キリンバズウカ 「スメル」ウィットに潜んだ表現のすごさ、それを支える役者のすごさ

2009年7月4日、キリンバズウカ「スメル」を観ました。場所は王子小劇場。実はこのお芝居、10日前にワークインプログレスを拝見させていただいていたのですが、その時にも本当に心を惹かれて・・・。

で、初日に観た本番は・・・・、WIP時の期待をはるかに上回るものでした。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください。特にこれから公演をご覧になる方は、格別のご配慮をお願いいたします)

ごく近未来、職がないと東京から退去を命じられるという永住禁止条例によって、東京に住むためにごみ屋敷の清掃をせざるを得なくなった若者たち。その家に暮らす母親の歳ほどの女性に関わらざるを得なくなって。東京に出てきて定職を得ることができず、でも帰郷する気にもなれない、戯曲上の表現を借りれば帰るタイミングを失った者たちの姿が浮かび上がってきます。

一方、その家に本当にしばらくぶりに娘が帰ってきます。ゴミの整理に来ていたメンバーの中に元の同棲相手を見つけたりするなかで、母親との確執や、不治の病に冒された彼女の諦観が少しずつ明らかになっていきます。

ゴミを集めることをやめない女性と、そのゴミを整理することによって東京での暮らしを続ける人々、さらにはその娘から広がる繋がり・・・。架空の条例によってデフォルメされた世界の中に、帰る場所があってもその場所に住みつづけたい気持ちや住むことができても帰る場所がない不安定な想いが、高い解像度をもった表現のなかで観る者を浸潤していきます。観客に沁み込んでくる様々な想いには、さりげない表層と裏腹に常ならぬ深さがあって。

作・演出の登米裕一は、ウィットの効いた語り口で、舞台上のキャラクターたちが作り上げる世界に観客を引き入れていきます。また、それを具現化する役者たちにも底力があって、ぐっとひと膝前ににじり出たくなるようなシーンが次々と重なっていきます。

たとえば、浦井大輔が演じる男が深谷由里香の演じる女性に結婚を匂わされて感極まり嗚咽するシーン、浦井のリアクションは深谷が伝える想いとどこかずれていて客席に笑いが起こります。でも、浦井はそのずれを単なる滑稽に終わらせず、彼の内側に積もっていた想いとして観客に伝えていくのです。さらには深谷がしなやかに表現したキャラクターの想いまでもすっと舞台に映えさせる。

細野今日子が永山智啓に頭突きをくらわす場面なども凄くよくて。永山の話を聞いた細野の気持ちの変化が、頭突きのあとの一呼吸の沈黙からしっかりと観客に伝わってきます。コメディエンヌとすら思える細野の無表情は、観るものを彼女の想いにすっと染めあげたうえに、永山が醸し出すちょっとへたれなどうしようもなさに実存感を与えいくのです。

それらを含めたたくさんの秀逸なシーンは、単にキャラクターの色を場に供するだけではなく緩やかな波紋を舞台に残していきます。時間差のように現れる波紋の重なりからキャラクターの心情がストンと観客に入り込んでくる。WIP時には、どちらかというと一つの事象として淡々と演じられていたシーンの多くに絶妙なふくらみが生まれていて、ほんと、よくここまで作り込んだと演出や役者の力に感嘆するばかり。

なかでも母と娘のやり取りは実に見ごたえがありました。お互いにぶつかり合う姿には母娘だからこその距離感があって。そこには当然に家族というか血のつながりが浮かぶ。ぶつかり合うからこそ見える家族のフレームがあるのです。それが、互いの理解と許しのシーンにも実存感を与えていきます。

母親は、物語の中で「許す」という言葉を何度か叫びます。一度は産廃を家に持ち込んだ清掃ボランティア達に何回も。二度目は再び家を出ようとする自分の娘に・・・。最初の「許す」は、場当たり的に見えて、一方で彼女が彼女であるためにとにかく全部背負ってしまおうという覚悟のようにも思えて。そして、もう一度の「許す」は余命の定まった娘が母親の本当の気持ちを持ってその人生から離れていくことに対して・・・。一度目の「許す」を観て、母親の清濁併せ呑むようなやり方がわかっているから、二度目の「許す」にはぐっときました。しかも、そのあと母親自身が本当にそのことを受け入れる時間の表現がすごくよいのですよ。ちょっと我侭に泣くだけ泣いて・・・。最後は吉本新喜劇にでも出てくるような気持ちの切替え方なのですが、そこには若者たちの為にごみを拾ってくるような彼女なりの処世感が饒舌に語られていて。また、慰めてくれた男に朝ご飯を勧める姿には登米氏の母親感の片鱗も感じられたことでした。

役者のこと、都の職員を演じた遠藤友香理は、目鼻立ちのはっきりしたお芝居で物語の外枠をがっちり固めてみせました。作品の冒頭から職務的に揺れない女をきちんときちんと演じきって、舞台上の世界の前提ににぶれを生じさせないのです。さらには職務許容範囲内のズルに、したたかさの内側にある瑞々しい女性の心情が旨く表現されていて・・・。好演だったと思います。

深谷由梨香の演じる女性には、どこか淡い色があって、それが舞台をやわらかく落ち着かせていました。ある意味ふつうの女性を演じていて、遠藤が演じた女性とは逆に内側から舞台の色をコントロールしているような感じ。前述の浦井とのシーンでも想いの語り方がすごくナチュラルで、だからこそ、浦井の演技があざとさを残さないですんでいるようにも思えたり。その一方で細野の姉としての雰囲気も細かく作り込まれていたとおもいます。細野今日子には内面の想いをすっと観客に伝えることのできる力があって、今回もその才をいかんなく発揮していました。演技はしっかりと抑制されているのですが、観客の視線をなにげにひきつけるような力がこの人にはあって、で、伝わってくる想いに透明感があるのです。かわいさとあやうさと芯にある強さを一度に観客に伝えていくような表現のフレキシビリティも彼女の世界を深く広げていて・・。やはりこの人、ただものではありません。

浦井大輔は腰のあるお芝居でその力を見せつけました。一見飛び道具のようなキャラクターを作りながらも、内包しているピュアな部分をしなやかに表現してみせる。前述のシーンでもそうだし、後半、産廃を家に持ち込んだシーンで耐えきれなくて謝ってしまう場面でも、彼が背負ったものがけれんなく観客にやってくるのです。切れのある軽妙な演技に目を奪われているうちに、裏側からゆっくりと強く揺すぶられる感じ。コマツ企画構成員の力量、恐るべしです。

