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ひっぷらほっぷら

音楽に関しては
衝動買いというのが明らかにあります
CDショップの試聴ようのヘッドホンをかぶって
3分で前においてあるCDをキャッシャーに持っていくという
あれです

今日、たまたまちょこっと立ち寄ったWaveの某店で
まさにそれをやってしまいました

ひとつは加藤ミリアのMAXIシングル・・・
最近の歌い手では平原綾香の歌唱力もすごいけれど
耳にニュアンスがしっかり入ってくるという点では
加藤ミリアの方が上かもしれません
しかも心地よい
すこしハスキーなのですが同時にのびやかな声をお持ちで・・・

二つの曲をいくつにもアレンジして6トラックの構成なのですが
いずれのアレンジも~風という領域を超えて
ひとつの作品として成立しているのもすごい
それは、耳がこえた日本人に対して
海外の同種の音楽よりさらに魅力的な音を
日本人がつくれることを
再確認した瞬間でした
言葉の使い方も日本語と英語がミックスして
どちらの言葉でも表現できないニュアンスをあらわすので
日本語がさらに広がった感じで・・・

日本語が広がったといえば
同時に衝動買いした「Bennie K」のラップも
すごくよくて
昔、ラップの日本語といえば
まるで四文字熟語をならべたというか
ちょっとのりのよいお経のようなイメージがあったのですが
Bonnie Kに登場するラップは
日本語と英語のミックスでありながら
日本語としての広がりを持ったものであり
なおかつ、個性的ですらあり・・・
なんというか、ラップの文化は完全に日本の言語にとりこまれた
イメージさえあります

たとえば芝居でも、昔の翻訳劇が鴻上尚史に揶揄されていたのにたいして
「ママが私にいったこと」では登場人物の名前があちらのものでありながら
日本語として感情的な部分まで翻訳されて観客に
違和感をあたえなかったように
ラップの歌詞も聴き手がリラックスしたまま
日本語できちんと処理がかなうまで進化したということでしょうか・・・

今日買った2枚のシングルは
いずれも
言葉という意味でもこれまでの領域を抜けたシングルで・・・

なにかこれからの日本の歌い手達の作品にふれるのが
楽しみになってしまいました

まあ、元々HIPHOP系の音楽はだいすきだったのですが・・
黒人ラッパーが奏でるHIPHOPにたいして
若い日本人の創意にみちた
音楽、勝手に名づけさせていただければ
ひっぷらほっぷら、それが自然に日本に定着していくのは
やっぱり、さまざまな才能が日本の音楽シーンに
満ちているからでしょうね


とりあえずは芝居以外にも人生の楽しみができたということで・・・
人生楽しみが多いに越したことはないですよね!

R-Club

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夢で会いましょう

最近、私が楽しみにしている番組のひとつに
日曜日の夜のNHKアーカイブスがあります

要は昔の番組を再放送するだけの
とてもシンプルな企画なのですが
これがとてつもなくおもしろい
いろんな伝説になった番組を一本丸ごと
見ることができるわけですから・・・

昔の番組の一シーンを集めたような企画はたくさんありましたが
なかなか番組一本となると見る機会がなくて・・・
ましては1960年代のものとなると
めったにそんな機会はないわけで・・・
でもやっぱり一本通してみないと番組のディテールなんてわかりませんものね

NHKの番組、しかもそんなに昔の番組となると
どこか教条的でまちがってもユーモアなんてないようなイメージですが
「夢で会いましょう」は全然違っていました
まず、どこかお洒落なのです
24日に再放送した分は受付がテーマでしたが
コントののりもなかなか良くて
今のコントと比べてみてもそんなに時代遅れの感じが
しないのがすごい

デパートの受付に黒柳徹子が座って
番組を進めていくというような場面もあって
これはこれでなかなか歯切れがあって・・・

九重佑三子・坂本九・谷幹一・渥美清なんて
いまでは伝説になったり場合によってはあちら側に行かれた人々が
みんな生き生きとしていて・・・

でも、一番感心したのは
中村八大が演奏するピアノの粋なこと
楽器売り場で演奏するというような設定なのですが
セットもある意味チープではあるけれど
ウィットが効いていてお洒落で・・・

