RClub Annex Main Blog

無料ブログはココログ

twitter TIME LINE

« 劇団appleApple 「オドル」 ひと時の感覚を広げきる力(記録) | トップページ | バナナ学園の写真(王子小劇場、Nov.22nd,2010) »

2010年9月19日 (日)

キリンバズウカ「ログログ」違和感から浮かび上がる世界への気づき

2010年8月25日、三軒茶屋、シアタートラムでキリンバズウカTokyo 3rd Shot「ログログ」を観ました。

この日は初日ということもあってか、ホワイエの部分から、賑やかなふんいき。劇団の一年ぶりの公演に心が躍ります。出演者の方関連で、ZokkyのCDが売られていたり・・・。なにか、いつものトラムより華やいだ感じがします。

(ここからネタばれがあります。十分にご留意ください)

作・演出 登米裕一

惹かれるトリガーがとてもたくさんあるお芝居でした。

トラムの広さや空間の高さが生かされて大きくいくつにも区切られたスペース。しかし、その広さに拡散しないシーンの力が、個々のスペースにそれぞれの豊かな密度を作っていきます。

シーンそれぞれの色が、互いにどこかなじまないまま、でも、くっきりと作りこまれて観る側にやってくる。個々のシーンの中には、たっぷりのウィットも込められていて、登場人物のキャラクターも雰囲気も、時制のトリガーとなるものも、その中でちゃんと成立している物語もあるのですが、一方でそれぞれのシーンの色にも内容が他のシーンたちとすっとはまっていかないような感覚もあって。

それは、ずれたり重なりあわないということではなく、同じ場所に置かれたものの形状や大きさがことなってそれぞれにはみ出しているような感じ・・・。

でも、その違和感こそが、観客に、舞台全体のありように対する、いくつもの視座を与えてくれるのです。

浮かんでくるもの、見ようとしているもの、隠されたもの、消えたもの、再び現れたもの。置き換えたもの、塗り込められたもの、塗りかえられたもの・・・。

舞台に描きこまれたものたちのそれぞれに込められたニュアンスが、違和感に照らされて、ランダムに色を変えて浮かび上がってきます。

個々のシーンが他のシーンに踏み込んで、ゆがめ塗り替えていく時の、しなやかな突飛さと観る側にそれを受け入れさせるに足りる切れに目を見張る。すんなりとはいかないし、必ずしも折り合いがついているわけでもない、でも、それを含めて舞台上に持ち込まれた時間が、観る側自らの深層にあるもの記憶の透視図のようにも思えて・・・。

同じシチュエーションの異なるシーンが現れることも、失踪することも、突然現れて思い出すことも、叩くことも、まさかの蹴りがやってくることも、個々の違和感を包括した全体の豊かでリアリティに裏打ちされた表現として観る側にやってくるのです。

とても、突飛ではあるのです。でも、あそこで、あの形でやってくる、「かあさん」は凄い・・。観る側が、その感覚を排除できない・・・。

役者たちには力量と安定感がありました。ロールに対する精度をもったお芝居がそれぞれに醸し出していくデフォルメされていたりナチュラルだったりするふくよかなニュアンスたちが舞台をがっつりと下支えしていて・・。

三浦俊輔からやってくる記憶の所属のあいまいさは理屈抜きに観る側の目を引き残る。市川訓睦には自らのキャラクターを作り上げるにとどまらず、物語に他のキャラクターを生かすスペースを作るだけの懐の深さがあって。こいけけいこのつきぬけ感は舞台を閉塞させず物語が生きるに足りる解放感を舞台に作り出す。

中川智明は物語の構造の一端をしなやかに背負って見せました。保父という役柄が作り出す違和感をしたたかにまとって、それだけでも目を引くのですが、もう一歩奥に世界を作り出す力がとても安定していて。川田希は終盤の蹴りの見事さに目を見張りましたが、それを驚きにとどめずニュアンスにつなげる実直なお芝居にこそ魅せられる。

川村紗耶は、物語のなかに、キャラクターの居場所をしっかりと作り出して見せました。妻や妊婦としての雰囲気をぶれることなく演じきることで物語に色が加えられて。中原裕也もどこか物語の間を縫い込むようなキャラクターをまっすぐに演じて見せました。他のキャラクターとの距離がうまく機能していて、彼の姿が観客にすっくりと見える。堀越涼は一瞬の場の作り方がとても秀逸で、存在感を押し込むのではなく差し込んで残すような部分にその力量を改めて感じました。永嶋敬三には、舞台の質感をふくらませるまっすぐさを感じることができました。実直なお芝居だと思います。

金沢涼恵はお芝居の質量や解像度をフレキシブルに作れる役者さんで、今回もその力加減とくっきり感がすごくしなやか。うまいなぁと思う。岡田あがさ はキャラクターの見せ方を絶妙にコントロールして物語のコアのニュアンスを構築してみせました。

ラストの折り紙のエピソードに描かれた世界がさらに自然に観る側の視野を広げて見せる。

終演後、そこには細密に削り出された「記憶」の喪失や創生の質感が置かれていて。

描く世界の独自の色の秀逸を含めて過去作品でも強く感じていた作り手の才を改めて実感したことでした

« 劇団appleApple 「オドル」 ひと時の感覚を広げきる力(記録) | トップページ | バナナ学園の写真(王子小劇場、Nov.22nd,2010) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック

« 劇団appleApple 「オドル」 ひと時の感覚を広げきる力(記録) | トップページ | バナナ学園の写真(王子小劇場、Nov.22nd,2010) »

最近のトラックバック

2020年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31