Accuradioを聴きながら
私が芝居をみはじめたのは1980年代で
まだ、「つかこうへい事務所」とか「自由劇場」とかが覇を競っている時代でした。
博品館劇場の「上海バンスキング」がとんでもなくプラチナチケットだったり・・・
最後の「Swing Swing Swing」が終わると出演者達はみなロビーに出払って
そこで吉田日出子が極上のスタンダードでお客を送り出すという趣向でした
いっぽうでは
自転車キンクリートがタイニィアリスで公演を打っていたり・・・
「Midnight Upright」だったかな・・・・
躍進するお嬢様芸なんてキャッチフレイズもありました
タイニィアリスのちかくには
「いこい食堂」なんて洋食屋さんがありまして
シャッスール(カツをケチャップでいためたご飯の上に載せた料理、
トルコライスなんて呼び方もあった)やビーフシチューがすごくおいしくて・・・
一度小さん師匠がビールを飲みながらビーフシチューを食べていたのを
観たことがあります。
真っ赤な顔で本当においしそうにグラスを飲み干していた・・・
その飲み方がなんとも言えず粋なので、私は自分の食事を忘れて
見入ってしまったことです
タイニィアリスといえば「青い鳥」の公演で
窓から出演者が入ってきたのにはびっくりしましたが・・・
私がたまたま見た日は晴れていたけれど
雨の日とかどうしていたのだろう・・・
公演のたびに店の前にはしごをかけられた当時のゲーセンも
迷惑だったでしょうが・・・
最近の私のお気に入りにAccuradioというインタネットラジオの放送局があって
そこでは細分化されているチャンネルでいろんなジャンルの曲だけを聴くことができます。
中に’80代の曲ばかりをずっと24時間かけているチャンネルがあって
当時街ですごくとがった曲として流れていたナンバーがてんこ盛りになっていて
ぼんやりと聴いていると時間が戻ってしまうよう・・・
80年代、社会人になって一年生、紀伊国屋かよいのころ
あのころから比べると演劇の世界も成熟したような気がします
それは単に役者が増えたとかそういう問題ではなく
もっとも演者が成熟していったのか
演者とともに私が年老いていったのか
難しいところなのですが
少なくとも、表現されるものの深さを当時よりずっと感じられるように
なっているのは事実です
何年か前に青山円形劇場で別役実の戯曲が新しい演出で
連続して上演されたことがありましたが
通し券をかって見に行ったとき、初演の雰囲気がどのようなものだったのか
すごく興味を持ったことを覚えています
逆もあって、たとえば鴻上氏の「朝日のような夕日をつれて」が
何年かして鴻上氏の手を離れて演出される日が来たとき
私はその演劇にどんな感想をもつのかすごく楽しみだったりします
あの紀伊国屋ホールに存在した熱狂に近い時間を思い出しながら
私は新しい「朝日」を見ることができるのでしょうか
「リーインカーネーション、生まれ変わりを私は信じます」
という台詞を聞いたとき、私は当時の感覚を心によみがえらせるのでしょうか・・
現在bananarama演奏中・・・
携帯電話もまったく一般的ではなかった時代・・・
ワイヤーで繋がれたコミュニケーションの時代・・・
音楽が突然私をタイムスリップさせます
記憶のあいまいさ、記憶へのいとおしさ
私自身と音楽との間の希薄で確実なリンクのなかで
私は舞台の上での現実や自分の感想を記録していきます
自分の未来に対しての語り部として
芝居を見つめ自らに問いながら
気まぐれに文章をつづり
R-Clubに文章を蓄えていきます
現在Men At Work演奏中・・・
Accuradioで時間と空間を飛び越えて
音楽が記憶と感情の鍵を開けるのを半分楽しみながら
日曜の夜、ゆったりと自分の思うことを再確認してゆきます
けっこうこんな毎日、特に週末の終わりを・・・・、私は気に入っているのですけれどね
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