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しっかりとした演技

R-Club本館にも感想を書いたのですが
日曜日(6月27日)に見に行ったポツドールの公演は
なかなか見ごたえのあるものでした
演劇のページなどでは賛否が分かれているようですが
私にはとてもクオリティの高い舞台と感じられました

なかでも女優の皆様が本当によくて・・・
安藤玉恵さんの才能には
かねてから注目していたのですが
今回のイケイケ姉さん役は
本当にしっかりとした演技という言葉が
ぴったりの横綱相撲でした

存在感があるのですよ
舞台のなかに観客を自然に導くような力がある
一種のフェロモンなのかもしれませんが・・・
女性の作られた色気というよりは
普段の生活のなかで女性が発散するような
なにかが観客の目を彼女にひきつける

それは大竹しのぶさんや深津絵里さんがもっているのと
どこか同じだったりするわけで・・・
彼女にはさらに女優として大きくなるスペースがあるような
そんな気がしました

人間は生まれながらに公平であるなんて大嘘で
生まれつき天から与えられた才能というものはあるわけで・・
そういう意味では今回の女優人は
みんななにかしら光り物というかよい色をしっかりもっている
恵まれた人ばかり・・・

坪内有子さんのずるさや大西智子さんの抱かれる必然みたいなものの
表現もしっかりと説得力を持っており
リアルをどこか凌駕した趣すらありました
こういう演技は舞台を本当にふくらませます

芝居の内容は、実は差別や憎しみの構造がモチーフとも
おもえるような、エスプリの効いた
愛憎劇というか、静かな演劇の超ぶっちゃけ版といったおもむきなのですが
それが教条的になったり、理想論やシニカルなにおいに染まらないのは
やっぱり役者のきちんとした真摯で地道な演技が
根本をささえているからに違いないわけで・・


なんかよいものを見た後ってとてもうきうきしますね
とてもよい気分で7月を迎えられそうです

お時間がありましたら
ぜひ本館の感想文も覗いてみてくださいな

R-Club

今度の週末は双数姉妹・・・
前回の公演は本当によかったですからね・・・

今回も楽しみだ

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アラカルト

夏から秋は結構幸せかもしれません
なにせ興味深いお芝居が目白押しですから・・・
ナイロン100℃、G2プロデュース、ねずみの三銃士(!?)
シーズカンパニー・・・

ところで、目白押しの語源って、地名からではなく
鳥からきているのですってね・・・
メジロと書いた方がわかりやすいのかも・・・

なにかを楽しみにするって
大事なことなのだそうです
「もういくつ寝るとお正月・・・」みたいな気持ち

たとえば、今週末は日ハムの東京ドーム(VSオリックス)と
ポツドールのダブルヘッターですが
それが何とか平日平気な顔をしてお仕事ができたりする・・・

それはアンカーのようなものかもしれません
現実に埋もれそうな自分を
ちょっとすてきな慰安につなぎとめておくための
ちょっとしたおもしのようなもの

楽しみといえば
7月16日に出る「Paris Match」も結構楽しみです
Quattroも結構お洒落だったけれど
今度の作品はそれを越える何かがありそう
もういくつ寝ると7月16日・・・・?

考えてみると
振り返る日々は一品料理のような記憶になっているのですが
実はアラカルトがテーブル一杯に並んでサーブされるのを待っている
ような状態なのかもしれません

都会に生きる・・・
ウッディアレンのように
ちょっと偏屈でリッチな幸せの日々・・・

悪くはないといいながら
でもぼんやりと流れていく時間・・・

けっこう私達って贅沢に時間を
使っているのかもしれませんね

Peanuts Book風に言えば
幸せとは
定食では味わえないなにかを食べること・・
なんかとりとめなくなってしまいました


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店頭購買チケットにまつわるドラマについて

最近はインターネットでチケットを取ることが多くなって
あまり並ぶということがなくなってしまいましたが
久しぶりにチケットのために早起きして
カウンターに並んでみると意外な感動があり
ちょっと自分でもびっくり・・・・

お目当てはシーズカンパニー(大竹しのぶさんのプロデュースカンパニー)の
「ママが私にいったこと」
出演者がすごいのですよ・・・
大竹しのぶ・渡辺えり子・木内みどり・富田靖子
一人一人が十分主演をはれると言うか
舞台を自分の色に染めることが出来る方達ばかり
大竹しのぶさんなんて、奇跡の人のヘレンケラーを
脇にしてしまうくらいの力がありますし
富田靖子さんが役に入ったときのすごさ、
渡辺えり子さんの底力
木内みどりさんだってある種の存在感は誰にも負けませんから・・・
で、このすごいタッグマッチの会場は青山円形劇場。
なんだかくらっときます。
チケットはたぶんプラチナになること間違いなし・・・