昔、父に戦前の日本って毎日が暗い雰囲気で大変だったのではないかと
聞いたら、実はのんびりとしていて楽しい時代だったといわれて
驚いたことがあるのですが
モノクロテレビに機材もいまとは比べ物にならないくらいに悪い
むかしでも、テレビはとても洗練されて粋だったというのは
ちょっと意外な感じがしました
昔を今の感覚でみるのと、現実にそこで生活している感覚というのは
実はちがったりするのですね・・・

そう、あと思ったのは坂本九や九重佑三子の歌、
いまよりずっとダイレクトに思いを伝えていたのですね
ウェデングドレスや一人の人を思う気持ちが今より
ずっと新鮮に思えた時代だったのかもしれませんが・・・
彼らの歌は、まるで摘みたての果物をそのまま口に運ぶように
みずみずしく、ちょっと甘酸っぱく感じだことでした

彼らがその後にたどる運命、
渥美清は「フーテンの寅さん」という当たり役をもらい
坂本九は日航機事故で天に召され
黒柳徹子は「ザ・ベストテン」で大活躍後国連の活動にたずさわる・・

今、舞台で何かを演じている人々にはどんな人生がまちうけているのでしょうか
そして彼らを見つめる客席の人々の人生は・・・?

劇場は針の穴のようなものだという比喩もあります
観客と役者が一点に集まって、同じものを共有し
また離れていく場所という意味だそうですが
テレビの番組もおなじなのかもしれませんね・・・
その時間、テレビの前にいる人々は
何かを共有して、またそれぞれの生活に別れていく

話は違うのですが、番組のコントとはいえ、番組の最後に
デパートの受付嬢役の黒柳徹子が
特売場はと谷幹一にきかれ
きっぱりとここですと言い切ったのにはわらった。
もう十年も売れ残っているというのはアドリブのような
気もしますが・・・・
番組としても良く出来た落ちでした・・

なんかああいうベタなギャグをアドリブ込みで
堂々と出来る時代って
放送に対して妙なストレスが
少なかった時代なのでしょうね

「夢で会いましょう」はいろんな意味で
昔の日本のイメージを払拭してくれる
ちょっと小粋な作品でした


R-Club

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ストリップの空間

グリングの「ストリップ」、
Theater Topsのような小さな小屋では
もったいないような名作です
とにかく脚本が非常に良く出来ていて
しかも、いかにもよく出来ているという感じではないところに
この劇団のすごさを感じます

一番感心したのは
ネタバレになりますが
桜子が鏡越しに女性自身を元恋人に晒すことで
自らの心に無意識に羽織っていた何かを
剥ぎ取る(ストリップする)シーン
ある意味かなりきわどいシーンでもあるのですが
そのひと時に舞台を満たす元恋人どうしの
まとう物のないこころのふれあい・・・
非常に秀逸なシーンだったと思います

そのシーンにいたるまでにも
さまざまなエピソードの連鎖から
登場人物の心に羽織っていたものが
剥ぎ取られていく部分がいくつもあって・・・
しかも剥ぎ取られることによって晒される
登場人物の想いが言葉で語られることがないのに
観客にしっかりと共鳴していく
役者の演技力と脚本家の勝利だと思います

役者のなかでも桜子さんの演技には感心しました
彼女の演技には感情の起伏に対するしっかりとした
説得力があって
なおかつ彼女が心にまとっているものが
しっかりと浮かび上がるような演技を見せていただきました

まあ、ストリップというのは不思議な見世物で
桜子さん演じる大阪のストリッパーの衣装のこだわりに
矢代朝子さん演じるベテランストリッパーが
「どうせすぐ脱ぐくせに・・・」という捨て台詞のようなものを
投げつけるシーンがあるのですが
桜子さん/矢代朝子さん、それぞれの演じるストリッパーの
考え方のようなものに真実が含まれているのが面白いところです

