宿の末広亭での高座を見たことがあるのですが
「ここで私の話を聞いていただけるのもなにかの
ご縁ってものでして・・・」
と枕のなかでおっしゃって噺にはいられたことがあります
その感覚で舞台と観客が共有する空間で演じられるものは
観客も頭でなく皮膚でなにかを感じられる気がします

もちろん大劇場で見るお芝居にも
映像で表現されるものにもすばらしい
ものはたくさんありますが・・・
だからといって小さな空間の贅沢を
忘れたくはないものです

多分そのあたり一番わかっているのが野田秀樹さんなのでしょうけれどね

赤鬼(初演)、農業少女、売り言葉・・・・

やっぱりすごかったものな・・・

なんにしても20日が楽しみです

R-Club

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