よい戯曲とは・・・
土曜日に見てきたシス・カンパニーの
「ママが私に言ったこと」は
いろんな意味で贅沢なお芝居でした
青山円型劇場というスペースは
中央の円形舞台から客席までが最大でも
6~7列ですから役者の吐息までが直接観客に伝わるような空間
そのスペースで木内みどり・渡辺えり子に
大竹しのぶ・富田靖子までが演技をするのですから
それは見ているほうもすごいことになります
実は、その中でもほぼ真ん中のブロックの1番前の席が偶然とれまして
その迫力たるやもう・・・
一番最初に気づいたのは
女優たちがまとうパフュームの香り・・・
もちろんあの空間だからできることなのでしょうが
女性達の物語にその香りでいざなわれたような・・・
そして、舞台もクロスステッチ刺繍の上、
さらには舞台頭上にクロスステッチの裏側が飾られていて・・
導入の部分からしっかりと観客を取り込む仕組みができている
物語は現実の時間も入れ子になっており
さらに現実の外側の場面もあることから
けっして単純ではないのですが
背骨がしっかりしている台本で
見るものを迷わせないうまさがあって・・・
しかも背骨がしっかりしていることから
役者達は本当にのびのびと自分の演技が出来ている感じで・・・
それは物語の中心にある演技だけではなく
背景ともいえる演技にまで役者達の心が息づいている舞台
たとえば洗濯物をたたむ木内みどりのシェイプの美しさ・・・
彼女の台詞の背景となる彼女自身をあらわす継続的な動作の巧みさ
あるいは、ソリティアの玉を無心に動かす富田靖子の一途さ
そして思いつめた彼女の瞳の強さ
渡辺えり子のちょっとルーズな感じも
彼女が舞台にある間しっかりと維持されているから
やがて彼女の最後につながるシーンで彼女の尊厳に繋がっていく
大竹しのぶが見せる強さ・・・
しかしその中にあるもろさというか弱さをきちんと内包させ続けて・・・
その演技があるからこそ
あれだけ卓越した感情に対する表現力があっても
他を凌駕するような舞台(奇跡の人をヘレンケラーの物語ではなく
サリバン先生の物語にしてしまうような・・・)にならず
彼女が娘と母の連鎖のひとつの縫い目として
観客は舞台上の彼女を見ることが出来る・・・
そういう流れが自然に舞台を支配しているような豊潤な空間・・・
演出の勝利という部分もあると思うのです
それは台詞回しとか役者の動きとかだけではなく
舞台上の密度の強弱のつけ方のうまさも含めて・・・
たとえば物語を壊さないぎりぎりの部分で
しーちゃん(大竹)えり子(渡辺)が遊べるような時間をつくったり
畳み込むような物語の流れに生まれていない登場人物の視線をからめたり・・
もちろん、これだけの役者が上がる舞台ですから
感情の流れもしっかりと役者のなかでコントロールされているし
それらの相乗効果があるとすれば
クオリティの高い舞台が生まれるのも当然なのかもしれません
しかし、この戯曲には役者達に力を出させるような
それだけでない何かがあるような気がしてなりません。
物語に説明を要しない普遍性があるというか、
役者の示す感情に無理が生まれないというか・・・
男性の私が女性の心の動きをこれだけ納得できるという裏には
役者の力が観客に素直に伝わっていく構造のようなものが
この芝居にはあるような気がしてなりません
まあ、小難しい小理屈を並べてはみても
本当に良い舞台をみたなというのが正直な感想なのですが・・・
たとえば
大竹しのぶさんの演技、あれだけ近くで見ることができて
本当に感銘を受けました
彼女の想いは解釈を経ることなくダイレクトに心を揺さぶってくる
それはやわらかくゆっくりとしみこんでくるような
木内みどりさんや渡辺えり子さんの演技に支えられて
特にそう感じるのかもしれませんが・・・
一方富田靖子さんの表現する無邪気さと透明感は
他の役者さんよりずっと鋭く尖っていて、
それはそれで魅了されました
しかし彼女の横顔の美しさはどう表現したらよいのでしょうね・・・
芝居というのは無限の組み合わせの中で
生まれるたった一つの空間を楽しむものだとおもうし
これだけの空間にめぐりあえるというのは
僥倖の極みだともおもうのですが・・・
よい戯曲とは僥倖を生み出すだけのチャンスを
きちんと役者に与えるだけの仕組みを内包した
物語なのかもしれません
そこに戯曲に耐えうるだけの力を持った役者が集まると
このように観客を十分に満たす舞台が生まれるということなのでしょうね・・・
10月3日まで公演は続くようですが
この舞台、チャンスがあるのならぜひぜひお勧めしたい一本です
なお、詳しいお芝居の感想は
R-Club
をどうぞ・・・
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