恥ずかしながら、私も昔はたまにストリップを見にいったりしました。
あの、一種場末の雰囲気、
衣装、ライト、踊り子さんの舞台化粧・・・
見せかけの華やかさの中で
彼女達がみせるのは、女性の女性たる証ともいえる
乳房であり、時には法に触れる陰部であり・・・

でも、もっと不思議なのは、女性達が持つ芸によって
晒される乳房や女性自身の美しさがまったく違ったりする
また、歳がばれるようなお話なのですが
昔、ルーシーサタンというストリッパーのお姉さんがいました
最初に彼女の舞台をみたのは偶然だったのですが
その踊りのあまりの美しさにひかれて
やがて、彼女の名前を、三流新聞の広告にみつけると
惹かれるように見に行くようになりました
フラメンコを基調としたベットショーもない舞台なのですが
彼女が舞台にたつと場内はそれだけで静まりかえります
ストリップ劇場に満ちていた淫猥な空気が
一瞬にして消えてしまうのです
ステップを踏む彼女の額に浮かぶ汗の美しさ
整った形の乳房が揺れるたびに
息を呑んでしまうような濃密な女性のかおりが
パヒュームのかおりとまじりあってほとばしって・・・
やがて、最後のナンバーで彼女がオープンといわれる
演技(脚を広げ股間をひろげて陰部を観客に見せる演技)をするとき
彼女の指の間にあるものは劣情を催させるものではなく
心から美しく思える神の造形でした

踊りがそれほどすごくなくても
笑顔だけで雰囲気を変えてしまう踊り子さんには
その後何人かめぐりあいました
昔、すごく印象にのこったのが
九条OSに出ていた夏目久美子さん・・・
彼女の笑顔はそれだけで人の心をうごかす何かをもっていた
もう1x年前の話ですけれどね・・・
あとフラワーミミさんという踊り子さんにも
同じような力がありました
彼女は舞台参加型のステージまでこなした踊り子さんですが
その行為の最中であっても猥雑な印象はまったくなかった
女としての成熟自体が芸のように思えました
単純にあそこを見せればそれで男達は満足するのに
さらに芸で、単純な男達の劣情の
もっとに向こう側のようなものまで
満たしてくれる彼女達に
なんどもストリップの真髄を感じたものでした

グリングの舞台にはそのストリップの、ある種の真実が
きちんと含まれているところが見事なところで・・
自分の芸を潮時としてストリッパーへの未練と元恋人への思いを
ラストステージとしてたった一人の観客に晒す桜子さん演じるストリッパーにも
生活のために演じると言い切って演劇に準じてなくなった
旦那の未練を消そうとする矢代さん演じるストリッパーにも
ストリップの本質がしっかり描かれているような気がして・・・
それゆえ表面的には淡々とエピソードが
羅列されるようなトーンで描かれる
この作品の持つ、多層的な部分というか深さに感嘆したことでした

なんというか、あたたかくてちょっと寂しい気持ちで家路につける作品って
いいですよね・・・

グリングの今後の作品、結構楽しみです

R-Club
ー上記「ストリップ」のプレーンな感想を掲載中です
是非ごらんくださいませー

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Swing Girls

前にも書いたと思うのですが
私がたまたまNYに遊びにいった
2001年2月当時、ブロードウェイ44丁目では
SwingとFosseという二つのミュージカルが向かい合わせの劇場に
かかっていて
両方ともフィナーレのナンバーは
ベニーグットマンでおなじみの「SingSingSing」でした
しかも両方ともオンステージバンド、
ジルバのダンスと極上のコーラスに彩られた「Swing」に対して
Bob Fosseの極上の振付で一気に見せる「Fosse」
ある意味対照的でありながら観客を惹き込むパワーという点で
共通した舞台でしたが
特にオンステージバンドが本当にときめくような
魅力を持ったフィナーレということで印象を残した舞台でもありました

