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実感と概念の間

以前からいつ逝くのかわからない状態でいた
うちのペット(モルモット 6才)が昨夜ついに天に召されました
先週くらいから脚にもう力が入らなくなっていて
生きているのが不思議なような状態でしたが
それでも、夜流動食をゆっくりと食べて
飼い主を安心させておいて・・・、
未明に横転して立てなくなり
私の腕の中で抱かれ続け
明け方に・・・、ゆっくりと呼吸に疲れたようにひとつしゃっくりをして
なくなりました。

死についての戯曲はたくさんあります
死自体がモチーフになっている作品も多いですよね・・・
ただ、自らが愛するものの死に直面すると
死を描くさまざまな含蓄のある言葉が
すべて概念という枯れ木の森を吹き抜ける風音に思えるから
不思議です
私は腕の中で死んでいくものに
その死を納得させるような舞台のシーンを当てはめようと
記憶をたどったのですが
結局見つけることができませんでした

もちろん、芝居における死の概念を否定するつもりはありません
枯れ木であっても、そこに緑の大きな葉を見せるのが演劇の力なのですから

ただ、舞台の現実をどれだけ重ねても
創作の世界が現実の感情を凌駕するには
現実の感情を舞台上のドラマに導かない限り
難しいのだろうなと
ふと思ったことでした
舞台創作とリアルの関係を否定するわけではないのですが・・
料理で言うと野でつんだイチゴのみずみずしさを味わうことと
パティシエが腕によりをかけたイチゴのムースを楽しむことを
同列で比較することはむずかしいということなのかもしれません

そういえば、亡くなったモルモットの「こもる」はいちごのへたをおいしそうに食べていましたっけ・・・
思い出すとかなり悲しい・・・

R-Club


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