花戸祐介はある種の無神経さをがっつりと表現してみせました。まわりの色に染まらない強さがきちんと出ていて。それが終盤の泣く母親をなだめるシーンのなんともいえない良さにつながっていました。永島敬三は実直な演技をずっと貫いていました。雌伏するというか野心をなにげに隠すようなお芝居が、貫かれていて。その演技の安定が一番最後のシーンでがっつり生きました。

河西裕介の演技から伝わってくるずるさもよかったです。弱さというか脆さを内包したキャラクターの小狡さが肌理こまかい演技からまとわりつくように伝わってくる。ちょっとやばい感じと気弱さのバランスの取り方が実に巧みで、キャラクターが持つ匂いをさりげなく舞台に散らしていました。折原アキラには存在感の出し入れのうまさを感じました。キャラクターがしっかり演じきられているから、舞台上でトーンを弱くしても色を残すことができるのだと思います。仲間が正社員的な職を得たという話を聞いた時の場の空気の作り方が絶妙。その場での彼の存在がきちんと観客側に残るのです。それが、産廃が見つかるシーンにつながっていく。こういう役者が舞台のクオリティを支えているのだと思ったり。

永山智啓は私がこの一年で一番たくさん観た男優かもしれません。観るたびにうまいなぁと思う。今回もキャラクターのPにまでなりあがった強さと、内面の脆弱さというか薄っぺらさの乖離が見事に表現されていて。前述の頭突きシーンもすごく印象に残ったし、その家の娘に「あなたは嘘をつく・・・」と言われた時の空気にも彼一流の演技力を感じました。ちゃんとそこにはバカラにはまり恋人の死から逃げ出してしまう男がいる。取り繕う姿から透けて見えるものの実存感が場の質感をすっと高める。最後の笑いを見て、この人はやっぱりうまいなぁと思うのです。

黒岩三佳のお芝居にも瞠目しました。彼女の演技からは演じるキャラクターが過ごしたであろう風景が見えるのです。ただ語られるだけなのに、しっかりとエッジの立ったスマートな芝居の緩急が、母親との確執や不治の病を宣告された時の半端ではない状況に陥ったキャラクターの姿を観客の深層に浮かび上がらせていきます。永山が演じる男が逃げたときの想いも観るものにまっすぐ降りてくるし、山菜採りに行って自分の分しかとってこない父親への気持ちもやわらかい感情とともに肌に染入るように伝わってきます。だから冷静な突っ込みも、シニカルな微笑みも、怒りも、悟りも、たおやかさも、上滑りしたり揮発したりせずに観客と共振しその心を揺らすのです。キャラクターが顕す諦観の色の深さや激高の切っ先の鋭さに息を呑み、直接伝わってくるような想いに鋭く心を動かされる。あひるなんちゃらやMCRなどでの彼女の演技も秀逸でしたが、今回のお芝居にはそれらとはさらに一味違った色の鮮やかさを感じたことでした。

稲川実代子は十分な奥行きを持った演技、なによりも舞台での存在感がありました。キャラクターがもつ凜と筋の通った部分と脆さが乖離せずに内包されていて、そこからかもし出される雰囲気に無理がない。観客が多面的に彼女を感じられるというか、彼女が舞台にある時間の密度がすごく豊かなのです。娘と対峙したときの「あやまらない」というひとことに込められた時間や、一方で前述の「許す」という言葉にがっつりと取り込まれた重さ。それと最後に朝ご飯の話をするときのさばさばした感じが違和感なくひとつのキャラクターに集約される凄さに目を見張ったことでした。

そうそう、舞台装置もよかったです。近未来的というかソリッドな下手のごみモミュメントと素通しに組まれたなった家屋の和室が、機能性と物語の印象を両立させていました。

Bowのあとの、短いシーンにもインパクトがあって・・・。冒頭からの伏線としても使われた「鼻血」というどこか下世話な印象を持ったものがそこはかとなく暗示する、うさんくさくお金を稼ぐことへの野心が持つダーティさのようなものにぞくっとして・・・。

さまざまなパーツを絶妙に広げ組み合わせて、東京で暮らすことや家族との関係をじっくりと俯瞰させる登米作劇に見事に引き込まれてしまいました。本当に含蓄のある作品で、観れば観るほど様々なことが伝わってくるような・・・。

この作品、もう一度観たいと思います。できれば週末。

R-Club

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さいたまゴールドシアター 「アンドゥ家の一夜」の唯一無二

2009年6月29日、会社の有給取得奨励月間の趣旨に従ってお休み・・・。で、半分あきらめてかけていた「さいたまゴールドシアター:アンドゥ家の一夜」を観てまいりました。

会場はさいたま芸術劇場。与野本町はうちの最寄駅から電車でわずか15分ほど。意外と近いのです。まあ、駅からなだらかな坂を7~8分上がるのですけれどね・・・。

作:ケラリーノ・サンドロヴィッチ 演出:蜷川幸雄

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

場内に入ると公開稽古場のような雰囲気にまず圧倒されます。

さまざまなシーンを繰り返し練習する老人たちの群れ。そして、それをサポートしていく若いスタッフたち。よく見ると蜷川幸雄氏もあちらこちらを回りながら一生懸命役者たちを指導している。

それは、とても「小」とは思えないスケールをもったさいたま芸術劇場小ホールの空間を十分に満たして余りある風景・・・・。セットもすごくしっかり立てこんであるのですが、役者たちの熱気がそれをなかなか気付かせてくれない。蜷川氏の魔術にその時点で翻弄されていたのかもしれません。

やがて、潮が引くように役者たちが下がって物語が始まります。

役者たちの演技に多少優劣が観られるのは事実。でも、演じることへの真摯さが観客になにかを伝えようという変な力みやあざとさに変わっていないのがすごくよい。観客にそれぞれが演じるキャラクターがまっすぐに観客に降りてきて、エピソードが積み重なっていきます。物語が棒状に語られるのではなく空間が重なり合っていく感触がちゃんとある・・・。プロンプターが一応ついてはいるのですが、よしんば台詞が飛んだとしても、それが大したことではないと思わせるほどの空気の醸成が舞台上にあるのです。

ケラ氏が紡いだ物語も、なんというかカードの切り方が絶妙で・・・。老人が演じるお芝居という遠慮などほとんどないがごとく、大ネタ小ネタ、飛び道具的なエピソードも盛り込んではあるのですが、たとえばナイロン100℃の公演などのように、シュールネタはすっと押さえて。すごくマイルドで理になかったシーンの積み重ねに観客もすっと舞台に入り込める。役者も観客もアクロバティックな離れ業でポイントを押し上げていくピンボールのような高揚ではなく、絶妙に設計されたコルフコースを一つずつ難易度を楽しみながら征服していくような充実感に満たされていきます。