スタンダードといわれるジャズの名曲たちのなかでも
「SingSingSing]というのはビッグバンドの魅力を
一番引き出しやすい作品なのかもしれませんね
ワクワクするようなイントロに
覚えやすいメロディ
ソロが次々にかぶさってくるたびに観客は酔いしれ
ドラムのソロ(定番のライトシンクロとあいまって)に
観客の心は高揚していきます
実際のところサックスのパートが立ち上がるだけで
もう観客の気持ちはステージにいってしまう

今、けっこうヒットしている映画、
「Swing Girls」のクライマックス、音楽祭のシーンでも
使われているのが「SingSingSing」で
これがまたかっこよいのです
制服(セーラー服)と金管楽器の輝きがアンマッチで
サックスが立ち上がるシーンでは
いつもより倍ときめいてしまったり・・・
トランペットのパートがくるっと楽器まわしを決めるのを見ると
彼女達の笑顔に自分の心が重なってしまう気がする
ドラムソロのところでエピソードをからめてライトが絞られるのも
いいし・・・・

もともとよく出来た話というか映画なのです
ドミノ倒しのように話がすすんでいくのが小気味よいし
台詞だけでなく仕草や行動でSwing Girlsたちのキャラクターが
きちんと語られていくので
観客は知らず知らずのうちに彼女達の目線で物語をみることが
できるようになっている
ネタバレになるのであまり書きませんが、
おもわずうふっとなるような細かい表現がたくさんあって
だから猪のようなちょっと現実離れしたエピソードでも
浮かないで物語のなかにしっかりと入り込んでくる。
猪の部分はバックに流れるサッチモがとてもよくて
この辺のセンスのよさが
スクリーンのベタなギャグにも輝きをもたせて・・・
彼女達の演奏がうまくなっていく過程って
彼女たちがBigBandに出会うエピソードにくらべると
驚くほど淡白にしか描かれていないのですが
彼女達のコアにある、なんというか、真摯さのようなものが
きちんと表現されているので
(観客はまるで自分のなかにあるマジな部分に重ね合わせる
ようにスクリーンの彼女達のジャズへの憧れを
信じてしまう)
彼女達の演奏の上達はある種の必然として受け入れらるし
彼女達が必然の結果として発表の機会を得られることに
素直な喜びを感じたりもします

で、ラストシーン・・・
あわてて会場に入ってきて
みんなが動揺したまま演奏を始めようとしているときに
トロンボーンの女性がそれを制してチューニングをはじめる
シーンがよい
彼女達ひとりひとりの表情がすーっと落ち着きを戻すところが
非常に秀逸な表現で
それが、「ムーンライトセレナーデ」から「SingSingSing」への
至福の時間を単なる演奏シーンにせず
彼女達ひとりずつの個性がひとつの演奏にまとまっていき
演奏が輝いていくための
伏線にすらなっていたように思います

平日の最終に見たのですが客席はほぼ満杯でした
(日比谷シャンテ=時刻指定定員制)
始まる前の予告編のひそひそ話に耳ダンボにしていると
後ろの席の女性ふたりづれはリピーターとのこと
たしかに前半の学生時代のかっこわるいけれど
それでもうふっと笑えるようなエピソード達と
最後の達成感とかっこよさには
人をはまらせる何かがあります

出演者の今後の活躍も楽しみだし
(活躍してくれるとうれしいと素直に思ってしまう)

矢口映画、ちょっと目がはなせませんね・・・

R-Club


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POPな世相批判NHK風(東京の山賊を見て)

枕話のようで申し訳ないのですが
芝居を一本見損ないました
ポツドールの「ANIMAL」・・・
台風が関東を直撃した9日は悪夢でした。
一応台風の様子をぎりぎりまで見切りながら
ポツドールを見に
三鷹へ向かおうとしたのですが
駅に着いたときには電車がすでに止まっていました
まるで神の意思のごとく私は劇場にいけなかったような
気がします
かなりくやしい。2800円以上に悔しいです。
えんげきのぺーじは賛否両論盛り上がっていますしね・・・

