ストリップの空間
グリングの「ストリップ」、
Theater Topsのような小さな小屋では
もったいないような名作です
とにかく脚本が非常に良く出来ていて
しかも、いかにもよく出来ているという感じではないところに
この劇団のすごさを感じます
一番感心したのは
ネタバレになりますが
桜子が鏡越しに女性自身を元恋人に晒すことで
自らの心に無意識に羽織っていた何かを
剥ぎ取る(ストリップする)シーン
ある意味かなりきわどいシーンでもあるのですが
そのひと時に舞台を満たす元恋人どうしの
まとう物のないこころのふれあい・・・
非常に秀逸なシーンだったと思います
そのシーンにいたるまでにも
さまざまなエピソードの連鎖から
登場人物の心に羽織っていたものが
剥ぎ取られていく部分がいくつもあって・・・
しかも剥ぎ取られることによって晒される
登場人物の想いが言葉で語られることがないのに
観客にしっかりと共鳴していく
役者の演技力と脚本家の勝利だと思います
役者のなかでも桜子さんの演技には感心しました
彼女の演技には感情の起伏に対するしっかりとした
説得力があって
なおかつ彼女が心にまとっているものが
しっかりと浮かび上がるような演技を見せていただきました
まあ、ストリップというのは不思議な見世物で
桜子さん演じる大阪のストリッパーの衣装のこだわりに
矢代朝子さん演じるベテランストリッパーが
「どうせすぐ脱ぐくせに・・・」という捨て台詞のようなものを
投げつけるシーンがあるのですが
桜子さん/矢代朝子さん、それぞれの演じるストリッパーの
考え方のようなものに真実が含まれているのが面白いところです
恥ずかしながら、私も昔はたまにストリップを見にいったりしました。
あの、一種場末の雰囲気、
衣装、ライト、踊り子さんの舞台化粧・・・
見せかけの華やかさの中で
彼女達がみせるのは、女性の女性たる証ともいえる
乳房であり、時には法に触れる陰部であり・・・
でも、もっと不思議なのは、女性達が持つ芸によって
晒される乳房や女性自身の美しさがまったく違ったりする
また、歳がばれるようなお話なのですが
昔、ルーシーサタンというストリッパーのお姉さんがいました
最初に彼女の舞台をみたのは偶然だったのですが
その踊りのあまりの美しさにひかれて
やがて、彼女の名前を、三流新聞の広告にみつけると
惹かれるように見に行くようになりました
フラメンコを基調としたベットショーもない舞台なのですが
彼女が舞台にたつと場内はそれだけで静まりかえります
ストリップ劇場に満ちていた淫猥な空気が
一瞬にして消えてしまうのです
ステップを踏む彼女の額に浮かぶ汗の美しさ
整った形の乳房が揺れるたびに
息を呑んでしまうような濃密な女性のかおりが
パヒュームのかおりとまじりあってほとばしって・・・
やがて、最後のナンバーで彼女がオープンといわれる
演技(脚を広げ股間をひろげて陰部を観客に見せる演技)をするとき
彼女の指の間にあるものは劣情を催させるものではなく
心から美しく思える神の造形でした
踊りがそれほどすごくなくても
笑顔だけで雰囲気を変えてしまう踊り子さんには
その後何人かめぐりあいました
昔、すごく印象にのこったのが
九条OSに出ていた夏目久美子さん・・・
彼女の笑顔はそれだけで人の心をうごかす何かをもっていた
もう1x年前の話ですけれどね・・・
あとフラワーミミさんという踊り子さんにも
同じような力がありました
彼女は舞台参加型のステージまでこなした踊り子さんですが
その行為の最中であっても猥雑な印象はまったくなかった
女としての成熟自体が芸のように思えました
単純にあそこを見せればそれで男達は満足するのに
さらに芸で、単純な男達の劣情の
もっとに向こう側のようなものまで
満たしてくれる彼女達に
なんどもストリップの真髄を感じたものでした
グリングの舞台にはそのストリップの、ある種の真実が
きちんと含まれているところが見事なところで・・
自分の芸を潮時としてストリッパーへの未練と元恋人への思いを
ラストステージとしてたった一人の観客に晒す桜子さん演じるストリッパーにも
生活のために演じると言い切って演劇に準じてなくなった
旦那の未練を消そうとする矢代さん演じるストリッパーにも
ストリップの本質がしっかり描かれているような気がして・・・
それゆえ表面的には淡々とエピソードが
羅列されるようなトーンで描かれる
この作品の持つ、多層的な部分というか深さに感嘆したことでした
なんというか、あたたかくてちょっと寂しい気持ちで家路につける作品って
いいですよね・・・
グリングの今後の作品、結構楽しみです
R-Club
ー上記「ストリップ」のプレーンな感想を掲載中です
是非ごらんくださいませー
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