シーズカンパニーの優先ではPiaの店頭販売が同時だったので
(このはがきをお持ちの方には店頭販売・・・)
確率を考えてこれはいくしかないなと・・・
某チケットPiaの窓口で並んだ次第です

チケットを買うまでにはけっこうドラマがたくさんありましてね・・・
まずプロのいるカウンターでなければ悲惨なことになります
クールで客の要望の最大効率を読めるカウンターって
実は結構少ないのです。
むかし昔・・・、スペースゼロのチケットカウンターには
本当のプロの女性がいてその客さばきのすばらしさに
舌を巻いたものですが、最近は行かなくなってしまいましたね・・・
でも今日行った某カウンターもけっこうすばらしかったです

どきどきの1
まずそのカウンターで何番目に並んだかで
チケットがとれるかどうかの半分は決まったようなものですので
そこが確定する、(渡された申し込み用紙に記載された番号をみる)までに
ちょっとした緊張感が走ります
通常は発見の30分前くらいに申し込み用紙が配られるのですが
それまでに並んでいるひとを何回も数えたり・・・・
ちなみに今日は9番でまあまあのポジションでした

どきどきの2
10時になるとカウンターの中のスタッフの動きがとても
気になり始めます
1番からどんどんチケットを取っていくのですが
渡すまでには多少の時間があって
その間に携帯で予約の電話をかけ続けたりします。
(窓口で予約が取れないときにも先に電話で予約ができて
救われたことが何度もあるので・・・)
しかしかからない・・・
「おかけになった電話番号は現在大変込み合ってかかりにくくなっております・・・」
やばい。
「しばらくたってからおかけ直し下さい」
そんなことしたらチケットなくなっちゃうよ・・・
その間に別の試練もあって、順番をはずれて番号がカウンターから呼ばれると
もうがっくり。
チケットが売れてしまったというお知らせであることが普通だからです
なんだか「コーラスライン」のオーディション結果発表みたいな感じ
でも指を動かし電話をかけ続けながらさらに待ちます

どきどき3
NGチケットコール(!?)の番号が自分のものをとんでくれると
次にどんな席がとれたのか気になります
今回は青山円形だからそんなに席の優劣はないと思うのですが
それでも、ここはというような席はありますから・・・
むちゃくちゃよくなくてもよいから一応普通に観ることができる席でありますようにと
スタッフからの提示があるまで妙にびくびくしたりします

で、ゲットした席は9月18日ソワレ(第一希望)のAブロックの最前列
思わずスタッフの方にお礼を言ってしまいました
考えてみれば今日は野田秀樹さんところの「赤鬼」の店頭優先もあったので
演劇ファンの皆様はそちらに走ったのかもしれません

でも、これだけのドラマを自分の中に内包してとったチケット
実際に観劇するときの力の入れ方が違います
無駄なことに思えても、何かをつかむための
競争の障害物って人を活性化させるためには
大切なのかもしれませんね・・・

久しぶりに一本の芝居にめぐり合うために昔重ねていた努力を
思い出してしまいました

R-Club
お芝居の感想などなど


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雨に歌えば・・・ララララ・・・ラ

このところ梅雨の中休みなのか
天気のよい日が続きます。
台風が来ているみたいですけれど・・・
まあ、週末までは大丈夫・・・
湿気もこの時期にしてははるかに少なくて心地よいですね・・・
外の公園でお昼ご飯だと、ほか弁もおいしく感じます
紫外線が一番強い時期だそうで
肌にはよくないようですが
その分街全体が鮮やかに映える感じですね・・・
で、梅雨が戻ってきて・・・
バケツをひっくり返すような雨が何度か降って夏がくる・・・

ちょっと長いふりでしたが・・・
たまたま先週末にインターネットでDVDを発見して
ちょっと衝動買いしたくなったのが
Singin in the rain
邦題は「雨に歌えば・・」だったかな・・・
B’wayでも舞台化されていていくつかの思い出もある
舞台でした

Gershwin Theaterを大改造してオープンしたのが真夏で・・・
当時マンハッタンはかなりの水不足・・・
今日の雨は循環式の水をつかっておりますなんてアナウンスが流れておりました
オープン当初は客もあまり入らなくて・・・
客寄せに出演者が黄色の雨合羽を着て5番街を宣伝して歩くなんてことも・・・
その後、評価が次第に高まり、けっこうチケットが取りにくいステージへと
変わっていきます

主人公がタイトル曲を歌うシーンでは
これでもかというくらいに舞台上に雨が降り・・・
結構圧巻だったのですが
それ以外にもミュージカルの正統的な醍醐味があちらこちらにあって・・
「早口言葉の歌」みたいなのがあって、それがタップに発展していく
シーンは見るたびにわくわくしたものでした

