北で起こった大地震の翌日の記録(3月12日)
3月11日からの続き
・赤羽岩淵から自宅まで
深夜の赤羽岩淵から、京浜東北線をくぐって埼京線のちかくまで
荒川に並行するように歩いていきます。
ときどき吹く風が冷たい。
それでも、一緒に帰ってくれる方がいたのは大きな救いとなりました。
歩いていても、真っ暗なところがほとんどないのもありがたい。
それとiphoneのナビ機能がとても役に立った。
会社を出るときに下調べはしていたし、
ご一緒させていただいた方も
それなりに土地勘がある方だったので
道に迷うことは全く心配していなかったのですが
ナビを使うと自分が全行程のどれくらいを歩いたかが可視化されることで
ずいぶん精神的に楽な気持で歩みを進めることができました。
122号線を渡り、京浜東北線を超えて・・・。
このペースなら戸田橋まで休憩なしで行けそう。
会社のいろんなことや、
ちょっとした噂話。
家族の話や趣味のこと。
寒さに少しずつ体が冷えていくのですが、
話しながら歩いているとそれが気にならない。
彼女曰く、普段なら夜中など閑散としている通りなのだそうですが、
歩道もちゃんと確保されているし、明るいし、けっこう人通りが途切れず、
安心して歩ける。
30分ぐらいかかったでしょうか。
まずは、無事に浮間舟渡の駅に到着。
見上げるホームには灯りがついていましたが
駅舎にはシャッターが下りていました。
そこで彼女はおいてあった自転車をピックアップ。
道案内のお礼とお休みなさいを言って彼女と別れる。
ここから戸田橋までは歩いて5分ほど。
途中のLAWSONで暖かい紅茶を買いました。
一口飲むと、暖かさが体の内側に流れこんでいく。
キャップを締めてカイロ替わりにポケットに突っ込んで・・・。
階段をゆっくりとあがって戸田橋。
橋のたもとで母親に電話をかけたけれど繋がらない。
橋の上は一段と寒かったです。、
それと思ったよりも暗かったけれど
人通りが多かったのであまり気にならなかった。
都内からずっと歩いてこられた方もいらっしゃったみたいで
「やっと戸田橋だよ・・・」とか大きな声が聞こえる。
歩きながらiphoneでツイッターを確認。
赤羽岩淵からのTLを追い切って、
充電にゆとりがあるのでituneで音楽を聴いて。
暗い川を渡っていきます。
橋を渡りきったところでもう一度母親に電話。
埼玉に入った途端うそみたいに電話が通じた。
本棚から何冊かの本と花瓶が落ちた以外は
とりあえず被害はほとんどなかったとのこと。
戸田橋から家までは約10分。
うちの近くのセブンイレブンは旧中山道(17号線)沿いなので
そこで一休みしている人も結構いた。
0時55分に家に到着。
うちは6階なのですが、当然のごとくエレベーターは止まっていて・・・。
最後の力を振り絞って一気に上がる。
朝、いつもと変わらず、気ぜわしく鍵を閉めたのが
はるかに昔のように感じられました。
・家の中
部屋に入ると、玄関脇の積んであった新聞紙が散乱している。
灯りをつけて、ペットのモルモットの無事を確認。
普通に固形飼料をもぐもぐと食べている姿に一安心。
すぐに新しい餌と野菜に交換する。
テレビがひっくり返っているのにはかなり驚いた。
すぐに元に戻してスイッチが入るかを確認。
壊れていなくてよかった。
本棚については耐震用の鎖で固定していたので倒れたりはしていませんでしたが
中の本は半分以上が床に散乱しておりました。
食器棚からはお皿が3枚とカップが2個、
グラスがひとつ飛び出していずれも割れていた。
カップにはちょいと想い出があったので、
ゆっくりと切なくなる。
新聞紙を広げてその上に破片を集め、
ガムテでぐるぐる巻きにして危なくないようにする。
それ以外は急いでに対応しなくてもよさそうだったので
そのままにして・・・。
とえあえずベットにはいってすぐに寝入ってしまいました。
*** *** *** *** ***
・翌朝
夜中に一度目覚めたのは余震のせいだったらしい。
タイマーをセットしていたテレビの音で本格的におきました。
どのチャンネルを観ても地震のニュースばかり。
ペットボトルのお茶を飲みながら
いまさらながらに津波の威力に愕然とする。
洗濯をしながら、最低限のかたずけ。
よく見たら、先週分の畳んで積み上げていた洗濯物も
散乱していた。
ガスを復旧。ツイッターに書きこまれていたやり方をそのまま実行。
ここでもツイッターに感謝。
最低限の家の機能回復と洗濯を終えて、
母の家へ。
同じようにガスを回復。
阪神大震災の話をいろいろと聞く。
揺れは間違いなく阪神大震災の方が強かったそう。
でも、揺れる時間は今回の方がずっと長くて
どうなっていくのかが分からずとても怖かったとのこと。
家に戻ってメールのチェック。
パラドックス定数は予定どおりに公演を行うらしい。
いこうかキャンセルしようか少し悩む。