前半登場人物の姿が実直に演じられているから、次第に個々がもつコアの姿が浮き彫りになっていく後半の展開にも無理がなく、ケラ氏ならではとも思えるさまざまな伏線も着実に花開き物語を広げていく。

たまたま、私の席が馬蹄形の席の一番下手側、しかも前から2列目だったもので、舞台をサポートする蜷川氏の姿も近くで拝見できたのですが、台詞を舞台に声掛けしたのは一度だけ。それも立ち往生をなんとかするという感じではなく、ここ一番の部分をがっちり支えるための応援のようなサポートでした。プロンプターというよりはむしろコンダクターといった感じ。

舞台は主人公の人生を俯瞰するような終盤に至ります。そこで、役者たちの年齢がしっかりと武器になって生きてくる。そりゃ、ナイロンの役者たちが演じればもっと鋭いお芝居がクリアに物語を表現してくれるのでしょうけれど、でもこの役者の、あるいはこの座組でなければ絶対に伝わってこないであろう色が舞台には間違いなくあって・・・。それは唯一無二の世界で。

3回のカーテンコールをした観客の拍手、決してご祝儀心なんかではなかったように思います。

これだけのキャラクターを書き分け物語を生みだしたケラリーノ・サンドロヴィッチの評判も、それを舞台に描きだした蜷川幸雄の名声も、そしてこれだけの空間を満たしきった役者たちの年齢の重みも、それぞれに伊達じゃないことを強く感じたことでした。

役者は以下のとおり、40名以上いらっしゃるのですが、この舞台を務められたことへの敬意と拝見させていただいたことへの感謝をこめて:

中野富吉・益田ひろ子・田内一子・小川喬也・高橋清・佐藤禮子・ちの弘子・倉澤誠一・遠山陽一・葛西弘・宅嶋渓・大串三和子・加藤素子・石井菖子・小渕光世・吉久智恵子・竹居正武・美坂公子・北澤雅章・田村律子・関根敏博・宇畑稔・林田恵子・小林允子・徳納敬子・石川佳代・滝沢多江・宮田道代・重本恵津子・森下竜一・竹居正武・神尾冨美子・高田誠治郎・中村絹江・小林博・百元夏繪・谷川美枝・都村敏子・上村正子・渡邉杏奴・西尾嘉十

蜷川幸雄氏の当日パンフレットの中のごあいさつからの引用ですが「優れたプロフェッショナルな演劇人との仕事はもちろん楽しいけれど、それとは別に奇妙なリアルが存在するこの舞台もまた演劇なのだ、と思ってくださるとうれしいです。少々病んではいますが---.。」とのこと。でも、「思ってくださるとうれしい」も何も、私が見たものはまごうことなき演劇の世界。それどころか私は、駅までの帰り道、そぼふる雨の中でなにが観客をこの3時間を超える物語に閉じ込め魅了したのかをずっと考えていたり・・・。

自分でも気がつかなかったのですが、強いインパクトをこのお芝居から与えられていたのだと思います。

「さいたまゴールドシアターのお芝居作り」、ゆっくりと、でもしっかりと、これからも続けていただきたいものです。

R-Club

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15 MINUTES MADE VOLUME6 いろいろと沁み込む

6月28日 マチネにて Mrs.fictions presents 15 MINUTES MADE VOLUME6を観てきました。
場所は池袋シアターグリーン BOX in BOX THEATER.
このシリーズを観るのは3回目、ここで知ってその後本公演を見に行った劇団もけっこうあって・・・。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください。)

今回も6劇団。主宰の今村氏のあいさつのあと、客電がついたまま、最初の劇団が舞台に登場します。

1.ロロ 「ボーイ・ミーツ・ガール」

 折込パンフレットに書いてあるとおり、男の子が女の子に会う話です。夢の話という感覚も言われればそのとおり。ただ、もっと解き放たれている感じがしました。
ある種の浮遊感がテイストとしてあって、一つの事象が歯止めなくすっと広がっていく感じ。過去の恋人のことも、今付き合っている人を守るという感覚も、その根というか記憶はどこか曖昧で、でも刹那の事象がとてもクリアに感じるのです。

それは台風のようにやってくる殺人鬼の存在感にも現れていて・・・。夢と現実のはざまにあやうく軽い感覚がすっと浮かびあがってカタストロフが実存しているような気がする。
なんというか、その不思議な口当たりに、強い嗜好性が潜んでいるようにも感じたり・・・。

作・演出: 三浦直之

出演:篠崎大悟 島田桃子 田中佑弥 望月綾乃 森本華 玉利樹貴

2.劇団掘出者 「パーフェクト」

ある男の部屋に突然女性が現れる。彼女は自分が母親だと言い張ります。そこにさらに男が現れて、今度は逆に女性がその男を拒絶する・・・。部屋の住人に関係のない話の先には、女と男の求めるものが浮かび上がってきて・・・。
役者の演技に不自然さを凌駕するような説得力があって、非現実的な設定の向こうに、実存感のある他者への期待や望みが浮かんでくる・・・。
狂気を感じる一方で、その狂気を否定しきれない感じがすごく印象に残って。

母親を主張する萩野友里の作る緊張感の変化にずるずるっと引き込まれるような感じがして・・・。その演技に目を奪われていました。

作・演出: 田川啓介

出演:荻野友里 澤田慎司 村松健 工藤洋崇

3.劇26・25団 「隣人と祝福」

この劇団は前回の本公演を観ています。

ひとり暮らしの女性が隣の部屋の独身男性の生活を盗み聞きするという、その女性の心情に生々しい実存感というか説得力があって。どこかコミカルでちょっと居心地の悪い舞台の空気がすっと膨らんでいく感じがうまいと思います。ビデオレターのあけすけさにも説得力がありました。

ただ、15分という時間にちょっとたくさんの感覚を詰め込みすぎた感じもします。

作・演出 杉田鮎味

出演:長尾長幸 林佳代 駒木根隆介 杉田鮎味 須藤真澄 **映像出演**赤萩純瞬 杉元秀透

(中入り・・・・、じゃなくて休憩)

4.バナナ学園純情乙女組「遊ぶカネがほしかった」

何度か観ている劇団でありまして、よくも悪くも彼女(!?)達でした。まあ、知っている人間にとっては楽しく観ることができましたが、初見の観客にとっては何がおこったかよくわからなかったかも。