主演はDon CorreiaとMary D’Arcy
で、ある日Don Correiaが休演しUnderStudyが
告げられた・・・
観客はがっかりして、なんともいえないため息が場内にもれたのですが
彼は気合の入り方がちがった・・・
切れがよいタップ、声量豊かな歌声・・・
あんなに自然にスタンディングオベーションが起こった舞台って
私の見た中でもそうあるものではありません
Broadwayの底力というか・・・

最近、芝居を見るときふとおもうのです
なれや先入観を捨てて芝居をみることで
新しい発見がたくさんあるって・・・
たくさん芝居を見ると、ついつい慣れや先入観に支配されてしまうのですが・・・
自分の勘を研ぎ澄まして芝居を見るって
大切なことだと思います

ポツドールなどを見る機会を得たのも
自分の好奇心に正直だったから・・・

疲れていても
耳をふさぐことなく目を閉じることなく
毎日を過ごして行きたいと思います

なんとなく、お天気のよさに誘われて
ふっとお昼ごはんにいく途中に考えてしまったことでした

R-Club(お芝居いろいろ)

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モンティパイソンごのみ

昔、モンティパイソンをはじめてみたとき
私が感じたのは「毒」と「開放」でした
なんだか相容れないニュアンスの取り合わせですが・・・
でも、間違いなく私の心にうかんだイメージでした

「開放」で示したいニュアンスには
すこし説明がいるかもしれません
モラルとかいろんなフレームのなかで成り立っていたものを
いきなり壊してしまうような部分が
モンティパイソンにはあって・・・
で、既成概念からの「開放」
同時に、自分の枠のなかで組み立てていた物語が
みごとに方向をくるわされるような感覚
で、自分からの「開放」
シニカルが悪い意味ではないとしって
常識からの「開放」

要はそれまでの自分の枠をモンティパイソンは
開放してくれたのです

モンティパイソンから影響を受けたのは
別に私だけではないようで
いろんな劇作家の作品にその影響が見て取れます
例を挙げれば、ケラリーノサンドロヴィッチ氏が
モンティパイソンにトリビュートしたような作品を作っています
ただ、ケラの作品はちょっと洗練されすぎていたきらいはありますが・・

もし、日本で一番モンティパイソンのテイストがある表現というか作品を
あげろといわれたら
Yahoo動画で現在見ることができる石橋義正氏の作品をあげます
なかでもバミリオン・プレジャーナイトは秀逸な作品で私の一押し・・・
「バミリオン・プレジャーナイト」ほどモンティパイソンの匂いを強く
漂わせた日本の作品を私は知りません。
監督の石橋氏は英国で映画の技術を磨いたそうなので
その影響もあるのかもしれませんが・・・
くりかえしの笑い・・・
風刺のセンス・・・
悪意に満ちた誇張・・・、あるいは善意のふりをしたブラックユーモア
モンティパイソンのテイストを形作っている要素を
「バミリオン・プレジャーナイト」はすべて持っているのです
そして日本人の私にとっては、モンティパイソン自身より
はるかに肌でシニカルでちょっとキッチュな
雰囲気を感じることができます

キュピキュピ・・・スパイラルホールに見に行こうとすら思ってしまいます

なんかすごくセンスが問われるような
見るものが試されるような
刺激的なものにめぐりあってしまったので
思わずの書込みでした

もちろん、おすすめの一品でございます

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シンプルで奥深い@ショーウィンドウ

それは、不可思議な一分間でした。
信号待ちの間、ショーウィンドウのなかで
繰り返し演じられるドラマ・・・・

モノクロのスクリーンに映し出された
黒人の女性が
息を吐き出す表情をすると
スクリーンの前につるされたパステルカラーのスカーフが
吐息にあおられたようにゆれる・・・
すこしまくれあがって・・・
女性の表情が元に戻ると
スカーフも何事もなかったように揺れを止める
それだけのパフォーマンス

物語は見る側にあるのだと思います
たとえば私にとっては
女性の吐息にこめられたものは私の吐息の具現化かも・・・
あるいは
私がかかわっていてふっとおろしたくなる重さへの
小さななぐさめなのかも・・・
もしくは私がなんとなく待っているものへの
柔らかな期待なのかも・・・
無表情でこちらを見る彼女がゆっくりと息をはくとき
それまでの気品に満ちた表情と
いたずらっぽいスカーフのゆれが作り出す
絶妙な、エスプリに溢れた、慰安
物としてそこにあるスカーフが
見るものの時間の中で生を受ける瞬間の
ちいさく確かな、ちょっとはまるような驚き

言葉は概念や輪郭を現す表現であり
仕草は面や色をあらわす表現なのかもしれません
概念や輪郭が取り払われ
深さをもつ面空間と色が提示されたとき
人は自らの言葉で、その空間に輪郭をつけるのかもしれません