テレビを観ているうちになにか気力が失せてしまったような気がする。
津波の流れるところを観るたびに
アナウンサーが語る死者や行方不明者の数に違和感を感じる。
のろのろとHPで交通機関の確認。
四谷三丁目までは通常どおりに何とか行けそう。
さらにメールやツイッターをチェックして
今週末予定していた他の公演は中止になったことを再確認する。
今週末はこれ一本になりそう。
だったら行こうかと思う。
・午後
埼京線の本数がだいぶ減らされているようだったので
すこし早めに家を出ました。
丁度前の電車が出たあとみたいで
ホームには数人しかいない。
自販機で暖かいお茶を買ってベンチに座る。
背中から吹いてくる風が冷たい。
地震からまだ24時間以内であることに気がついて
ちょっと驚く。
午前中部屋ではテレビをつけっぱなしだったから
もうずいぶん時間がたっていたような気がして。
それにしても静かなホーム上。
よい天気。とてもよい天気・・・。
日差しは暖かいけれど
冷たい風が背中に当たる。
iphoneでrajiko(TBS)を聴いていたのだが
なんとなくつらくなって切る。
現在地震から22時間ちょっと。
揺れてひっくり返された72時間計の
砂の音が聞こえる気がする。
昨日の疲れが出たのかなぁと思う。
20分くらい待って埼京線の新宿行きが来る。
いつもの土曜日に比べると空いていた。
新宿から丸ノ内線に乗り換え。
土曜日にルミネがお休み・・・。
丸ノ内線はすぐに来ました。
四谷三丁目で降りて、出口をちょっと迷って。
ゆっくりと歩いて会場に向かう。
途中、曲がり角の目印にもなっているパン屋さんで
ドーナツと100円均一で売られていた(救援物資となずけられた)
パンを購入。
地震対応の志を込めて用意したパンが売れなかったのかも知れません。
ちょっと気の毒に思ったり。
・劇場
お行儀は悪かったけれどドーナツを食べながら
The Art Complex of Tokyoに到着。
朝から何も食べていなかったので
おなかが鳴るとまずいなと思って・・・。
スタッフの方が入口で部屋を案内してもらって、
これから芝居を観るのだと思うとちょっと心が解ける。
階段をあがって2階の奥の部屋へ。
少し待って開場時間。
ひし形に並べられた座席。
中央に机が一つ。
地震の影響で公演時の電力使用のことがいろいろといわれていたが
このライティングなら文句を言われる筋合いはないはず。
開演前のいつもの諸注意に加えて、
大きな余震が起こった場合は公演中止になる場合がある旨の告知。
そんなことがないように祈りながら開演を待つ。
お芝居、その密度にがっつりとやられました。
本当に面白かったです。
物語の枠組みに引き込まれるとそのまま一気に持っていかれた。
緻密な空気がしっかりと組み上げられ
終盤には主人公のどこかずれた想いのなかに
グルーブ感すら醸し出されて・・・。
観終わって、高揚感がそのまま残って・・・。
何よりも驚いたことには
自分の中で知らず知らずのうちにしぼんでいた
ある種のモチベーションのようなものが
しっかりとリセットされていた。
帰り道、お芝居の面白さを反芻しつつ、
何かの箍がすっと外れたような気持ちになっていました。
ツイッターを観る。
電力不足のことや被災者のことを慮って
演劇の公演を控えるような動きも一部にはあるよう。、
でも、もし、今の状況に立ち向かい
東北の復興を支える志が創り手にあるのなら
計画された公演はやるべきだと思った。
こんな時だからこそ、
ただ息をひそめて自粛しているのではなく。
演劇の創り手も観客も、自分の立場で
自分の出来ることにベストを尽くすべき。
作品は別に人生を頑張れというような内容ではないのですが、
でも、良いお芝居には、人に前を向かせる力があるのです。
みる側に醸される高揚が下世話な言い方ですが
「元気を運んでくれる」気がする。
こういう元気って
とくに心が萎えてしまうような時には
何物にも代え難いものなのでは・・?
今、日本人に必要なのは、
萎縮することでははなく
いろんな形で一人ずつがパワーをもって、
ネガティブにならずポジティブな気持ちを忘れないこと。。
そのモチベーションをしっかりともらえれば
積極的に電力を節約したり
東北の復興にも協力しようという気持ちになれる気がする。
豊かな精神には豊かな想いが宿る。
だから、豊かな精神をシュリンクさせるような風潮を作ってはいけない。
ただ、息をひそめて自粛することではなく、
いろんな創造性の発露こそが、
今のこの国に必要な復興の力だと思う。
そんなことを考えながら、
足早に帰り道を四谷三丁目に急ぎました。
風の冷たさを、やっと心地よく感じられるようになりました。
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