本公演に比べても浅川千絵の存在感の大きな舞台で・・・。打率的な功罪はあるのかもしれませんが、彼女がこの劇団にとって大きな武器になっていることを再実感。

作:中屋敷法仁 演出:二階堂瞳子

出演:前園あかり 菊池佳南 加藤真砂美 野田裕貴 二階堂瞳子 ※まり ロロロ 浅川千絵

5.ワワフラミンゴ 「早く行け」

ぶっちゃけ、はまりました。この色ってすごくわたし好みかも・・・。どこか不条理で理不尽なのですが、すっとしみ込んでくる世界があって。その軽さというか口当たりがすごくよい・・・。

烏賊が夫という設定ををさらっと押し通すしなやかさも好み・・・。おいしいものをすべていれたおにぎりという設定にも不思議なおかしさがあって。

この劇団、本公演を見に行くともっとはまるかも・・・。

作・演出:鳥山フキ

出演:菊池千里 すどうりえこ 北村恵 宍戸円 原口茜 石井舞 菅谷和美

6.Mrs.fictions 「まわる」

まあ、手慣れているというか、15分という尺を一番うまくつかっていました。でも、この作品の秀逸さはそれだけではなかったように思います。

ワンショットバーの男たちと女性がいる神様(?)の部屋のどこかルーズな連携。神様の横恋慕の表現と物事のちょっとした滞り。

時計が動き出すという感覚、時間が停滞するひとときと時間の流れにすっと戻っていく男女の姿・・・。プラレールや短い映像の使い方も実に効果的でした。

また、百花亜希の醸し出すちょっと芯のある繊細さが、物語に絶妙な歯ごたえを作って・・・。すごく良いキャスティングだったとおもいます。

原案・脚本:今村圭佑 構成・演出:生駒英徳

出演:岡村康弘 夏見隆太 松本隆志 百花亜希 8

今回は舞台転換もすごくダイナミックで・・・。次々に雰囲気が変わっていく舞台がそれぞれの劇団にしっくりとはまっていくのがなにか心地よくすらあって。こちらにも見ごたえがありました。

この企画、観た3回がすべて当たりということで次回も是非に観たいと思います。VOLUME7、楽しみです。

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「ハルメリ」 顕わになっていく概念に惹かれて

2009年6月25日、西村和宏+ウォーリー木下企画「ハルメリ」を観てきました。作は黒川陽子。場所は小竹向原のアトリエ春風舎。実をいうとこの場所、初めてなのですが、池袋から意外と近いのですね・・・。駅からもそれほど距離はないし。ただ、劇場に下りていく階段が急なことにはちょっとびっくりしましたが・・・。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

冒頭のハイテンションや創意溢れる舞台装置に目を奪われますが、実は鳥肌が立つほど深い含蓄を持った話。「ハルメリ」という言葉が指し示す概念が顕わになっていく姿には観客を強く引き入れる力がありました。

必要悪であったり慰安であったりセーフティバルブであったり、連帯感のツールですらある「ハルメリ」の概念がしだいに現れてくる中で、ぬめっとやってくる居心地の悪さと麻薬のような危い感覚にぞくっとして、でも目を離すことができなくて。

しかも後半になると「ハルメリ」は単にその概念を明らかにするだけではなく、まるで鏡面のように「ハルメリ」とかかわる家庭や友人、職場、さらにはメディアやネットの世界に至るまで、時代の姿をクリアに映し出していきます。

「ハルメリ」発信源となったClub内の高揚感や、TV内部のちょっとウィットの効いた表現も目を惹いて。冒頭でハルメリとかかわった夫や妻が次第に変容してく姿にどんどん取り込まれていく。

遊び心が冗長に思えたり、物語のふくらみに継続したメリハリがな、く散漫さや密度のむらのようなものを感じる部分もあるのですが、最後の女性が堕胎を決めるシーンにはぞくっとするような説得力があって、終わってみれば物語のコアにある「ハルメリ」の質感のようなものにがっつりと浸されていたことでした。

役者は以下のとおり:

三原玄也・芳川痺・境宏子・片倉裕介・年清由香・山岡太郎・サカモトワカコ・荒木香奈・長島美穂・仲村祐樹・斎藤萌子・菊池美里・長野海・由かほる・大友久志・熊澤さえか・若旦那家康

若干役者間の力量の差はあったのは事実ですが、それぞれに切れを持った演技で個を見せる部分にも多くの鮮やかさを作り、一方で観ているものに挑むような群衆としても力を見せつける演出にも十分に応えていたように思います。

ウォーリー木下氏の演出も創意溢れる部分が多く、舞台美術も秀逸。ただ、この戯曲にしたたかに織り込まれている普遍的な部分、いろんな演出家の表現で観たいなとも感じました。アフタートークで劇団鹿殺しの菜月チョビ氏が、何度も戯曲にかかれている部分と演出の区切りについて質問をしていましたが、それは作品からやってきたパワーを原作と演出の力に切り分ける作業をしてくれているようにも思えたり。

よしんば一観客から見ても、演出家によって様々に異なる色を発する力がこの作品には内包されているような気がするのです。

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モモンガとキリン わたし好み

先週観てきたおもしろいものを二つ

(所詮私の表現力なので、詳細はよくわからないとは思うのですが、一応いろんなネタばれ的なことがありますので、ご留意ください)

モモンガ・コンプレックス 「研Q」

ゴールデンウィークに白神さんの「すごく、ない」を観て、是非に見たいと思った彼女のパフォーマンスがあるとのことで、2009年6月20日キラリ☆富士見でモモンガ・コンプレックスの「研Q」を観てきました。駅から遠いとのことで時間を早めにしたら、目的の有料パフォーマンスよりかなり早めに着いてしまって・・・。

でも、早く行ってよかったです。パフォーマンスだけではなく彼女たちのいろんな表現をゆっくりみることができましたから・・・。

ダンボール箱を組み合わせて作られた大きなオブジェにはいろんな発見があって、私がいる時間にもコンテンツがさらに少しずつ加えられたりして・・・。

で、いろんなもの発見するたびに心がなにかの色に染まる・・・。生まれてすぐからずっと使っていたプラスチックのコップにすごい値段がついていたりして・・・。なんか、そういうウィットの裏側にある思い出の大切さの表現がすごくいい。まあ、いい年したじじいがあちらこちらを覗きこんで思わず微笑んでしまうというのははたから見てあまり見栄えのよいものではないのですが、でも、観ているだけでこちらの感性も若返り広がっていくような気がして。

