ミルフィーユを召し上がれ
連休ということで、ちょっと時間ができたので
髪を切りにいって、パチンコをして・・・
で、イエローキャブのお姉さま方に貢いだ以上の金額を
横山やすし師匠にいただいて・・・
で、おまけにPS2版の「ドラゴンクエストV」まで頂戴いたしました。
パチンコを知らない方には何のことかさっぱりわからないかもしれませんが
世の中のある部分は間違いなくこんな風に動いています
自分が毎日見ている東京は自分の東京でしかなく
東京はこんな風にひろいのです
たとえば、時々怖くなるのですが
このようなBlogのページを見たり書いたりしている方が
東京にはどれだけいらっしゃることか・・・
窓の外をながめて物理的に見ることはできなくても
自分の見えない東京が
それだけおおっぴらに景色の内側に息づいているのです
鴻上尚史が「ピルグリム」にドラゴンクエストなどの
RPGを取り込み、
伝言ダイヤルといった当時の新しいコミュニケーションが
パラレルワールドのように東京に広がっているのを見せてから
まだ10年ほどしかたっていないのに
ポケベルから携帯電話、パソコン通信からWebと
まるでポップコーンがはじけるように広がった
新しい舌触りのコミュニケーションは
パラレルワールドといった3次元の概念を
はるかに凌駕してしまったようなきがします
でも、もっと冷静に考えると
その舌触りは材料が変わったわけではなく
調理法がかわっただけのことかもしれません
一方で調理法が変わったことで
材料の価値までが根本からかわってしまったことも
また事実なのですが・・・
PS版の「ドラゴンクエストV」は、スーパーファミコンから
多少の変化はあるものの
基本の部分はなにもかわらず
相変わらず普遍的なストーリーを内包することにより
人をひきつけて話さない物語を
プレイヤーに与え続けてくれます
しかしゲームの記憶媒体はチップからDVDに変わり
画像ははるかに美しく訪れる場所や登場人物のイメージまで
変えてしまいました
結局は
それが時代というものなのかもしれません
ただ、窓から見る景色からはどうやっても見ることの出来ない
新しいテイストの神経細胞のようなものが
調理法のバリエーションの分だけ広がったという
それだけのこと
小麦粉を一枚のパンにするのではなく
うすい生地に伸ばして焼いて
幾重にもかさねて
ミルフィーユのようにして
食べるのが今様ということなのかもしれません
鴻上さんは
パンを薄く切ってサンドイッチをつくるところまで
気が付いたのだと思います
ただ、同じ小麦粉でミルフィーユを焼くと言う発想がなく
パンをもっと薄くしてダグウットサンドを作ろうとしたところに
最近の彼の作品が見せる
根本的な部分での破綻の遠因があるような気がします
ま、世の中は大型連休で
街にはちょっと人が少なくて
私も旅に出て、外側への旅にではなく、内側への旅に出て
この場所、首都圏に、
パラレルに流れる時間を
ミルフィーユを楽しむようにほおばって・・・・
ただねぇ・・・
私は連休中にドラクエの旅を終えることができるのでしょうか・・・
ちょっと不安
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コメント
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投稿: qjnbdogmh wihe | 2007/09/24 17:26