数寄屋橋から銀座四丁目の交差点に向かって右側の
晴海通り沿いに
その、シンプルで秀逸な空間は存在しています

ちょっとよいものを見て得した気分の
仕事帰りでした

R-Club(お芝居の感想などなど)

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翻訳悲劇

私のメインページはInfoseekのサービスを
利用しているのですが
Infoseekのサービスに「翻訳」があってこれがけっこう面白い

日本語から英語っていうのは比較的うまくいくのですよ・・・
自分のHPを英語にしてもあんまり変という感じはしない・・・
問題は英語から日本語・・・

Newyork TimesのHP(劇評)の部分を翻訳してみると
けっこう笑えます

ブロードウェイのミュージカルなんかも以下のとおり・・・

42nd Street = 四十二番街
(これはまあまとも・・・)

Mamma Mia = 私のおかあさん
(そういうニュアンスではあるが・・・)

Little Shop of Horrors = 恐怖のちいさな店
(なんかちゃっちい)

Producers = 生産者
(お米? ヤサイ?)

Rent = 賃貸料
(なんか夢がない・・・)

まあ「オペラ座の怪人」なんかはちゃんと翻訳してあるのですが
どうもニュアンスが違うんじゃないのかとおもうような
訳になりやすい

考えるに日本語の間口って
英語より広いのかもしれませんね・・・

翻訳劇の限界というのも
ひとつには言葉の幅の相違にあるような気がします
加藤健一事務所の作品などでは
そのギャップをうまく包み込むような
工夫が見られましたが・・
でも一方で苦しさを感じる翻訳劇っていうのもけっこうあります。
作業として、言葉のギャップを舞台側で意訳していくのか
観客にニュアンスの翻訳をゆだねるのかみたいな選択もあるのでしょうが
しっくりいくものというか、言葉を越えた部分で
本来の作品のテイストと舞台上で構築される空間を
同じ色にするのは、案外大変な作業なのかもしれません

言葉の違いというのは
キャラクター(文字)の違いもあるのでしょうが・・・
言葉の広がりが決して一対一になっていない部分の難しさもあるのだろうし・・・
大きさが違うレンガを積み上げて同じ家を作ることにそもそも無理があって
それならば何々風の・・・みたいな割り切りで
自分のレンガの特質を生かした建物を作るのも
ひとつの正解であるような気がします

ちなみにこのぺーじに翻訳をかけると
以下のよう・・・

ちょっと見る気がしないけれど・・・
忘れていた英語を思い出すのには
よい訓練かもしれません

Although my main page uses service of Infoseek, service of Infoseek has "translation" and this [ its ] is fairly interesting. English っていう goes comparatively well from Japanese... Even if it makes its HP into English, touch are too strange is not carried out... A problem is Japanese from English... If the portion of HP (dramatic criticism) of Newyork Times is translated, it can laugh very well. Passage of the following [ musical / something / of Broadway ] ... 42nd Street = No. 42 town (this is honest well ...) Mamma Mia = My mother (although it is such nuance ...) Little Shop of Horrors = Small store of fear (ちゃっちい) Producers = producer (U.S.) YASAI? Rent = Rental (there is no dream ...) well -- "Phantom of the Opera" -- although something is translated perfectly, it tends to become a reason for thinking whether nuance is different somehow Is it what is larger than Japanese frontage って English thinking? ... Although a device which wraps the gap in the work of the Ken-ichi Kato office for which I feel it the limit of a translation play, that is, one that it is in a difference of the width of language well was seen, there is also translation 劇っていう which feels painfulness by one side also by .. very well. Although it sees whether translation of nuance is left for whether the gap of language is freely translated by the stage side to a spectator as work and there is also selection [ た / selection ], that it is unexpectedly serious work will make the same color space built on the taste of an original work, and the stage in the portion which called it what goes exactly or exceeded language. although the difference in language probably also has the difference in a character (character) -- ... -- the difficulty of the portion which is never 1 to 1 will also have a spread of language -- carrying out -- ... -- if unreasonableness is primarily to accumulate the brick with which a size is different and make the same house and it is it -- ... of what 々 style -- I feels that the direction which sees and makes the building [ た / a building / in which it is businesslike, and it came out and the As follows, when translation is incidentally applied to this ぺ-じ ... Although not felt like seeing just for a moment ... It may be training good for remembering forgotten English. well -- play っていう -- things ...

私の日本語が不完全で訳せない部分があるのがかなり悲しい
英語だの日本語だのって騒ぐ前に
お前の言葉をちゃんとしろということなのですね・・・

まあ、お遊びっていうことで・・・
でも、けっこう切腹ものかも・・
うーーん

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