アイデアは下世話なものやベタなものもあったのですが、それを瑞々しく具現化していく力がすごくて・・・。

すごく大きな絵を見つめていると、あきない。一度飽きても、しばらくするとまた見たくなってしまう。画鋲の床にトゥシューズが飾られ上に魚が浮いているという作品からはダンサーの感覚のようなものが伝わってくる気がする。

のぞきこんだ箱のなかに潜んでいるものも封筒の中の世界も床に書かれたいろんな仕掛けも遊び心がいっぱいで・・・。不思議に心をやわらかく揺らして観る者が縛られていたなにかの鎖をはずしてくれます。

有料のパフォーマンスも、時間を忘れて見入ってしまいました。

お辞儀からはじまる表現の、その質感の鮮やかさというか力が圧倒的なのですよ。まず、ダンサーたちの力量が半端ではありません。さまざまな発想に裏打ちされた豊かな遊び心が技量に支えられていて見事に昇華していく。

冒頭のパフォーマンスでは、食べ物を作る指の動きが姿がこんなに美しいと思ったことはなかったし

主宰の白神ももこ氏が夢をかなえるというタイトルで子供の頃にやった紙XXXをしたり、昔のドリフのコントを思い出させるような大きな人間を出してきたり・・。

さかなという振付からお風呂に至る部分にもぞくっときた。めくりにお題があってそれに合わせて白神さんが内容の説明をしていくのですが、そのしゃべりもすごく楽しくて・・・。コンサバティブなバレエの安定感がしなやかにあるのもすごい。

最後のいろんなパフォーマンスでの「お辞儀」のまね、個人的にすごく好きかも・・・。

多分、古典といわれているいろんな表現も、最初はこんな感じの遊びこころから生まれたのかとも思ったり・・・。

帰りがけに絵葉書を4枚買ってわくわくしながら帰ってきた事でした。

ちなみに今回の「研Q。」、クレジットは以下のとおり。

白神ももこ、白井梨絵、眞嶋木綿、北川結、夕田智恵

スペシャルパフォーマー: たにがわまいこ 召田実子


モモンガコンプレックスの本公演は2010年2月とのこと。今からめちゃくちゃ楽しみです

キリンバズウカ 「スメル」WIP

6月22日に観てきました。場所は都内某所。

もちろんWIPですから、内容を書くことはできませんが、本番がすごく楽しみになる内容でした。観ているときにすごく惹きつけられて、終わってから少し役者の方とお話しているうちにさらに深く感じた部分があったりして。

そうそう、このお芝居、作・演出の登米氏に加えて役者が抜群に良いです。もう初日・2日目のチケットとかは完売しているようですが、さもありなんと思います。

個人的には、多分2度観(除くWIP)かな・・・、なんて思ったり。

こちらは来週末に初日。今からもう、わくわく楽しみです。

R-Club

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「飛ぶ鳥の高さ」に足りないなにか

2009年6月21日マチネにて青年団国際演劇交流プロジェクト2009 日仏交流企画「飛ぶ鳥の高さ」を見ました。場所は三軒茶屋シアタートラム。

当日はたまたまアフタートークの豪華版みたいなイベントが予定されていたことも手伝ってでしょうか、場内の年齢層はそれなりに高め。さすがに両壁面までの立ち見はありませんでしたが、場内は満席。微かな熱気の中で舞台が始まります。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

主題にあるのは便器会社の凋落と再生の物語です

シンプルな舞台装置、舞台中央に積みあがったスクエアな3段の装置が会社組織のピラミッドの役目を果たし、社長・経営陣・社員、さらにはその外側の社外と分けられて前半部分の物語が進んでいきます。会社の雰囲気などの表現もすごくわかりやすくて、観ていて物語がどんどんと客席に広がっていく感じ。

社内の確執や経営者のあせり、老舗の便器会社が環境の変化に耐えられずに凋落していく姿がしたたかに浮き彫りになっていきます。

会社の政権交代の姿も結構生々しく、血族の争いにも生臭いリアリティがあって。

さらには段がひとつ取り外されてフラットになった舞台で演じられる後半、海外のマーケティング手法を取り入れ、会社を変革し再生させていくカリスマ経営者と会社の姿も、ダイナミックに伝わってくる。

日本書紀と会社の関係、さらにはルワンダの虐殺なども物語の骨格をささえていて、観ていて飽きることはありませんでした。

ミュージカル仕立てにした部分もとてもしっかりと機能していたし、
作者の分身であるという狂言廻し役の社員の存在も旨いと思った。

舞台上のプロンプターの表示もしなやかに機能していたと思います。

でも、観終わって、満足したかというと、実はかなり微妙だったりするのです。戯曲にも演出にも盛りだくさんの手練が感じられるにも関わらず、なんというか、観る側の深いところにまで、舞台上のキャラクターたちの思いが染みとおってこない。なにか精緻なモックアップを鑑賞している感じ・・・。

元々この戯曲は7時間くらいの長さが合って、そこから上演時間に合わせて4つのバージョンができたとのこと。今回の上演はそのなかの一番短いバージョンだったそうで、原本を削ぎ落としていく際に舌足らずになった部分があったのかもしれません。

一番気になったのは、企業が活性化する仕組についてダイナミックに描かれていたのに、人についての描き方が足りないこと・・・。

親子(社長も営業担当者も含めて)の距離や兄弟間の確執、社内の人間関係・・・、それが事象にとしては非常にしたたかにに描かれてはいるのですが、それらのバックボーンにある人間の想いが、なにか書割のように感じられるのです。不思議なことに役者の芝居がしっかりとしていればいるほど、そのキャラクターから伝わってくるものの希薄さが浮き立ってきて・・・。また、希薄であるが故に、ダイナミックに動く会社の根本が人であるという終盤の新社長のスピーチなども凄く作り物っぽく感じられたり・・・。

決して悪いお芝居ではないと思うのですが、たとえば昨今の秀逸なお芝居たちに比べると、なにか血がめぐりきっていないような感じがするのです。そういうジャンルの芝居だといえばそのとおりだし、優れた部分がたくさんある作品であることも認めるのですが、観ていてどうしても大味な部分を感じてしまうことは否めないのです。

クレジットは以下のとおり

作:Michel Vinaver

演出:Arnaud Meunier

翻訳:藤井慎太郎

出演:山内健司、ひらたよーこ、松田弘子、志賀廣太郎、永井秀樹、天明留理子、太田 宏、大塚 洋、
田原礼子、石橋亜希子、大竹 直、畑中友仁、高橋広司(文学座)