さて、話は変わって
昨日(10日)の夜、NHKで「東京の山賊」という1970年のドラマを
再放送していました。NHKアーカイブという番組です。
当時どのようなシチュエーションでこの放送があったのかは
わからないのですが、いずれにしても
これがけっこうすごくて引き込まれてしまいました
もともとは同じ番組で最初に紹介された「日劇」の歴史をみたくて
チャンネルをまわしたのですけれどね・・・

そもそも、NHKというところは
時としてびっくりするほど先を行ったドラマを作ります
かんがえてみれば「ひょっこりひょうたん島」なんていうのも
子供番組をはるかに超越していたわけで・・・
幼稚園の園児までを対象とした番組に方程式がでてきましたからね・・・
国営放送というのはある意味スポンサーの意向など考えなくてすむわけで
その意味では物をつくるのに不自由さと自由さを両方兼ね備えているのでしょうけれど・・・
そういえばあの「モンティパイソン」を作ったのもBBCというイギリスの国営放送ですしね。

話は、車社会への警鐘のようなもので
それ自体はいまから見れば陳腐といえないこともないのですが
ある意味確信犯的に陳腐な内容をとても斬新に
それを今から考えると結構豪華なスタッフで
作っているともいえないこともない・・・
アニメが虫プロっていうのもすごいのですが
その他のスタッフ・キャストもけっこう今から考えるとすごいものがある

主演が関口宏と由美かおる・・・
由美かおるはあのころまだ、20歳前後ではなかったでしょうか・・
今の彼女は水戸黄門で入浴シーンを見せる熟女という
イメージがつよいのですが
当時は歌って踊れる西野バレエ団のスターだったわけで
なんていうのだろう、冷静に彼女がどういう女性だったか
なんかしっかりと理解ができた気がしました
きれいというのとはちょっと違うのですけれど
でも間違いなく魅力がある女性・・・
中尾ミエなんかも今から思えばスッピンに近い素顔で出ているのですが
彼女の若いころにもある種のパワーがあって・・・
そうそう、園まりも看護婦役ででていたのですが
彼女は今見ても本当にきれいでしたね・・・
由美かおるや中尾ミエがかわいいとすれば
園まりは美しかった

当時まだ、大人とはいえない自分がみたそれらの女優さんたちの印象が
今、当時の映像に再対面してみると
驚くほど異なっているのに自分でもびっくりしてしまいます
所詮はガキの憧れで見ていた当時のタレントさんを
当時の彼女達よりはるかに年上になってからLiveのように見ると
その違和感のようなものに驚かされます
歳をとるというのはそういうことなのでしょうか?
まあ、タレント側でも30年先にそんな評価をされるなんて
当時はまったく考えていなかったでしょうけれど・・・
関口宏もまさか30年後にグルメ番組で酒をのみながら司会をしているなんて
思わなかったでしょうが・・・

番組自体もその感じがすきな人にはたまらないようなには
’60から’70のポップな雰囲気がいっぱい
あのころのお洒落感覚というか、こじゃれたライフスタイルのようなものが
伝わってきます
サンドイッチのパンの耳を捨てないで一緒に恋人のところに持ってくる感覚
狂言に水虫をつかう(水虫線香で笑いを取ろうとするセンス)
物語のシンプルさ・・・
それはSweet Charityが持つある種の短絡さというかシンプルさと
通じるものがあって・・・
そしてシンプルさがピュアな人間くささに結びついているところも・・・

あの時代、私がまだ、ガキだった時代を総括するには
こんなおじさんの私でもまだ若すぎるのかもしれませんが
映像が当時をまるでライブのように放送するたびに
私は美術館の彫刻を反対の角度からながめるように
不思議な新しさにうれしくとまどってしまうのです

