チャイニーズスープ
いまや音楽界の大御所となりつつある松任谷由実さんが
まだ荒井由実さんだったころの名曲に
「チャイニーズスープ」というのがあります。
椅子に座って爪をたて・・・♪
いまでもたまにFMなどでかかっているのですが
彼女独特の声がラジオから流れてくるたびに
私はなぜかちょっとものうい平日の午後を思い出します
そして、たおやかな気持ちがゆっくりと
心を満たしていくのです
時々考えるのですが
人のやすらぎってどこからくるのでしょうか?
ただぼおっとしている時間にやすらぎがあるとは限らないとは
けっこう昔から気づいてはいたのですが
それでは自らにやすらぎをもたらす要素というのがなにかというと
どうも自分でも定義ができません
まあやすらぎに至るための方程式がわかってしまうと
常にやすらぎのなかに身をおきっぱなしにして
何かに感動するということができなくなってしまうような
気もするのですが・・・
ただ、歳をかさねると想いが満ちるためのいろんな
トリガーが生まれてくるのもまた事実で・・・
変わったところでは
少なくとも数年前まで読売テレビ(関西)の夜中の天気予報にかかっていた
アール・クルーの曲を聴くと(今でもかかっているかもしれないけれど)
すっと透明でなつかしいせつなさに襲われたり
スコットジョップリンの「Solace」という曲を聴くと
夏の夕暮れ時、家路につくやすらぎを感じたり・・・
多分自分しか知らないのに自分にはもう見ることの出来ない
いろんな体験が、なにかのご褒美がわりに
私にちょっとした幻を与えてくれているのかもしれません
芝居の中で、観客にある種の感情をあたえるための
テクニックにも、人が共通して持っている
ある種のトリガーを応用しているものがたくさんあります
そもそも効果音やBGMなんてやつは
一番基本的なものなのかもしれませんね
昔第三舞台は音楽を本当にうまく使っていました
1991年だったかの「朝日のような夕日をつれて」に
ザ・ピーナッツのRemix恋のフーガが出てきたような
覚えがあるのですが・・・
あれなんか震えがくるようだった記憶があります
人の心っていうのは実は真っ白いスクリーンのような
物なのかもしれません
そこに映されたさまざまなもの、映像や音、光、もろもろ・・・
それを見ている観客の自分がいて・・・
わがままな観客は天から与えられたものでは満足できずに
まるで幻覚を楽しむように、虚構すら求め
劇場なんていうところにまで足を踏み入れる
鞘が私の心なら豆は別れた男達・・・♪
やすらぎとは案外自らが眺めるスクリーンに
心地よいものが映っている状態なのかもしれませんね
うーーーん、ちょっと支離滅裂だけれど
なんかそんな気がする
ま、人の心っていうのはチャイニーズスープのように
ちょっとごった煮っぽくて、
あったかくて味わいの深いものでなければ
楽しくないですものね・・・
心のスクリーンに映るものは
少ないより多いに越したことはないのです
ところで支離滅裂ついでに
荒井由実について私の歳がばれるようなお話・・・
私が荒井由実を一番最初に見たのは
大学の一回生のときだったと思うのですが
当時の彼女は「恋のスーパーパラシューター」なんて曲を
ステージのつかみに使っていて真っ赤なジャンプスーツを着て
ステージに出ていました。
当時はまだ、フォークソングなどというものが全盛の時代で
彼女、(しかもなんとかフェスティバルのトリではなく1番目のステージ・・・
言ってみればまだ前座の頃)他のバンドたちから見ても浮いていましたね
ただ、「ルージュの伝言」を聞いたとき
ふっとフォークソングの時代は終わったんだなって思ったのを
鮮明に記憶しています
心って実は自分に対しても正直だと現実を凌駕してしまう
それまで自分で押さえつけていた自分の心が
ひそかな造反をして
自分が見るものや聞くものに正直になることが素敵なことだと気が付く
一番最初のきっかけでありました
長文御免
お芝居の記録
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