Philippe Durand,Elsa Imbert,Nathalie Matter,Moanda Daddy Kamono

さすがに役者達の演技には見ごたえがあって・・・。惚れ惚れするほど。劇中歌もなんか楽しいのですけれどね・・・。

たとえば、最近観たあちらこちらの小劇場の秀逸な作品たちって、この作品を凌駕してしまっているように思えてならないのです。

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乞局「芍鸝(しゃっくり)」塗りつぶされていないカオス

2009年6月20日ソワレにて乞局「芍鸝(しゃっくり)」を観ました。場所は下北沢駅前劇場。そうそう、劇場のある建物の近くで久しぶりに路上ライブをやっている「HIBI」を観た。彼ら、力があるのですよ・・・。ちょっと聴きほれて・・・。

けっこう早い整理番号での入場。駅前劇場はいつも座る場所に迷います。舞台の間口がなにげに広い・・・。今回は出演人数の多さから全体の視野を考えてやや後ろの席に座りました。折込パンフレットがしっかりしていて・・・。出演者などを眺めているうちにゆっくりと暗転。

(ここからネタバレがあります。十分にご留意ください)

各シーンは聖書や経典のように区切られスクリーンや舞台上の壁の部分にタイトルが提示されます。その中で、登場人物が体験するさまざまなシーンが表現され、物語が広がっていきます。

自らを神と名乗っているホームレスで構成されたその国の第一次建国者たち、そして彼らに迎え入れられる失業者やネット難民たち・・。身分を捨てることが求められ、微妙な同床異夢の中でなにかの神としてその共同体で生きていくことが許されて。

一方で、その神たちから全能神を押し付けられる一人の共稼ぎ主婦・・・。旦那に日常を押し付けられ、会社でもうまくいかず・・・。で、まるで何かに憑かれたように自らが神であることを宣言してしまうのです。トイレでカレーを料理をして食べるところにものすごく生々しい彼女の生活のコンテンツを感じる。でも、神を束ねるようになったとたん、少なくともその国では彼女の人生の中で抑圧されていた思いや個性が解放されていきます。そこには神々しさすら生まれ、彼女の高揚感のようなものががっつりと伝わってくる。

でも、彼らが神になったとしても、世間とのかかわりやそれぞれの抱えるものを払拭できるわけではなく・・・。この「国」自体が彼らのいた場所と重なって存在している以上、たどりついた経緯や要因をちゃらにできるわけではないのです。

神になったことで解放されたものは、結局それぞれの持つ物に応じて再び閉塞されてしまう・・・。それこそしゃっくりのように、何かに耐えきれずに大きく体が震えて、でもそこから突き抜けることはなく・・・・。

作・演出・出演の下西啓正は、個人それぞれの姿に絶妙なデフォルメを加えて、抜けきれなさの様態を描いていきます。作為的な物語の中に素の色や形が、時には細密に描写され、時には戯画的とさえおもえるような表現で、はっとするような生々しさを与えられていく。役者たちも手練の演技で舞台に埋もれることなくそれぞれの色を発していきます。

第一次建国メンバーを演じた池田ヒロユキ、石田潤一郎、三橋良平、笹野鈴々音は、ある種の諦観ともたつきをしっかりと表現してみせました。笹野の演技の色やテンポの揺れには物語の容積をなにげに大きくするような深さがあって、池田、三橋から漂うある種の無力さをしっかりと舞台になじませていく。石田が表現するキャラクターが内包する脆さが、そのまま彼らの国の危うさを想起させて・・・。

失業者やネット難民からなる第二次建国メンバーを演じた佐野陽一、伊藤俊輔、墨井鯨子、西尾佳織、佐藤みゆきは個々の個性を際立たせた演技で観客を取り込みました。佐野陽一の捨てきれないプライドが秀逸で、後半にやってくるその世界との乖離にナチュラルな説得力を与えて・・・。また水に流されたあとの佐藤の演技からやってくるキャラクターの依存と高揚の表現も鮮やか、幾重にも広がっていくキャラクターの鮮明さとその奥行きの深さに目を奪われて・・・。墨井や西尾、伊藤にしても舞台を群衆に染めることなく密度と厚みを作り出していきます

島田桃依、岩本えり、中島佳子、立倉葉子はひとりの女性の内心に浮かぶプライドとうっ屈を演じきって舞台を支えました。島田は怪演ともいえるお芝居なのですが、単にずぶとさを表すのでなく、根にある彼女なりの繊細さと誠実さを地道に織り込んでいて、その小心さや追い詰められた切実さが観客に細やかに伝わってくる。それが岩本、中島、立倉の切れのあるお芝居をさらに際立たせていきます。

で、女の旦那を演じる下西啓正が絶妙なのですよ・・・。ある意味中間色の演技なのですが、その身勝手さと妙に常識人的な部分が、その国が幻想のように醸成していた価値観をつるんと剥きとってしまう。

私的には、正直なところ、この舞台をちゃんと理解できたとは思えない部分が多々あって。ラストシーンまでカオスを感じ、終幕時にもそれが晴れることはありませんでした。それでも、「女」のその後が語られた時、すっと見晴しが生まれたような感じがあって、私なりに観た物語全体の造詣からにじみ出してくる、冷徹でシニカルでどこかコミカルですらあるその色合いにもう一度息を呑みました。

続けてやってきた空恐ろしさに押しつぶされないように、ゆっくりと劇場をでたのですが・・・、下西の才能に凌駕されてしまった感覚がずっとあとをひいていたことでした。

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クロムモリブデン「空耳アワー」心地よいほどシンプルで深い

6月17日ソワレにてクロムモリブデン「空耳タワー」を観ました。クロムモリブデンはここのところ一作ごとに惹かれて続けている劇団。今回も非常に秀逸な舞台になりました。

(ここからネタばれがあります。充分にご留意ください)

作・演出 青木秀樹

会場に入ると一見シンプルな舞台。特に緊張感もなく客入れが進んでいきます。ほぼ満席の場内の音楽が変わるとすっと客電が落ちて舞台が始まります。

物語に出てくるキャラクターたちは、何かがデフォルメされていて・・・。

そもそも女性のストーカーをしていて相手の背中を指してしまう男も異常なのですが、その息子の犯罪を、「物を買って出したお金よりも多いおつりがくるような方法」でかばう母親の粛々と事を運ぼうとするところも空恐ろしいというか・・・。いきなり気持ち良く突き抜けていくというか・・・。その傷害事件の濡れ衣を着せられた男の妙に淡々とした部分、戯画化された刑事たち、さらには捕まった男のありばいを証明するはずの劇団の主宰が新人に振り込め詐欺を演じさせるなど、なにかが掛け違った感覚がすごくナチュラルにやってきます。その世界を縫うように「嘘と本当を見分けることができるようになる」という丸くて四角くて三角なものを町じゅうに売りさばいていく女性。