全然話は違いますが
永遠のLive感といえば、あの新感線のアカドクロムービーは
結構貴重かもしれませんね・・・

うん、あの2500円は安かったかも・・・
なにをいまさらなのですが・・・
R-Club


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Sweet Charity のすばらしさ

歳がばれるのであまり言いたくはないのですが
Sweet Charityは1985年にブロードウェイで
見ています
当然Gwen VerdonではなくDebby Allenのやつ
プレビューでみて、もう圧倒されて・・・

そのころはBob Fosseの名もそれほど知っているわけではなく
それだけに「Big Spender」の衝撃はすごかった
あの時見た「The Aloof」というナンバーは
私が生で見たダンスナンバーのなかでも多分一番だろうと思っています

前の記事でも書きましたが、
映画版の「Sweet Charity」がDVDになりました
Amazonで2000円強で購入したのですが、
これが超おすすめ・・・
舞台と映画、どちらがよいかといわれると
やっぱり舞台の方が軍配は上がるわけですが
でも、DVDにはとんでもない特典映像がいくつもついている

そのひとつに、「ハッピーエンド」バージョンの
スウィートチャリティというのもあって・・・
当時エンディングには2つのバージョンが作られていて
Bob Fosseはそのなかでよいほうを選んだということなのでしょうが
なんか両方見ると一層この映画の終わり方の秀逸さがわかって
おもしろかった
まあ、そりゃ、ニールサイモンが脚本を書いているわけですから
ハッピーエンドバージョンの幕の引き方だって
すばらしいのですが
採用された方の終わり方は、この物語の普遍性と
主人公へのBob Fosseの愛着のようなものが溢れていて・・・

そもそも、この作品には大ヒットのブロードウェイミュージカルの映画化という
単純な展開をはるかに凌駕した部分があって・・・

主人公と相手役のふたりがハッピーエンドで結ばれてほしいと思うのはごく自然な心情かと・・・
でもね・・・、ネタバレになってしまうからオリジナルの
エンディングは書かないけれど・・・
それはそれでよく出来たハッピーエンドバージョンよりも
オリジナルのエンディングのほうがはるかに広がりがあるのです

ニールサイモンの作風は
エンディングだけでなく随所に満ちていて
単なるミュージカルを素敵な
物語にまで昇華させている

深夜営業のビストロみたいなところで
チャリティとオスカーが
お互いの行き違いを修正していく光景などは
コンサバティブと思えるほどまっとうで
でも役者達の言葉の間に
ふきだしたくなるような間があって
ぐいぐいと引き込まれていく
2つのテーブルの座り方や
攻守?の取り方も・・・
あれってミュージカルというよりも喜劇の王道ですよね
しかもよくできた会話で今見たって全然陳腐化していない・・・

こまかい感想などは別の記事にかきますが
一部をかじっても通してみても
本当に見ごたえのある映画だと思います

アマゾンで注文してから中一日で着たのにも驚いたけれど
こういう映画が作られていたアメリカって
まさにgood old daysなのかもしれませんね・・

うん、よいお買い物でした

R-Club

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演劇を映像で(一部改訂)

劇団新感線を最初に見たのは
「スサノオ」でした。
当時は青山円型劇場という
いまでは信じがたいようなところでの舞台でした
手作り感がたっぷりで・・・
今とやっていることの根っこは同じなのですが
劇団の進化とか成長というのはそういうことなのですね

最近はチケットがとりにくいのと価格が高いので
元はとれるだけの価値があるとはわかっていても
あまり見に行く機会がなかったのですが
たまたま、今年の春に公演があった
「髑髏城の7人 アカドクロ」の舞台を映画にしたものを
銀座でやっているので見てきました
作品の映画化ではないです。舞台をそのまま撮影して
編集して、映画館で見せるという試みです
だから舞台上の制約的なものもかなり残したままでの映像表現です