キャラクターはそれぞれに、
何かを具象化したような強いイメージを発しているのですが、
一方でバックグラウンドが
心地よいほど潔くそぎ落とされていて・・・。

それらが個々に唯我独尊という感じで、
色をそのまま保ちながら物語を進めていくのです。
饒舌に語られる言葉に対して、
短いイメージのような言葉がまるでダンスのように返されて
(短い言葉がリズムを刻むように繰り返される)、
個々のキャラクターの色が一層強調されていく。。

さらには誘拐・・・。刑事にも独特の趣があって・・・。

オブジェが配布されていくその中で、
不揃いのドミノがそれぞれの形状を保ったまま倒れていくような感覚で
つながっていく物語。
思いっきり惹き込まれているうちに、虚実の色分けが独り歩きをしていく中で現出した終盤の世界に
取り込まれてしまうのです。冒頭からの突き抜け感がそのまま昇華して違和感もなく不可思議な世界に迷い込んでしまう。祈りが舞台の色を一気に変えていくところでのさらに物語の天井が開いた感じにぞくっときました。

役者達の演技の緻密なこと・・・。
奥田ワレタの母親役からやってくるある種の「ピュア」にはものすごい実存感がありました。なにかにころっとだまされるような素直さ、冷静で理知的な部分と、さらには自分中心な感じのトーン・・・。本来相容れないものが同じにおいを繊細に漂わせて収まりよく同居している感じ。もう見惚れてしまいました。その息子を演じた久保貫太郎は逆にたよりない表層とがんこなコアの落差をしたたかに演じきって見せました。おとなこども的な気持ち悪さを確信犯的に醸し出しながら、一方で親子の関係にナチュラルな説得力が生まれていて、こちらも好演だったと思います。

ケイっぽく劇団の主宰を演じる板倉チヒロは、観目だけで十分にキャッチーなのですが、そこから伝わってくる「したたかさ」の質感には常ならぬきめ細かさがあって・・・。仕草やせりふの一つずつがすごく切れていることでその解像度が重さにならないところもすごい。その弟子を演じた渡邉とかげは存在感の出し入れが細かくしっかりとできていました。板倉が作り出す色になじんだかと思うと、むしろ板倉や他の役者たちがが映えるような演技もしっかりと織り込んでいく。舞台の深さが彼女からさりげなく生まれていく感じ。

背中を刺された女性を演じた幸田尚子は、ストーカーされるだけの端正な美しさを保ちながら、その中に息づくやわらかい何かに言葉にならないような違和感を表現していました。金属的な硬質を演技の中に作り出せる一方で、すごくナチュラルなお芝居のなかにずれをつくる器用さがあって。その演技の広さがとても魅力的。

濡れ衣を着せられた男を演じた森下亮が演じるなすがままのようなキャラクターには観ているものを取り込む不思議なふくらみがありました。彼の演じるキャラクターの脱力感のようなものがちゃんとドラマの推進力として機能していく。パワーを持った脱力感とでもいうのでしょうか・・・、そこに彼の技量を強く感じました。。

男の刑事を演じた金田淳のきっちりした演技は嘘っぽいハードボイルドさを物語になじませていて。木村美月が演じた女刑事もどこかに嘘っぽさはあるのですが、それを凌駕するほどなかっちょよさがあるのですよ。二人の刑事の舞台への刺さり方は物語に香りを与えるスパイスのような役目を果たしていて・・・。

金沢涼恵が演じた訪問販売員、物語の狂言回し的な存在でもあるのですが、なんというのだろう、彼女の演技にはいろんな意味での厚みを感じるのです。商品を売りきるだけの技量のようなものがしっかりと伝わってくる一方で、やり手の販売員としてのあくの強さがそこはかとなく残っていたり、ちょっと自分本位な感じを醸しつつ、どこかに可憐さを漂わせたり・・・。いくつもの色が彼女のなかで絶妙に操られて物語の土台になっている。しかも力みが感じられないお芝居で、終盤舞台を満たしたカオスの明暗を一気に変えて見せるのです。

最後のシーンたちからあざとさを感じることなく、
絡まった紐がすっとほどけるような心地よさがやってくる・・・。

この作品、人によって好みは分かれるかもしれませんが、
少なくとも私にとってはツボを連打されたような部分があって
むさぼるように観てしまいました。
笑いのセンスも個人的には大好き・・・。
あと、衣装に舞台の色を維持する洗練があって旨いと思ったり。

用事ができてしまい終演後あわただしく劇場を出たのですが、もう少し劇場で余韻に浸っていたかったと思わせるような魅力がこの舞台にはありました。

クロムモリブデン、こりゃ次回公演もとても楽しみです。

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桂文三 襲名披露興行@国立演芸場

桂つく枝さんが桂文三師匠となられたその襲名披露興行を観てまいりました。場所は国立演芸場。大阪に引き続いての襲名披露とのことです。

桂三若   : カルシウム不足夫婦

柳亭市馬  : かぼちゃ屋

笑福亭鶴瓶: 青木先生

桂三枝  : ぼやき酒屋

(中入り)

襲名披露口上 (柳亭市馬・笑福亭鶴瓶・桂文珍・桂三枝/司会 桂きん枝)

桂文珍  : 茶屋迎ひ

桂文三  : 崇徳院

そりゃ、なんといっても今日の主役は文三師匠ですから、若手から脂の乗り切った師匠連まで、手練の芸でそのための花道をしっかりつくります。

まずは三若さんが上方落語のどろくさいところを上品さを失わずに語りきって場内を暖めて見せました。目鼻立ちがはっきりした語り口で客をあきさせない力があって、しかもしばらく前に見たときよりも一層噺のテンポの取り方などの安定感が増したような・・。

市馬師匠が江戸前の与太郎噺で高座の幅を広げます。登場人物がみんな心根の暖かさを感じさせる噺で、なおかつ「上を見て商売をしろ」と諭すところに、襲名してももっと上を目指せという市馬師匠のエールが含まれているようにも思えて。

鶴瓶師匠はマイペースという風情を崩さず、自分の主演映画などを枕にもってきて。襲名披露の高座であることなどほとんど関係ないように噺をすすめます。でもね、古い名前からの巣立ちとかやんちゃをすることへの慈愛が場内を包むような噺なのですよ。こう表立って言葉にしないなかで、そこはかとなく師匠一流の気遣いを感じさせるような高座でありました。

三枝師匠にとっては率いる一門の慶事、文三師匠は文枝師匠が亡くなられてから一門で初めての襲名なのだそうです。そこでいたずらにはしゃがず、渋くじっくりと客を沸かせる噺で中入前を支えるところに上方落語協会の会長としての度量を感じました。本当にしっかり客を捉えてくれるというか、ああいう空気の作り方、さすがだなと思います。

襲名披露口上もいろんな意味で見ごたえがありました。いきなり「文枝襲名」とおもいきり外して見せた市馬師匠、相撲甚句の見事さで会場を魅了し尽くします。鶴瓶師匠、社団法人と財団法人がごっちゃになったところは素かもしれませんが、けっこうしどろもどろな風を装って文珍師匠につなぐところに、一門に華を持たせる照れ隠しにも似た繊細な心遣いを感じて。文珍師匠が綺麗に足慣らしをしてきゅっとっ空気をを引き締めて・・・。最後に三枝師匠が文枝師匠の遺言ネタで手のひらに会場丸ごと載せておいて見事にごろんと転がしたり。そんな中でも一門がみな賛成しての襲名だったことや、文三師匠が芸人としての資質をしっかりと持ってはることが不思議なくらい実直に伝わってきます。司会のきん枝師匠もええ味をだしてはるのですよ。 まあ、米團治師匠の時のような凛とした緊張感やきらびやかさはなかったですけれど、どこか洒落と温かみがあり、なにより文三師匠の伸びしろがたっぷりと伝わってくる襲名披露口上でした。

口上後の文珍師匠は、廓がでてくるはめもの入りの噺で高座に華を作り出して・・・。登場人物に愛嬌があるのがすごくよい。こう、場内を暖色系の古典の色に作り変えて。

で、文三師匠が演じたのは「崇徳院」、そりゃ見事なものでした。襲名披露の高座ですから、多少なりとも緊張はされていたとおもうのです。でも、そこでつぶれるのではなく、うまいことハリのようなものに変えていくのが師匠の力。安定したテンションで進んでいく噺は花嫁捜索の5日間の重さをしたたかに客に伝えてくれる。それがじつにスムーズに相手に巡り合った時の溢れるような高揚感につながっていくのです。スピードや勢いに頼らずに、表現の質感を積み上げて、最後には言葉で表現できないような感情で観客を満たしていく。鏡が割れるのはおちへの段取りなのですが、そういう感じがまったくしない。きちんとそのようになるだけの流れが構築されていて・・・。出色の出来だったと思います。

まあ、襲名というのも、文三師匠にとっては通過点のひとつに過ぎないのかもしれませんが、一方で文三落語の土台がしっかり固まった感があるのも事実なわけで・・・。その上にさらなる建物がどのように現れてくるのか、聞く側にとって5年、10年、それ以上の楽しみができたような気がするのです。

なにはともあれ襲名披露興行は特別な何か・・・。ほんまにええもんを見せていただいた気がします。

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孤天 第一回公演「例えば 皮膚」のものすごさ

2009年6月14日、マチネにて孤天第一回公演 「例えば 皮膚」を観ました。場所は大久保通り沿いにある「RAFT」というスペース。写真スタジオを改装したような場内は30人で満席。

作・出演 川島潤哉

一人で演劇とサブタイトルがついたこの公演、パンフレットによると「一人芝居ではなくひとつの表現としてみていただきたい」とのこと・・・。で、私なりにですが、おっしゃっていることが理解できたような気がします。

作り手側の注文どおり、演技の積み重ねから浮かぶ物語ではなく、溢れ出すような言葉から湧き上がるイメージの重なり合いに見事に凌駕されてしまいました。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

控室がないそうで、勝手口のようなドアから役者が入ってきて舞台が始まります。すっと彼の世界に引きいれられる・・・。

最初はシーンが丁寧に展開されます。某国営放送でのトークショー、4人の会議体(最初、タモリがすごく昔にやっていた4人マージャンを思い出したが、そんなものではなかった・・・)、愛を告白する男、さらには同窓会の恩師の言葉など・・・。

個々のパーツの完成度がとにかく高いのです。

トークショーに出演した牛乳パックを材料にはがきを作る男から滲み出る色も秀逸ならば、その内心として裸電球の下で話し合う4人の男たちの法則で抑制された表現もじわじわと染み入って来る。同窓会の恩師がもつシュールな無関心さや愛を語る姿が新興宗教への高揚に変わっていくグルーブ感、さらにはしなやかに穿き違えられた芸術の排他性には鳥肌が立つほどのシニカルさが込められていて・・・。

それらのシーンがランダムにまわっていくのですが、シーンのニュアンスが深まっていくのと絶妙に対比して舞台のスピードが上がっていき、気がつけば観客はある種のグルーブ感に乗せられていています。

また、表現のデフォルメなどから生まれる笑いにも、豊かなバリエーションと切れがあって。ピストルのごとく至近距離から来る言葉遊びのようなものもあれば核弾頭ミサイルのようにイメージのフレーム全体で揺すぶってくれるものまであって、それらが使い捨てのようにして織り込まれ、時には観るものを突き抜け、時には内側をくすぐりつづける。

しかも繰り返され有機的に連携するシーンが、緻密な構成のなかで回って回ってのバターのようにならず、多彩な色の広がりとして演者が表現する人物の包括したイメージを支えていくのです。どーんと一撃でくるのではなく、さまざまな力にじわっと強く締めあげられていくような感じ。

こういうのって、観ていて、理屈抜きに引き込まれてしまいます。そして、常習性をもったわくわく感として観るものに残るのです。

「孤天」第一回と銘打っているということは、次回以降もきっとあるのですよね・・・。これは楽しみです。ただ、今回の評判からすると次回はプラチナチケット化するかも・・・。公演回数を増やすとか何か工夫が必要になるかもしれません。

それにしても、最近コマツ企画員の活躍が目につきます。本公演を観ると主宰の超非凡な才能に目を奪われてしまいますが、企画員の才能もかくのごとくすごいわけで・。まさに、コマツ企画恐るべしです。

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«年年有魚「SURROUNDED ALWAYS」繊細な距離感、そして秀逸な紙アート