「髑髏上の7人」はこれまでにも2回みているので
親しみは多いのですけれどね・・・
一度目は池袋の西口でのテント公演でみたし
2度目は97年に沙霧をみっちょん(芳本)がやっていたのを
覚えています

極楽太夫役は一回目が羽野アキ、2回目が高田聖子だったかな・・・
たしか・・・

話し自体がよく出来ていて・・・
しかも、役者のキャラクターに当てて書かれた部分と
コアになる創作部分のバランスがよくて・・・
で、バージョンが変わるごとに背骨を残しておきながらの微調整の部分がたまらない
今回の映像でも、2004年バージョンに関してそのへんのことは十分に伝わってきて
楽しめました

ただ、舞台と映像の違いが残るのもまた事実で・・・
悪いことばかりではないのですけれどね・・・

一番思ったのは、シーンの持つ強さというか印象が
生の舞台と映像にして編集をかけたものではかなり違うということ・・
映像の場合は作り手が見せたい部分が強く明確になる反面
舞台全体の空間としての機能、
無意識に観客が見て得られる何かが
削がれているような気がする
舞台を映像を見ていても、見る前に危惧していたような
強い違和感はないのですが
実は舞台の空間のなかで
自然に観客が視線を集中させる部分が
観客にはなにげに強制されているわけで・・・
映像であり、視覚と聴覚以外の(空間としての)情報を
銀幕上では表現できないのだから
しょうがないといえばしょうがないのですが・・・

それと、けっこう強く感じたのは
観客が受け取るイメージの強さは
実は映像のほうが強いのですが
全体の繊細さには欠けるということ
たとえば緩やかに流れる時間にただよう気配のようなものの表現が
映像ではできず、その分視点を強制的に舞台の一点にひっぱることで
ニュアンスや舞台上の要点を表現していくような感じになります
一方で、作品の骨格となる部分は映像の方が明確に伝わる部分もあって・・・
たとえばストーリー自体はむしろ映像で見たほうが明確になっているような
気もします。

また、アクションシーンも映像の方が鮮明に動きが見える気がします
ただし、アクション時に新感線の舞台がもつ
空気の重さや光の美しさなどは
映像から感じることができませんでした

9月下旬に「Sweet Charity」の日本版DVDが出て、
その中の特典映像で
BoB Fosseは舞台と映画の作成上の違いを
明確・簡潔に述べていますが
その違いをある種乗り越えるチャレンジにもなるような今回のこころみは
あくまで、同じ作品の同じ空間の記録が
媒体の特性からどのように観客をとりこむのかの
良い実験だったような気がします

古田新太氏が「映像だからわくわく感が低い」みたいなことを
開演前の場内へのご注意(録音)で言ってましたが・・・
決してそんなこともなくて・・・
後半髑髏城に主人公が入り込んでいくシーンは
結末を知っているくせにけっこう浮揚間のようなものがありました
ただ、映像の中の舞台は生の舞台上と同じ物ではけっしてありえない

舞台を映像にして見せることの功罪を考えるのは
正直なかなか難しいですが
舞台を映像化することによって変化する
さまざまな要素への対応や
むしろそれらを逆手にとったような使い方が
ノウハウとして蓄積されていくと
おどろくほど観客に新たな感動を与える
なにかが出てきそうな可能性は十分あると思います
そうなれば舞台という一次的な素材をもとに
新しいジャンルの作品が創作されリメークされて
私達を十二分にたのしませてくれるのかもしれません

ところで、話はぜんぜん違うのですが
映画館って劇場にくらべて本当にゆったりとしていて・・・・
演劇と比べて映画はすわり心地のよい場所でみることが
できるのですね
あたりまえのことにいままで気づきませんでしたが
映画館で作品をみながら、リラックスしていく自分に
ちょっとびっくりしてしまいました
あんなに結ったりいすを置いたら
舞台の場合距離が遠くなりすぎて・・・
これも映像の隠されたメリット???

まあ、黎明期にはいろんな発見があるものです

R-club

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